28.リリカからの手紙

 森の中でイノシシの足跡を見つけたのは偶然だった。

 仕掛けた罠の成果が芳しくなく、少し落ち込みながらあたりを探索しているときに見つけたのだ。

 新しい足跡だったので、もしやと思い追跡したら上手いこと足跡の主まで発見できた。

 日の高いうちに獲物を見つけられたのは幸運という他ない。


 大物だ。あれを仕留めれば一段落でいいかな。


 森の木々の向こうに見える大きな猪を見て、ステルはそう思う。


 ステルは今、アコーラ市から一日の距離にある農村の近くの森の中にいた。

 今回の依頼は山から降りてきて畑を荒らす害獣の駆除だ。

 この辺りはダークエルフ騒動の影響で、魔物に怯えた獣が人里近くに出没するようになり、農作物に深刻な被害が出ている。

 既存の狩人だけでは人手が足りないので冒険者にも害獣駆除の依頼が増えていた。

 アコーラ市周辺の農村は重要な食糧の供給源だ。ステルにとって受ける理由は十分にある。

 また、この依頼を受けた理由は一つではない、


「まったく、アーティカさんは意外と人使いが荒いよな。僕一人に任せるなんて」


 木の上で弓矢を構えながら、一言そう呟く。

 今回の依頼主はステルの下宿の家主のアーティカである。

 彼女はいくつもと農場を経営する地主なのだ。

 元々、この周辺の農地と農村一帯で活躍する優秀な狩人がいたのだが、事情があってタイミング悪く休暇に入ってしまったため、困ってステルに依頼をしてきたのである。

 

 もちろん、断る理由はない。アーティカも用があるということで一緒についてきている。

 彼女は彼女で忙しそうに農場や村の実力者の家を行き来していた。


 害獣駆除に来て一週間。ステルは次々と獲物を仕留め、農村の人々を驚かせていた。

 そして今、ステルが狙いを定めている猪は、これまでで一番の大物だ。

 

 湧き水の側で、獲物は水分補給の最中だ。

 向こうがステルの気配に気づいた様子はない。

 

