4.都会と家主と

 結論から言うと、アーティカという人物の家にステルは辿り着くことが出来た。

 

 到達するまでにそれなりに苦労した。

 問題は、アコーラ市が広大だったことだ。

 

 五十万人が住まう大都市は、とても徒歩で歩き回れる広さではない。

 市内の移動は乗り合い馬車で、馬車を降りるたびに近くにあった警備の詰め所で道を聞く必要があったのだ。

 行き届いた行政サービスのおかげで何とか到着したが、すでに太陽は大きく傾いて夕暮れ時になっていた。

 

 ステルは門の前で呆然と立ち尽くしていた。

 アーティカという人物の家が思った以上の豪邸だったので、気後れしているのだ。

 

 現在地はアコーラ市西部。

 中心部に比べて住宅の多い比較的静かな地区だ。

 割と最近整備された場所らしく、道は広く、街灯は地下に埋め込まれた魔導具から魔力を供給する最新式。

 通りには一家族が住むのにちょうど良い家が建ち並んでいる。

 

 そんな中、アーティカ氏の家は十人以上を余裕で収容できるお屋敷であった。

 多分、メイドとか庭師が必要な規模だ。

 流石に自分のような田舎者は場違いなのでは? と思わずにいられない。

 しかし、ここで退くわけにはいかない。帰る家は遠すぎる。

 表札の名前を何度も確認してから、ステルは門についている呼び鈴の魔導具のスイッチを押し込んだ。

 

「……返事がない?」


 これは確か、家の中の人と会話する機能があったはずでは?

 首を傾げながら魔導具を見ていると、人の気配があった。

 豪邸の門が開き、女性が一人、こちらに歩いてくる。 


「はいはい。……どちら様かしら?」


 そう問いかけてきたのは、若くて美しい女性。

 優しげな眼差しを持った穏やかさを体現したような人物だった。

 

 背の高さはステルと同じくらい。これは女性としては平均的でステルが小さいだけだ。

 屋敷の豪華さと対照的な地味なゆったりした服と、それを押し上げる胸部が目についた。

 胸以上に特徴的なのは彼女の髪だった。

 背中まで伸びた豊かな栗色の髪を持ち、前髪の一部が金色に輝いている。

 この人も、母と同じく魔法使いの才覚があるのだ。

 きっとただ者ではない。

 ステルは心の中でそう確信した。 


「あ、あの。貴方がアーティカさんですか?」

「そうだけど。貴方のような可愛らしい知り合いはいないはずだけど?」


 おっとりとそう疑問を口にされた。

 良かった。本人だ。

 ステルは少しだけ安堵しながら言葉を続ける。


「ターラの息子ステルです。アーティカさんの家でお世話になるように言われて訪ねて来ました」

「……………」


 そう言うと、アーティカは目を見開いて硬直した。

 想定外の反応だ。

 もしかして、話が通っていなかったのだろうか?


「…………」

「あの、アーティカさんで合っていますよね? もしかして、そんな話聞いてないとか?」


 表札は合っているし本人も肯定してくれたのだが、なんだか不安になるステル。

 アーティカの方はさらに数秒硬直してから、突然はっと正気に戻って喋り始めた。


「ご、ごめんなさい。ちゃんと話は聞いているわ。ターラからは男の子と聞いていたから、こんな可愛らしい子だとは思っていなくて」

「……よく女の子に間違えられます」


 実は馬車の中で会った冒険者コンビと話すことになったきっかけも、女と間違われたことだったりする。


「ごめんなさい。気にしているわよね」

「あ、いえ。慣れていますので」

 

 なんだかんだで大人として扱われる十五歳である。

 背があまり伸びない事も、女の子っぽい外見も、ステルは諦観と共に受け入れていた。


「大丈夫。男の子なんだからすぐに成長するわよ。貴方なら凄いハンサムになるわ」

「そ、そうですか?」


 そうよ、と笑顔で答えた後、アーティカは微笑みながら言う。


「……ようこそアコーラ市へ。ターラには色々とお世話になっているから、しっかり貴方の生活を支援するわ」


 上品な仕草でふわふわしたスカートに手をやって一礼する姿は、屋敷に相応しい淑女のものだった。



     ○○○



 ステルを屋敷の中に招いたアーティカは、そのまま夕食を用意してくれた。

 応接やラウンジのある一階で、食堂として使える十人以上入れそうな部屋で二人で食べる事になった。

 

 食事の内容はパンとスープに肉料理と故郷のものとそう変わらない。

 宮廷料理のようなものが出てきたらどうしようと不安になっていたステルにはありがたかった。


「ごめんなさい。友人の息子をワインで歓迎といきたいところだけれど、この家、お酒は料理用しかないの」


 そう言いながら、アーティカは葡萄果汁の瓶をステルに見せてきた。


「僕の家と同じですね。母さんは飲みませんでしたから」

「あら、ターラもそうだったわね。じゃ、これで歓迎会ってことで」


 笑顔でそう言うと、家主はステルと自分のグラスに果汁を注いだ。

 軽く乾杯して、食事が始まる。

 

「…………」


 静かだ。会話がなさすぎて間が持たない。

 我慢できずにステルは口を開く。


「……あの、迷惑だったのでは?」

「平気よ。話は聞いていたし。それに、貴方はとても魅力的なお客様よ」

「あ、ありがとうございます」


 予想外に好感触な反応が返ってきて戸惑ってしまう。

 この人は母とどういう関係なのだろう? 

