殺した明日を求めて。

誰かが首を絞めあげている。 ギリギリとした痛みにチカチカと暗い火花が見える。


 窒息の苦痛の中で空気を求めた。

 

 視界は徐々にまるで染みこむように赤黒く染まっていく。 


 そしてそれが世界を染め上げた時に俺は穴の中を滑り落ちていた。


 それはひどく狭く、でも尻の下の地面はツルツルとしていて、止まらず奈落に堕ちていく。


 三歳児でもわかった。 この暗い穴の中を堕ちきった先に在るのが死だということが。


 無理心中。 涙を流して子供を殺そうとする母の頬に腕が当たった。


 その足掻きが、死にたくないという本能による必死の足掻きが命を救った。


 それが記憶に残る最初。 幾度となく繰り返された死への誘い。




 穴を掘る。 穴を掘る。 誰かが穴を掘る。


 夜の山林の空気は心地よく冷たい。 でもこれからの終りを静かに待ち構えているように怜悧で。


 血走った目と真ん丸く開いた瞳孔が月明かりの下でギラリギラリと光って、お星様みたいだね。


 まあもうすぐ本当に星になるけどね。 あるいは土の下で虫に食われて腐り果てて消えていくのでしょう。

 

 けれどかろうじて正気に戻ったパパとの帰りのドライブ。 寄ったレストランではしゃぎながらハンバーグを食べ終わったあとに月を見上げてこう思った。


 来年は生きてるのかな? 明日の天気を考えるくらいの気持ちで。  


 それから幾度と無く死を乗り越えてきた。 その繰り返しで明日は消えていく。 いや殺していく。 


 まあ明日生きてるかわからないからね。 考えても無駄さ。


 だってそうしなければ生きていけなかったのだから。


 5歳の春の日。 母親に言われた。

 来年の誕生日は何が欲しい?

 来年、生きてたら考えるよ。

 泣き崩れる母を不思議に感じながら母の頭を撫でた洟垂れ小僧は屈託なく笑った。

 

 

 明日は無く、ただ今日だけ。 俺にあるのは今日だけ。

 これはすべてノンフィクション


 嘘のような現実の話。 クソのような真実の話。


 だから明日生きている気がしない。 濁流と清流に流されるだけの人生だった。


 けれどある日、君に言われた。 俯いてただただ嘆くばかりの俺を見かねて君はこういってくれた。


「あなたが面白いと思うことをすればいいじゃない。


そうやって毎日がつまらないつまらないと仏頂面をしてるよりかは遥かにマシでしょ?」


 それは天恵だった。 人はたった一言で変われるのだと思い知らされた言葉だった。


 そうだ今日死ぬとわかって起きる人間は居ない。


 そうなのだ 明日死ぬとわかって眠る人間も居ないじゃないか。 


 まあでも、もしかしたら明日は死んでるかもしれないが生きているかもしれない。


 そのか細いもしかしたらを握り締めて何かを綴る。


 だってせっかくこの世に生まれたのだ。


 人間、いやでもいつかは死ぬのだから。


 そう思えたとき、捕らわれていた諦めから解放されたんだ。


 まあ、でもその彼女にはその後普通に振られましたけどね。


 そして俺は小説を書き、詩を書くようになった。

 

 今日はここで、明日は暗い部屋で一字を、一小節を、一ページを、そして一つの物語を。 


あるいは一遍の詩を。


 別に幸福になりたいわけじゃないんです。 っていうか幸福って良くわかんないし、


 例えるなら……なんだろうか? 


 川の底に静かに止まっているサンショウウオの感傷を想像するようなものだ。


 考えることは出来ても理解することは出来ない。 だって俺も君もサンショウウオじゃないもの。

 

 ただ、ただ俺は納得したいだけなのさ。 死んだ過去の明日を。


 生きるために殺し続けた明日を取り戻したい。 


 そしてあの暗い穴の底へ堕ちきった先でも『ああ、意外に悪くない人生だったんだ』と自己満足でも笑うために。


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