006 - 隠匿

 ケイトは博士に、判明している事を改めて尋ねた。


「昨日見せた、不正ブレスでリネット送りにされた複数名についてもう少し伝えとくよ。彼らがリネット送りにされた事実は、リネットのデータから発見したんだけど、そのデータが通常のものとは異なっていたんだ。端的に言えば、隠匿されていた。リネット関係者がデータを確認しても、普通には見つからないようになっていた」


 リネットのデータは、一般には公開されていない。閲覧出来る者は、リネット関係者に限られる。リネットの管理責任を持つので、本来全てのデータを的確に確認出来るはずだが、その関係者にすら隠匿されていたデータが、不正ブレスのデータというわけだ。


 リネットのデータを隠匿する事は、リネット関係者にさえ出来ない。

 生きている人間のブレスといい、通常では考えられない事態だ。


「まあ、誰かが故意に隠したとみて、間違いないだろうね」

「不正ブレスを行った犯人がやったんじゃないのか?」

「もちろんその可能性もあるけど、そうじゃない可能性も考えないといけない。なにせ、想定されたシステム運用から外れた事実ばかりが見つかるんだ。疑いの目を絞ると、真実は分からなくなる。実行犯や共犯者がリネット関係者である可能性だって十分あるんだ。単独犯なのか、複数人の犯行なのかさえ掴めていない」


「博士がリネットのデータから分かったことは、聞いた内容で全てか?」

「今のところはね。不正ブレスが行われている現場に出向いて直接調査すれば色々分かるかもしれないけど、迂闊に近づくのはあまりに危険だ。どんな防衛システムが組まれているか分かったもんじゃない。ケイトとぼくじゃ、一歩踏み込んだだけでリネット送りかもよ」


 ケイトは思案する。リネット送りとなった被害者の個人データだけでは、これ以上の調査は時間が掛かりそうだ。かと言って、犯行現場にも迂闊に近づけない。

 別の切り口が必要だ。


「……犯人はなぜ、被害者データの削除ではなく、隠匿をしたんだろうな?」

「うーん。隠すことは可能でも、消すことは出来なかった、とかかな。そもそも、リネットのデータをいじるなんて方法が分からないから、単なる憶測だけど」


「生きた人間をブレス出来るほどシステムの制限を超越出来るなら、削除ではなく隠匿した事に意味があるのかも」

「なるほど、その線いいかも」


 博士は即座にコンソールを操作し始めた。リネットのデータを探っているのだろう。

 コンソール上部の小さいスクリーンに何やら文字列が表示されている。ケイトは怒られる事を覚悟してスクリーンを覗いてみた。ケイトが近づいても博士は気にもしなかった。ケイトには理解不能と分かっていたのだろう。スクリーンには、何語かも分からない文字列の海が不規則に波打っていた。ケイトは大人しく、博士の調査が済むまで待つことにした。


 博士はコンソールを操作しながら、ケイトにデータ隠匿について説明した。


 現在、游骸町は町全域でブレスが行えるよう整備されている。ブレスに慣れ親しんだ町民は、日々、様々な物質をブレスしているため、リネットに送られるデータ量は膨大なものとなる。流れゆくデータ群は目で追える速度ではないため、リネット関係者がデータ管理を行うには、専用のプログラムを用いる。

 プログラムにより、リネットデータの傾向や推移、トラフィックなどを分析し可視化することが可能となる。


 細かなデータを閲覧するための検索機能も存在する。

 リネットに送られるデータは、例えば空き缶一つにしろ、リネットのデータベースに格納される際には、複数のデータ領域に分解される。管理者がデータを閲覧する際は、各データ領域に散りばめられた分割済みのデータを繋ぎ合わせ、人間が理解出来る形で表示されるようになっている。


 故人の人体データなどは、通常、この検索機能を用いて確認できる。

 しかし、不正ブレスによりリネットに送られた人体データは、この検索に引っかからなかったと博士は言う。リネットにデータが存在しながら、検索に引っかからないなど聞いたことがないらしい。


「検索出来なかったんなら、博士はどうやって、不正にブレスされた人間がいると気付いたんだ?」

「データのトラフィックをチェックしている時に、違和感があったんだ。最初はただの勘みたいなもんだったんだけど、データを手動で追っていく内に、これは何かあるぞと思った。そして、独自に検索プログラムを組んで、通常の検索では引っかからなかった故人のデータを見つけたと、そう言うわけさ。データをいじる事はリネット関係者、もちろん僕でも出来ないけど、管理支援のツールについては自由だからね」


 ケイトは改めて博士の技量に驚かされる。簡単に言っているが、想像を絶するデータ量と、複雑怪奇なデータ構造でリネットは構築されているのだ。

 それを一人で、目的のデータを正確に探るツールを開発するなど、信じられない所業だ。そもそも、膨大なデータトラフィックの違和感に気付くこと自体が異常なのだろう。


 *** ***


「……見つけた」

 博士が小さくつぶやく。暇を持て余してソファに寝転がっていたケイトは、急いで博士のそばに寄った。

「分かったのか? データを隠していた理由が」

「いや、それはまだ不明だけど、それを探る鍵となるプログラムを見つけたんだよ」


 博士は、ブレスされた物質が游骸町に還元されるルートに絞って調査をしたらしい。リネットに蓄積された物質を町に還元するには、いくつかのプログラムが使用される。そして、葬儀のブレスにより蓄積された人体データと、不正ブレスにより蓄積された人体データとでは、還元に使用されるプログラムが異なっていた。


「ails。それが不正ブレスの方の還元で使用されたプログラムの名称みたいだ。ails、ailか。苦しめるという意味だね。何とも不穏だな」

「そのプログラムがどんなものなのか、分かるのか?」

「いや、プログラムの中身までは閲覧出来ないよ。あくまで、このプログラムが使用された痕跡が残っていただけ。小さな発見だけど、この件を解明するには大事な進展だ」


 博士は大層疲れたように身体を伸ばした。

 通常とは異なる方法での調査は、やはり相当な集中が必要らしい。


「ともかく、ailsという還元プログラムが使用されている事から、不正ブレスにより生きたままリネットに送られた人達は、何らかの目的の為に利用された可能性が極めて高い。単に不正ブレスで人を殺すだけなら、還元に使用されるプログラムは、通常と同一のもので良いはずだ」


「博士は先日言ったよな? この件では、生きている人間を対象とした治療が行われているって」

「そう、対象者は分からないけど、治療の痕跡はすでに判明済みだ。治療とailsプログラムによる還元は、関係ありそうだね」


 不正ブレスによる人体データが、削除ではなく隠匿された理由もこれで判明した。


 リネットに蓄積された物質は、データと結びついている。還元プログラムはデータを参照し、そのデータが指す物質を用いて還元を行う。

 データを削除しても物質はリネットに残ったままだが、それでは還元を行うことは出来ない。

 何らかの目的による、不正ブレスを利用した還元を行うため、データの削除ではなく隠匿という手段を取る必要があったのだ。


 少しずつだが、不正ブレスの真相を解明できている。ケイトは高揚感すら覚えた。

 ただ、博士の表情は曇ったままだった。


「ails、ailsか……」

 博士はぶつぶつと呟いていた。プログラムの名称をやけに気にしている様子だった。

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