ログ:食事
東堂栞
六百八十円
A県T市のT駅にその店はある。
M線の改札口を出て右に曲がり、建物を出たところでさらに右へ曲がる。階段を上がる手前の右手の扉を開ければ、店に到着する。
店はカウンター席しかなく、十人も座れない、狭い店だ。入ったらまず食券を買う。色々とメニューはあるが、私がいつも買っていたのは学生ラーメン。学生証提示で六百八十円になる安さが魅力だ。
食券を買い、セルフサービスの水を取ってカウンター席に座る。店員に食券を渡すと麺の量を聞かれる。私はいつも大盛りを頼んでいた。同じ値段でたくさん食べられるのならそっちの方が良い。
スマホを開いてツイッターを見たり、ゲームの周回をしていると料理が届く。
それはラーメンではなかった。どんぶりから溢れんばかりに盛り付けられたもやしの山だった。ほぐした豚肉とうずらの卵、刻まれた生にんにくが山のふもとに添えられている。二郎系ラーメン。その極致がそこにあった。
箸をとった私はもやしの山を崩さないよう、上から少しずつ食べる。ある程度山を削ったところでスープの海に沈む極太麺を視界に収めることができた。
私は麺を箸で手繰り寄せ、もやしの山を突き崩してスープの海に沈めて麺ともやしの位置を入れ替えた。天地返し成功だ。
もやしと入れ替わった極太麺の山を私はひたすら食べる。食べる。食べる。その時の私は目の前の極太麺の山を掘削する機械だ。機械は何も考えない。味の良し悪しを問わない。自分が空腹であるかどうかなど気にしない。
気付けば極太麺の山はなくなり、どんぶりに残ったのはスープの海に沈んだもやしたちだった。れんげを手に取り、それらを掬い上げる。しゃきしゃきとした食感ともやしの水っぽさがスープの濃さで爛れた口内を優しく癒す……ということはない。この時の私も機械だ。何も考えない。無心でひたすらにもやしを口にいれる。しゃきしゃき。しゃきしゃき。しゃきしゃき。
やがてれんげは何も掬い上げなくなった。そこで私はどんぶりに口をつけ、スープを飲む。圧倒的塩分と脂肪分に体が悲鳴を上げる。警告をひっきりなしに鳴らしている。それらすべてを無視して私はスープを飲み干した。
食べ終えた私はどんぶりをカウンターの上に置き、テーブルを拭いて店を出る。
木曜日の今日はサークル活動の日だ。文化祭に向けて色々と準備を進めていることだろう。私はコンビニ前に停めていた自転車を探しながらサークルの面々に思いを馳せた。
――――――――――
「特に何も変わってないなあ」
大学を卒業してから半年後。私は社会人になった。後輩たちの文化祭を見るために第二の故郷であるT市に降り立った。
T駅周辺は、私が大学にいた頃となんら変わりはなかった。ホームレスが毛布にくるまって寝ていたり、街頭演説の人がいたりする、取り立てて特徴のない駅だ。いや、一つだけ変わっていることがあった。
私が足しげく通っていたラーメン屋はなくなっていた。駅について昼飯を食べようと思って店に行ったところ、シャッターが閉じていた。
時間が止まっているようなT市でも、物事が移り変わっていることに私は言い知れない悲しさを感じた。その悲しさはきっと、空腹を満たす手段が一つなくなったことからくるものだろう。センチメンタルでノスタルジーな話は私に似合わないから。
だから、この話はこれでおしまいだ。いつも通り、夜通し呑んで、吐いて、カードゲームをしてカラオケに行こう。
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