009 - 疑似四次元分析

 ケイトと別れた博士は早速、不正還元プログラムailsについて調査を始めていた。

 プログラムコードを直接閲覧することが出来なくとも、ails周りのデータの流れを確認すれば、何か足掛かりがあるはずだと、博士は半ば自分に言い聞かせた。

 事は急を要する。ケイトの前では飄々とした態度でいたが、内心は切羽詰まっていた。


 ailsという名称を見た瞬間に、博士は一つの可能性に気付いていた。

 シリアルキラーよりも酷い可能性だ。

 名称を付けた者が、自分の推測通りの人物であるなら、事態は最悪と言っていい。

 游骸町そのものを人質に取られた気分だった。


 一刻も早く、真相を突き止めなければならない。

 博士は複数のデバイスを取り出し、自身に装着する準備を整える。

 リネットデータを深く、速く調査するには、スクリーンによる平面表示と手動タイピングだけでは話にならない。


 頭に、目と耳を覆うデバイスを装着した。

 自身に対するデータ伝達を、視覚および聴覚でとらえる為のデバイスだ。

 ある時点での複合的データを立体構造として三次元形式に変換し、視覚でとらえる。

 時間経過による変化は音声変換により、聴覚でとらえる。


 手には大小さまざまなケーブルに繋がれた、手袋のようなデバイスを装着した。

 手動タイピングの代わりに、微細な指の動きだけで高速な分析操作を可能とする。


 頭部と手部のデバイスは相互関係も持たせている。

 頭部デバイスが取得した脳波により、自身が無意識にとらえた違和感を、微弱電流として手部デバイスに伝える役割がある。微弱電流により強制的に動かされた指の動きが、その違和感のデータを表示させる操作となる。


 このデバイスを使用する分析は、博士独自のものだ。

 博士は疑似四次元分析と名付けていた。


 疑似四次元分析により、ケイトが異常と呼ぶほどの分析やツール開発を行う事が可能となる。ただし、脳に掛かる負担は相当なものとなる。

 本来知覚できない量の情報処理を、無理矢理に行うための手段だ。可能な限り使用は控えたいが、事態はそれを許してはくれない。


 意を決し、博士はリネットのデータの海に潜った。

 文字が、色が、図形が、音が、容赦なく博士に伝達される。

 膨大なデータの嵐だ。激流に飲まれているようでもある。しかし、溺れるわけにはいかない。目的の情報を見つけるまで、泳ぎ切る必要がある。


 手部デバイスを操りデータを探る。微弱電流を介した自動的な指の動きにより、違和感の元となるデータが強制的に現れる。関係ないと判断すれば、また違う箇所から分析を行う。

 繰り返す。何度も。何度も。


 ふと、苦い記憶が頭によぎる。博士は思わず唇を噛んだ。

 見聞きした情報により、過去の記憶が呼び覚まされる事は、日常的に起こる反応だが、今は日常では味わえない情報の渦の中だ。フラッシュバックの味は強烈で、そのせいで度々ブラックアウトを起こしそうになる。

 ただでさえリネットの情報処理で脳はパンク寸前なんだ、勘弁してくれと博士は願う。


 だが、この分析を行っている限り、その願いが叶うことはない。思い出したくもない記憶が、博士の表層意識に続々とのぼる。

 過去に関わったリネットの記憶。輝かしい功績と、苦々しい惨状の両極端な記憶。

 今度はうまくやる、そう決意した日の光景もよみがえる。


 ――うるさい。

 ――だまってくれ。


 悪夢ばかりを集めた走馬燈のようなフラッシュバックに苦しみながらも、分析は迅速に進める。

 飄々とした態度や、痩せた体形からは想像がつかない、強靭な精神力で分析は繰り返される。

 しかし、中々めぼしい情報に辿り着けない。


 まだだ。まだ探れる。自分を鼓舞し、手を休めはしない。

 汗が流れ始めるが、ぬぐう余裕もない。

 無尽蔵とも思えるデータの流れに対し、一人で立ち向かうその原動力は、まさに執念と呼ぶべきものであった。


 *** ***


 博士が息を切らし始めたころ、手首のデバイスがアラートを発した。


 分析に使用している手部デバイスではなく、常に身に着けているものだ。

 博士は分析を中断し、急いで頭部デバイスを外す。そのアラートが意味する内容は瞬時に理解していた。


 アラートは、ケイトの身に危険が及んだ事を伝えている。


 ケイトの頭には極小のチップが埋め込まれている。博士の仕業だ。ケイトが寝ている隙にこっそり仕込んでおいた。ケイトに葬儀屋の仕事を依頼してすぐの事だから、もう3年以上も前の仕込みだ。

 ただ、アラートが発せられたのは、今が初めてだった。


 ――ケイト。


 先程までのフラッシュバックもあり、博士は強烈な罪悪感を感じた。

 危険が及ぶとすれば、まずは自分の方からだと思っていたが、先にケイトに手を出された。


 博士は無意識に唇を噛んだ。血がしたたり、地面に落ちる。落ちた血は、ブレスにより即座に吸収された。

 博士は血が吸収された後の地面を、力の限り踏みしめた。

 珍しく感情的な行為だった。

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