 それも当然だ、ステルと猪の距離は100メートル以上離れている。

 森の木々の隙間を縫った先、何とか視界が通る場所でステルは観察していた。

 通常なら、矢を当てようと思わない距離である。


 しかし、ステルの狩人としての腕と、アコーラ市で調達した弓は常識を越えた射撃を可能としていた。


「…………」


 つがえた矢を引き絞り、静かに狙いをつける。

 手に持つ弓は力自慢では引けないくらいの特別製。矢の方にも市販のものに少し手を加えてある。

 冒険者になってから使う機会の無かった弓矢だが、この一週間で十分に勘は取り戻した。

 ステルにとって外す方が難しい射撃だ。


「…………っ」


 実に自然な動作、まるで呼吸するかのように自然と矢から指が離れる。

 放たれた矢は、吸い込まれるように獲物に飛んで行って頭に突き立った。

 頭蓋を貫かれた猪は断末魔の雄叫びをあげることすらできずに、その場に倒れ伏す。


「ふぅ……あれ、運ぶの大変だよなぁ」


 安堵の溜め息とともにそう呟く。当てる自信はあったが、こういう瞬間は緊張するものだ。

 木の上から飛び降り、弓を背負う。村まで持ち帰って、処理はそれからにしようか、などと考える。


 獲物に向かって歩くステルの荷物入れには、緑色の腕輪がぶら下がっていた。

 九級冒険者の証だ。

 ダークエルフ討伐の際、ステルは偵察要員として働いたことになっており、その成果が認められ昇給したのだ。


 とはいえ、十級から一つ上がったくらいで、ステルの仕事内容に劇的な変化が起きるわけではない。

 今もステルは街を拠点に活動する街冒険者のままだ。


◯◯◯


 滞在している農村に着くとアーティカは不在だった。

 ステルは村の人間に仕留めた猪の処理を依頼してから、アーティカがいると教わった近くの森に向かうことにした。


 ここは先程までステルが狩りをしていた森と違い、光の差し込む明るい森だ。しっかりと人の手が入っている証拠である。

 そこら中に陽だまりのある森の一画にアーティカはいた。

 彼女は自分の腰の高さくらいある石碑に手を置いて何かつぶやいていた。その左手には普段持っていない先端に透明な水晶のついた杖がある。

 魔法使いの杖である。


 ステルがそっと見守っていると、アーティカの杖の水晶がぼんやりと輝きだした。それに呼応するように石碑も光を放つ。

 蛍のまたたきのような光が少しの間、石碑と杖から舞い上がり、ゆっくりと消えていく。

 時間にして数分だろうか。

 幻想的な光景だった。まさに魔法である。


「あら、ステル君。来てたのね。のぞき見されるなんて、お姉さん、ちょっと恥ずかしいわ」

「す、すいません。魔法を使う所を見たかったんです」

「わかってるわ。貴重な機会だものね」


 慌てるステルに笑みを返すとアーティカは石碑を一撫でしてからステルの前までやってきた。


「その様子だと。今日の狩りは終わったのね?」

「はい。大きな猪を仕留めました。多分、そろそろこの辺りの獣は静かになると思います」

「ダークエルフの騒ぎの影響がこんなところまで来るとは思わなかったわ。事件というのは尾を引くものね」

「そうですね。協会もまだ色々と忙しそうです」

「ごめんなさいね。ステル君も冒険者の仕事があったでしょうに。この辺りで狩りをしているエルフさんが少し前に妊娠したの。獣のことまで考えていなかったから、油断していたわ」

「いえ、ちゃんと仕事として依頼されていますし。おめでたいことですから」

「そうね。ステル君がいたのが不幸中の幸い。いえ、幸いな上に良いことだったと思うことにしましょう」

「そんな。僕は大してお役には」

「駄目よ。謙遜が美徳とは限らないわ。ステル君は優秀な狩人よ。間違いなくね」

「そうですか? でも、母さんに比べたらまだまだなんですよ」

「比較対象が悪いわね……。身近に凄腕がいるっていうのも考えものなのかしら」


 ま、いいわと気を取り直してアーティカは言う。


「ステル君の仕事が一段落したならちょうど良かったわ。今日はここで講義をするつもりだったの」

「え、ここでですか?」


 ダークエルフの事件以来、アーティカに変化があった。

 ステルに魔法についての講義をするようになったのである。

 講義と言っても本格的なものではない。ステルが仕事の中で魔法使いと対峙した時のための知識を授けるのが目的だそうだ。


「さて、私は先程まで調整していた石碑は何でしょう?」


 いきなり質問が来た。

 魔法に関しては完全に素人であるステルには皆目検討がつかない問いだ。

 しかし、わからないなりに考える。

 狩人ならば森の中に設置するのは罠だ。では、魔法使いは? 森の中で出来ることは限られているから、似たような目的だろうか?


「えっと、罠とかそんな感じの魔法ですか?」

「惜しい。これは何かを陥れるものではなく、避けるためのものなの」

「避けるため? あ、もしかして、結界とかいうやつですか?」


 聞いたことがある。魔法使いは身の安全を確保するために結界という特殊な空間を作ることができると。


「正解。これは魔物避けの結界を発生させる装置よ。古代の魔法使いが作った遺産でね。しっかり整備すればゴブリンやオークなどを近寄れなくしてくれるの」


 そう言って、アーティカは石碑の前にステルを案内する。

 その表面には複雑な魔法陣が描かれ、アーティカが手を乗せるとほのかに輝いた。


「魔物避けなんて、こんな便利なものがあったんですね」

「現代ではまだ魔導具でも再現できていない、失われた魔法よ。大昔、魔法使いたちが権力を握っていた時代の名残なのだもの」

「昔の魔法使いって、凄かったんですね」


 素直に感動しながら言うステルに対して、困ったような顔でアーティカが答える。


「良いところもあれば。悪いところもあるというところね。でも、凄かったのは間違いないし。これは良い産物よ。古くて大きな街やその近くには今でも結構見かける設備ね」


 話を聞きながらステルも石碑に触ってみる。アーティカの時のように反応はない。魔法使いの才能が無いと使えないようだ。


「へぇ、僕は初めてみました。アーティカさんの農場には全部これがあるんですか?」


 アーティカはここ以外にもいくつか農場を持っている。魔法使いの農場なのだから魔物避けも完備しているのだろうか。


「ここだけよ。アコーラ市にほど近いこの辺りはとても大切な場所だから、昔から特別扱いされていたの。他の農場には魔物避けの護符やお香を配っているわ。結界ほどの効果はないけれどね」