 手紙で母に聞いてみる事をステルは密かに決意する。


「それにしても古風な挨拶をするのね。親の名前を先に名乗るなんて、久しく聞いたことなかったわ」

「そうなんですか? 都会ではどんな挨拶をするんですか?」


 北部の村では「ターラの子ステル」などと親の名前と共に名乗るのが普通だった。

 都会には都会の作法があるだろう。学んでおくにこしたことはない。


「普通に名前を名乗るわよ。私ならアーティカ・ディマードですってね」

「へぇー名字があるなんて凄いですね」


 名字があるのはお金持ちや権力者だ。麓の村でも村長の家にあるくらいだった。


「? 今は名字があるのが普通よ? 五年くらい前にそういう法律が通ったんだけど」

「えっ……。じゃあ、僕も名字があるんですか?」


 驚きだった。そんな事一度も聞いたことがない。


「それはターラに聞かないと……。あ、でも、北の山間部は作業に手間取ってるって新聞に書かれていたわね」

「それですね。僕の住んでいたところはかなりの山奥ですから」

「でも、いいところだと思うわ。前に訪れた事があるの。……まあ、名字についてはターラに手紙でも出すといいでしょう。急ぐことではないわ」

「そうですね。でも、ちゃんとアーティカさんの家についたことを伝えないと」

 

 無事に到着したことも含めて、手紙に書くべき事が増えたぞと思う。

 そのまま食事は滞りなく終わり、紅茶を飲みながら、ステルのこれからについての話になった。


「さっきターラの手紙を読んだわ。冒険者になるということでいいのかしら?」

「はい。そのつもりです」


 挨拶した後、母からの手紙を渡したのだが、もう目を通してくれていたらしい。

 有り難い話だ。

 自分が冒険者をやるというのが、都会の人から見て良い判断なのかを知りたい。


「念のために聞くのだけれど。ステル君はターラと一緒に狩人をしていたのよね」

「はい。ここ二年は基本的に僕が前に出て、母さんは後ろから見てる感じでした」

「……それ、本当? 魔物だって結構出るわよね?」


 アーティカは驚いていた。ステルの発言を信じられない様子だ。

 確かに狩りは大変で、始めた頃は母の助手にすらなれていなかった。

 しかし、ここ数年のステルの上達はめざましく、母の手を借りることは殆どなかった。

 今思えば、それも独り立ちの準備だったのだろう。


「余程面倒な魔物が出てこない限り、僕一人でなんとか出来ていました」

「……それなら、ステル君が冒険者になるのは問題ないと思うわ」

「ホントですか!?」


 ステルに対してアーティカは力強く頷いた。


「ええ、私が保証する。ターラからの手紙にある程度の読み書き計算は教えたとあったから、そちらも大丈夫。ちょっと待っていてね」

 アーティカはそう言って立ち上がると、紙とペンを持って来て何かを書き始めた。

 五分もしないうちに、質の良い紙に流麗な文字で記されたメモが手渡される。

 

「地図を書いたわ。この街は広いから冒険者協会の支部が沢山あるの。一番近いのは第十三支部ね。一番西の支部で街の外からも依頼が来るところよ。ステル君には向いていると思う」

「……行き方まで書いて貰って。ありがとうございます」


 メモ書かれていたのは言葉どおり地図と道順だ。

 見やすくわかりやすい。都会に慣れないステルには実にありがたい。


「受付で名乗れば色々と手続きしてくれるわ。冒険者になれれば、ついでにアコーラ市の住民登録もしてくれるはず。あ、後見人が必要だったら私でいいわよ」

「いいんですか? 後見人って、僕に対しての責任者ってことですよね」

「大丈夫。君はターラの息子なんだもの」

「はい……」


 出会った初日にそこまで信用されていいのだろうか。

 そんな思考が顔が出たのかアーティカは明るい口調で言う。


「ほら、そうやって責任を感じてくれるような子なんだから大丈夫よ。信用してるわ」

「なるほど。頑張ります」

「頑張るのはほどほどにね。冒険者協会は朝九時に受付が開くわ。失礼な言い方になるけれど、時計の見方はわかる?」

「一応、麓の村にありましたから。魔導具も色々とありましたし……」


 麓の村、スケリー村は小さな集落だったが、村長の家に魔導具で作られた保管庫や時計があった。山奥とは言え、多少は文明的なものもあるのだ。


「あの村に時計に魔導具……。文明の広がりの速さを実感するわ」

「ははは、村のお年寄りも似たようなことを言ってました。最近になって急に便利になったって」

「あら、それは私が年寄りに見えるってことかしら?」


 どうやら失言だったらしい。アーティカが眼を細めて問いかけてきた。恐い。


「そ、そんなこと。アーティカさんは全然若いじゃないですか! 僕から見たらお姉さんですよっ」

「…………っ」


 慌てたステルの弁解に、アーティカは目を見開いた。


「お姉さん……ね。悪くないわ」

「え?」

「何でも無いわ。何か困ったことがあったら相談してね。……お姉さんに」

「は、はい……」


 事情はわからないが、機嫌を直してくれたらしい。

 家主にして当面の保護者は年齢に関する話題が嫌いなようだ。それを肝に銘じたステルである。

 

 その後、近所の地理や屋敷の設備について説明を受けた。ついでにシャワーを浴びた。

 ステルの部屋として案内されたのは二階の角部屋、街と屋敷の庭がよく見える良い場所だ。

 何も無い殺風景な部屋だったが、ベッドだけは一式取りそろえられていた。


「……とりあえず寝よう」


 一人になってベッドを前にしたら急に眠くなってきた。

 ここまで長旅だったし、人の多い都会を歩くのに疲れたようだ。

 明日のことも気になったが、ステルはとりあえず、ベッドの中で疲労感と眠気に身をゆだねる事にした

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