011 - 違約

 不正ブレスの本拠地から解放されたケイトはおぼつかない足取りのまま、気付けば博士の仕事場に辿り着いていた。混乱する頭を、博士に解きほぐしてもらいたかったのかもしれない。


 仕事場に足を踏み入れると、博士の姿が見当たらない。いつもはコンソールを弄っている事が多く、すぐに見つけられるのだが。

 少し歩き回っていると、ソファの上に仰向けで寝ている博士を見つけた。腕を顔の上に乗せているので表情はうかがえないが、ひどく憔悴しているようだった。


「博士、寝ているのか?」

 博士が身じろぎし、薄く開けた目でケイトを確認する。


「やあ、ケイトか。……元気かい?」

「おれの心配よりも、自分の身体を気遣ったらどうだ? ひどく疲れているようだぞ」

「まあ、色々あってね……」


 博士はだるそうに身を起こし、ソファに腰掛ける体勢をとった。

「ケイト……あの場所に連れてかれてたんだろ? 無事、戻ってこれたみたいで何よりだ」


 ケイトは純粋に驚く。

「何故それを知ってる?」

 博士は手首に着けたデバイスを掲げ、ケイトの頭に極小のチップをこっそり埋め込んでいる事も白状した。


「おれの知らない内に、そんなものを仕込んでたのか」

 ケイトは頭をかきながら、呆れるように言う。

「ごめんよ。こんな僕でも、仕事のパートナーを心配くらいはするさ」

「心配はいいが、こっそり仕込むあたり博士らしいな」

「……」


 博士はケイトを数秒無言で見つめる。

「ケイトは僕を責めないのかい? ケイトに危険が及んでいることを知っていながら、こんなところで寝転がっていた僕を」


 ケイトは博士の真向かいのソファに座り、博士の目をしっかりと捉える。

「別に助けに来なかった事に怒っちゃいねえよ。そもそも、博士にそういう役回りを期待した事はないしな。頭脳労働があんたの仕事だろう。それに、ほれ。この通り五体満足で帰ってこられたぜ」


 博士は目線を落とす。その表情が何を意味するのか、ケイトには分からなかった。


「博士、監禁されている間に聞いたことで、伝えなきゃならない事がある」

 博士はどうぞと手を差し出す。


「おれを監禁した奴は、町長秘書のカリナとその仲間だ」

「彼女か……」博士は額に手を当てる。


「カリナと知り合いか?」

「同じリネット関係者だしね。昔、一緒に仕事したこともある」

 憔悴している博士に必要以上のストレスは与えたくないと思ったケイトは、過去の仕事やらについては言及せずに話を進める。


「問題はここからだ。カリナは、おれと博士が不正ブレスについて探りを入れている事を知っていた。そして、警告してきた。これ以上、この件に関わるなと」

 一呼吸を置く。


「それだけじゃない。不正ブレスについて知っているのはカリナだけじゃなかった。この町にリネットを誘致した町長も、そして御上すらも知っているらしい」

 博士は眉も動かさずケイトの話を黙って聞き続けている。


「リネットとブレス、このシステムの開発を主導したのは御上だよな? 御上が不正ブレスを容認しているって事は、不正ブレスはシステムの『正常』な動作って事になる……よな?」

「不正ブレスは、セキュリティホールを突いた不正な行為ではなく、システム要件通りの純粋な動作だと、そう考えてるんだね?」


「ああ、俺があそこで聞いた内容からは、そうとしか考えられなかった」

 カリナの発言に嘘が含まれている可能性ももちろん考慮すべきだが、わざわざ人を監禁しておいてそのような言動をするような人物には思えなかった。


 博士はため息まじりに言う。

「ブレスシステムのセキュリティホールを突くなんて芸当、誰かが出来るとは考え難い。僕はもちろん、カリナにだって無理だろう」


「カリナは博士以上の腕前なのか?」

「ああ。以前一緒にいた研究所では、技術者として歯が立たなかったな。彼女は不動のNo.2だったよ」


「博士以上のカリナがNo.2だとすれば、No.1は誰だったんだ? 游骸町にいる人物か?」

「……いや、その男は、もう死んでるんだ。以前の研究所の実験過程でね」


 博士の顔に寂しそうな表情が浮かぶ。

「コーヒーでも飲むかい、ケイト? 長時間の監禁で疲れただろう」

「相変わらず、言い方にデリカシーがないな。まあ、コーヒーはいただくよ」


 コーヒーを入れる博士の背中に、ケイトは問いかける。

「博士、カリナからはこの件から手を引けと釘をさされた。やっぱり警告通りにした方がいいと思うか?」


「……もちろん、僕もそう思うよ。そもそも、ケイトが襲われる事は僕としても予想外だったんだ。危険な調査を実際に進めているのは僕だからね。僕から狙われると思ってた。その場合、ケイトには即刻手を引いてもらう算段だったんだよ。ただ、現実はうまくいかないね。まさか、あまり調査の役に立っていないケイトが先に狙われるとは」


 博士がケイトの分もコーヒーを運んでくる。いつもより苦味が増しているように感じるのは、気のせいか。


「ケイト」

「なんだ、博士」

「この件から手を引くんだ」

 キッパリと断言された。


「カリナに言われた通り、君は葬儀屋の仕事だけ全うしてくれればいい」

「……それは、おれの身の安全を思ってか」

「そうだよ」

「そうか……」


 ケイトはおもむろに煙草を吸い始めた。紫色の煙が自由にゆらめく。

 心が落ち着いていく。そして、あの、渇望とも呼ぶべきリネットへの興味がよみがえる。


「博士、おれは手を引かない」

「……カリナに釘を刺されたんだろう? 今度は無事じゃ済まないぞ。彼女は――人を殺すことにも躊躇しない」


 煙草をもう一本吸う。博士は無言でこちらを見つめるばかりだ。

「博士」


 吸殻を地面に放り投げ、吸収させる。

「おれは手を引かない」


 数秒間、博士とケイトは睨み合う。

 博士は、ケイトの引かない姿勢に、不思議さと懐かしさを感じていた。

 その真っ直ぐな姿勢は、かつての彼のようであったから。


「分かった、ケイト。無理に手を引かせようとはしない」

「そうこなくちゃな、博士」


「ただし、僕がこれから話す昔話を聞いてからだ。その話を聞いた後でも手を引かないと言うならば、僕は止めない。その後のバックアップもする」

「昔話?」


 博士は白衣のポケットから煙草を取り出し、ゆっくりと味わいだした。

 博士が煙草を吸うとは珍しい光景だった。


「ああ、ちょっと長い昔話だ。悪魔のような所業と、天才の意地が交わった実験。ここ游骸町が第一次実験とされているから、第零次実験ってとこだよ」

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