「結構大変そうですね」


 そう返すと、アーティカは悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「庭仕事が趣味の都会のお金持ちだと思った? あれは材料作りよ。今でも魔法の品の需要はあるから、なかなかのんびり暮らせないのよねー」


 なるほど。彼女の庭いじりも立派な仕事の一環だったわけだ。

 口では愚痴っぽくそう言いながらもアーティカの表情は穏やかなものだった。

 彼女にとって農村に来るのは仕事ではあるが、それなりにゆったりと過ごしているように見えた。


「ちなみにこの結界。王都やアコーラ市内にもそこかしこに設置されているわ。人が沢山いる場所っていうのは昔からそれほど変わらないから、古い街ほど強力な結界が作られているの」

「アコーラ市にも。だから、あの街は安全なんですね」

「魔物避けに関してはかなりのものよ。何せ、結界の作りが複雑すぎて私がまだ把握しきれていないんだもの」

「それって凄いんですか?」


 素朴な質問だったが、アーティカは少し傷ついたようだった。しかし、ステルにしてもアーティカの魔法使いとしての実力は知りようもないので仕方ない。


「こう見えて、お姉さんは魔法使いとしてはそれなりのものなのよ。そうね、ステル君なら、ターラが獲物の痕跡を見失うくらいっていうとわかりやすいかしら?」

「それは相当ですね」


 ステルの母ターラは凄腕の狩人だ。一度見つけた獲物は確実に仕留める。というか、ステルが気づかない間に事が終わっているくらいだ。獲物を取り逃したのは見たことがない。


「ちょっと大げさな言い方かしらね? でも、アコーラ市の結界は凄いってことを覚えておいてね。ただし、守れるのは魔物からだけなの」

「はい。勉強になります」


 ステルが素直にそう答えると。アーティカは一度手を叩いた。講義終了の合図だ。


「じゃ、お勉強はおしまい。夕飯には早いから、戻ってお茶にでもしましょうか」

「いいですね。あ、その前に、水浴びをしてもいいですか? 」

 

 それほど疲労はないとはいえ、猪狩りをしたのだ。部屋で過ごすには体が少し汚れていた。


「ふふふ、 こういう時、シャワーの無い農村は不便かしら?」

「ええ、でも、離れて文明の有り難さを噛みしめるのも良いことだと思いますから」


 アコーラ市の近くとはいえ、ここは農村。都会のような上下水道の設備は残念ながら備えられていない。

 この農村も、故郷の山奥よりはかなり便利だが、都会には及ばない。


 仕事を終えたら、しばらく街の中で活動しよう。


 そんなことを心の中で決めながら村に戻ると、ちょうどステル宛の手紙が届いていた。

 アーティカの滞在用の住居でお茶を飲みながら、手紙を開く。

 差出人はリリカ・スワチカ。王立学院に通う学生で、友人だ。


「あら、リリカさんからの手紙ね。うっかりお姉さんも見ちゃっていいのかしら?」

「それは内容次第ということで」


 テーブルを挟んでお茶を飲んでいるアーティカに言いながら、指先で軽く触れて封筒を切ってから、便箋を取り出し、文に目を走らせる。

 丁寧な文章で綴られていたのは以下のような内容だった。


『お元気ですか? 面白い魔導具の施設を見学できそうなので連絡しました。良ければ一緒に来ませんか? わたしの友達も一緒です。ステル君の話を聞いて、とても会いたがっています。魔導具の施設は本当に珍しくて貴重なのでお勧めですよ』


 ステルに会いたがっている友人とやらよりも、魔導具が強調された手紙だった。

 それは実に効果的な誘いだった。

 手紙の内容を何度も読み直したステルは、アーティカを見て言った。


「アーティカさん、ちょっと本気でこの辺りの害獣を駆除しちゃっても良いですか?」


 差し出された手紙に目を走らせたアーティカは、呆れ混じりに答えた。

 

「生態系を乱すほど狩っちゃ駄目よ?」

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