風の賢者と竜の亡骸
@dansyu24
プロローグ
――少年は、夢に見る。
もはや自分にあるはずのない、当たり前の幸せがある未来を。
大好きな母と暮らし、親しい仲間と戯れ、腹が減った頃には家に帰り、目を瞑って眠りにつく。
そんな、幸せな生活を。
――少年は、夢を見る。
霞む視界に映る、ただれた肉片。煌々と燃え盛る炎が、休む暇無く自分の腕だったモノを焦がしていく。
そうか、これは夢であったのだ、と。そう気が付ければどんなに幸せだっただろう。
しかし、全身に隙間無く付けられた様々な傷跡が、どうしようもなく絶望的に少年に現実を突き付ける。
――少年は、目を閉じる。
次に目覚めた時にはきっと、何よりも穏やかなものに包まれていますようにと願って。
まるで現実から目を逸らすように、まるで夢の世界に自ら身体を投げ込むように。少年は眠りについた。
――少年は、手を伸ばす。
もはや何も写さなくなった視界への期待を捨てて、自身の直感とまだ見えていた頃の記憶を頼りに。
掴もうとしたものは、既に命を絶たれた母の手。今我が身を覆っている炎よりも温かかった、大きな優しい手。
しかし、伸ばせど伸ばせど、掴んだものは一握りの砂や土。
既に燃え尽きた母の手を望んで、少年はなおも手を伸ばす。
そんな少年の手に、ポトリと何かが落ちた。
ほんの僅かな衝撃。それはそれだけを少年の手に残し、少年を置いて消えていった。
けれど、少年は思った。
それこそが、この絶望を終わらせる、唯一の雫では無いのか、と。
何もかもを焼き焦がすこの地獄を悼む、誰かの涙では無いのか、と。
少年はそれだけの事で救われ、眠りについた。
これは、
幸福を夢見たものが手にいれた、夢のような物語。
いつか目覚めるその日を恐れて、少年は涙を流す。
□□
――ふっ、ふっ、ふっ。
声の混じった吐息が吐き出される。少女のような、やや高い声だ。
集中しているためか、無意識に吐き出されるその声はどこか艶やか。けれど、吐息の熱からはそれらの艶っぽさ以上に、獲物を追う執念と気迫が感じられる。
鬱蒼と森林の生い茂る山の麓を、颯爽と駆け抜ける二つの影があった。
先を行く影には確かに疲労が感じられ、恐らくは前へ進むことで精一杯。けれど、対する背後から追うもう一つの影は周りを木々に囲まれ視界を阻まれているのにも拘わらず、その足取りには一片の迷いもなく獲物を一心に狙い追い詰めていた。
狩人と獲物。
弱肉強食を表したような光景が、今まさにその場では繰り広げられていた。
いや、その事態に関しては何等おかしいものではない。人は生きるためにはその日の食料を確保しなければならないのだ。この光景はそんな人間の営みの一部を切り取っているに過ぎない。
だが、それは狩人と獲物という関係としての話である。現状は通常の狩りの光景とは僅かに毛色が違う。
何故なら、狩人にあたる者の正体が、そのイメージとはかけ離れた可愛らしい一人の子供だったのだから。
背丈は一五〇センチ後半。その身体の線は全体的に細く、短弓を持つその腕は
一度地面を蹴れば一つに束ねた黒の長髪が
ほんのりと紅潮する頬、程よく高い鼻、健康的な紅に染まる唇。柔らかくやや垂れた双眸は、その者の穏和な人柄を表しているよう。
その外見は一見して少女と見間違えてしまってもおかしくないほど、可憐という言葉がよく似合っていた。
その天色の瞳が獲物の影を捉える。
素早く、そして確実に獲物へと弓を構え、その者は最小限の動きで標準を定める。
弓を握るその手にはマメの潰れた痕が残っており、長年に渡り弓を握り続けていることが分かる。
構えるのは短距離用の短弓。
射程と威力こそ頼り無いが、それを補う程の速射性と扱い易さは目を見張るものがある。既に一度や二度傷を負わせた状態であれば、逃げ惑う獲物を仕留めるには十分だ。
矢を持ち、弦を引く。
その動作は既にその身に染み付いており、走りながらであってもその標準がずれることはない。
――ヒュッ。
弓から放たれた矢は、鋭い音をその場に置き去りにして空気を切り裂き、少しの迷いもなく獲物の急所へと吸い込まれる。
急速に接近する矢に反応出来るはずもなく、獲物はその身体を貫かれ力を失った。
「……今日の夕飯は鹿肉かな」
獲物、つまりは鹿を追いかけていた者の正体――アレン・ハーヴィはすぐさま獲物のそばまで近づき獲物が息を引き取った事を確認すると、脚を縛り肩に背負う。そして、方向を変え目的の場所へと歩み始めた。
「よし、そろそろ家に帰ろうかな」
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