004 - 葛藤
ケイトは博士の仕事場から自分の家に戻ってきていた。家は博士が用意してくれたものだ。生活に必要な物資は、給料とは別に全て博士が用意してくれていた。あまりの待遇に、当初は博士への不信感が強まったものだが、今となっては平然とこの生活を享受している。
ケイトはソファに座るやいなや、煙草に火をつけた。ケイトがその日に吸った煙草は、30本を優に超えていた。
博士から依頼された、生きた人間のブレスについて、承諾するか迷っている内に自然と煙草の量が増えていた。
頭では理解している。そんな事が起きるはずがない。生きている人間をブレスするなど。
そもそも、ブレス出来る人間の条件は通常三つある。
一、対象の人物が故人であること。
二、場所が葬儀場であること。
三、葬儀屋の手により見送ること。
問題となっている件では、一つも条件を満たしていない事になる。
再び考える。そんな事、有り得るはずがない。頭では分かっている。
しかし、自分の頭はもう一つの矛盾する考えも導き出していた。
博士の調査に不備がある可能性は極端に低いということだ。
性格や言動に信頼は置けないが、仕事に関しては極めてプロフェッショナルな人物だ。出会ってから三年以上経つが、その仕事ぶりには何度驚かされたか分からない。
だからこそ、博士が発見した有り得ない事象に対して、自分の頭では態度を決めかねていた。
ケイトはまた煙草に火をつける。今日だけで何本目になるか、もはや覚えていない。
博士はこの仕事に関して、無理強いはしてこなかった。この件を収束させるにはおれが必要だと言ったが、同時におれの意志を最優先したいとも言った。
だからこそ、依頼を口にしたあの場では返答を求めず、数日の猶予をおれに与えた。博士に初めて仕事を依頼された時の「僕が人に任せるお仕事は、ホワイトがモットーだからね」という言葉を思い出す。命を危険に晒す今回の仕事にホワイトも何もないだろうとケイトは苦笑する。
ケイトは目を閉じて、疲れ切った頭に鞭を打つ。
この仕事を受けるかどうか、どうすれば決められる?
システム上有り得ない事態だが、博士の調査結果を信じるならば、自分の身は危険に晒されるだろう。
ならば断わるか?
博士の依頼に命を懸ける気はない。葬儀屋としての仕事の斡旋、そして今の生活の支援には義理を感じているが、単なる仕事に命を懸けられるような男ではないのだ、おれは。この町に居れば突然死ぬ可能性があると聞いた瞬間、我先に町を脱する算段を立てても不思議ではない。
なら何故、迷っているのか?
おれの感情が、リネットに関われと訴えているからだ。身の危険を顧みずリネットに近付けと、激しい感情がおれの中で渦巻いている。この感情の原因に心当たりはない。我ながら不思議で仕方ない。リネットに関わったところで、おれに何のメリットがあるか検討もつかない。当然、命を晒す必要などないはずだ。
だが、この感情に偽りはない。それは確信している。
この仕事を受けるかどうかは結局、理性的な思考と、不可思議な感情、どちらを優先するかだ。
ケイトは閉じていた目を、ゆっくりと開ける。
指に挟んだ煙草はまだ火が付いたままだ。
煙草からは紫煙が立ち上っている。
しばらくその煙を無心で見つめた。段々と心が落ち着き、頭がクリアになっていく感覚がある。
身体が強張っている事を自覚し、ソファに体重を預けた。
いつしか保身の恐れは薄まり、リネットへの興味が強まっていく。
思考ではなく感情に、身体が包まれた。
おれはリネットに関わる。この感情の理由は、そこにあるはずだ。
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