妹氏、不思議ちゃんになる

貴乃 翔

第1話 妹が壊れた

「ねえお兄ちゃん、もうすぐ高校生だねえ」

 夕食の席で妹のてらすは言った。

「ああそうだな。と言ってもお前と同じ学年なのは兄としてなんか変な気分だよ」

「またまたー、小学校から中学校まで全部一緒だったじゃん」

 僕と照はいつでも同じ学年だった。双子ではない。留年したわけでもない。

 僕が四月生まれで照が三月生まれ。ギリギリで年度が同じなのだ。

 でも僕はそれがあまり嫌ではない。今まで照は僕に従順だったし、僕もしっかり照のために行動する、『共生』が上手く行っていたからだ。

 たぶん仲が悪かったら小学校から違う学校に行きたいとごねたことだろう。

「今年も同じ学校だな」

「うん、そうだね。……はぁ。高校かあ」

「さっきからそればっかだけどそんな高校楽しみなのか?」

「そりゃそうだよ!」

 ズイと身を乗り出して照は迫る。

「だって高校だよ?高校なんだよ?」

「だから高校がどうしたんだって」

 当然の疑問をぶつけたと思ったのだが照はやれやれ、わかってないなあ、と首を振った。

「今までにはやったことないことができるのが高校なんだよ」

「だから具体的に」

「ここまで言ってもわかんないの?困ったなぁ」

 こいつはどこまで高校に期待してるんだ、と呆れて思う。

「自由なんだよ。何から何までやってもいいしやらなくてもいい。そしてそれは自己責任」

「あ、わかった、それは体面とか気にせずなんでもできるって言いたいんだな」

「正解。今までは先生のご機嫌取ったりしなきゃいけなかったけど今年は気にしないで行くよ」

「ご機嫌取るとか言うなよ。まあ優等生っぷりは知ってるけどさ」

 僕の妹は出来の良い奴だ。毎回のテストでは成績首位を勝ち取るほどだ。

 普通より少し上くらいの僕は時々その出来の良さに妬いたりする。

「それでね、私は高校デビューっていうのをしたいわけ」

「へー、そんなにガラッと変えたいのか?」

「そりゃあね。優等生だと身動き取りずらいし。私にはちょっとした策があってね、成績はそのままに合法的に自由できる仕方を思いついたの」

「成績をそのままに?どうやって?」

 成績良かったら自然と優等生になってしまうのではないか。

 そう思って聞いたら照はふふん、と自慢げに鼻を鳴らして、

「内緒」

「怪しいな」

「いや、そういう怪しい系じゃなくて普通に合法的にできるの」

「ふーん」

「ま、楽しみにしといてよ」


 *


 とは言われたものの、高校の入学式まであと二日ある。何かが変わるのかと思いきやそうでもなく、照はいつも通りに生活していた。

「お風呂終わったよー」

「おうじゃあ入る」

 今日もこれといって変わったこともなく一日が終わろうとしていた。

 僕と照は二人暮らしだ。母と父はどうしたのかというと入学式に行く様子もなく外国でハネムーンだ。かなりな放任主義で外国に行く時も、

『高校生になるんだからもう二人だけでやっていけるわよね』

 と生活を丸投げされていた。

 幸い、僕も照も家事スキルはあったので不自由はなかったが親へのヘイトは日に日に募っている。もう帰ってこなくていいかも、とまで考える始末だ。

 まあ家庭の事情は置いといて僕は浴室へ向かった。

 そして服を脱いで洗濯機に放り込んでいる時に僕は見てしまった。

 見間違いだと思って今放り込んだ自分の服を取り出した。そこには僕より先に風呂に入った妹の衣類が入っていた。

 そこにそれはあったのだ。

「む、紫、だと……」

 とてつもない誤解がされそうなので名状はやめておく。

 だが日頃妹は白やら薄桃やらのノーマルな色だ。紫はどこからどう見てもおかしい。

「いや、もとからこの色はあってたまたま今日着けたという可能性も……」

 やがて照の、について考えている自分が気持ち悪いと思って首を振って考えを取り払い服を洗濯機に放り込んで浴室のドアを開けた。

 手っ取り早く熱いシャワーを浴びて髪と体を最初に洗う。

「あれは幻覚だ。うんそうだ」

 あの清楚系な妹があんなものを着けるわけがない。

 僕は自分にそう言い聞かせて湯船に浸かった。


 *


 次の日、朝に僕と照はコンビニに向かっていた。

 買い物をするわけではなく、バイトをするためだ。

 先も言った通り親は外国へ行ってしまっている。資金面で何か緊急事態があったら暮らしていけない可能性が出てくる。そのため中学校を卒業してバイトができるようになってすぐ、僕たちはここでバイトをすることにした。

「そういえばまだ何にも変わってないけど」

 ふと思いたって照に聞いてみる。対して照は涼しい顔であった。

「だから、高校デビューなんだから高校始まってからなんだってば」

「ああそう、そういうこだわりがあったのか」

 変わるのは明日、入学式かと心の準備をして僕たちは歩いた。

 やがて目的のコンビニまでたどり着くと知り合い、というか友人が働いていた。

「おーっすひかり。照ちゃんも」

 光というのは僕の名前だ。

「うん」

「おはようございますあかりさん」

「いいよ親族なんだからちゃん付けで」

 照に燈と呼ばれた店員の服を着ている女性は僕たちのいとこだ。年齢は僕たちの一個上。高校二年生だ。

 僕と照は着替えを早々に済ませ、店に出る。

「そういえば二人ともうちの学校だったっけ」

 現在は特に客もいなかったので話をすることにしたらしい。

「うん、だから燈は先輩だね」

 僕はかなり燈と馴染んでいた。照も同じくらい仲がいいはずなのだが聞き分けのいいことにしっかりと敬語を使っている。

 燈は照れくさそうに頬をかいた。そして誤魔化すように言う。

「母さんが二人に会いたいって言ってたよ」

 放任主義な母さんの代わりと言ってはなんだけど、僕たちは伯母さんに良くしてもらっていた。

「じゃあ近々会いに行きますね」

 これには照が答えた。本当、出来の良い妹だこと。

「たしか、新入生以外の人ってもう学校始まってますよね」

「うん、まあ今日は日曜日だからないけどもうクラスとかは発表されたよ」

「今まで違う学校だったから話題にならなかったけど燈って部活は何入ってるの?」

 中学校の部活は色々なところを転々としていた僕は参考までに聞いてみる。

「えーとね、私は美術部に入ってるよ」

「美術部か。たしかに前から絵上手かったしね」

「あ、そうだ、良かったら二人とも美術部入らない?」

「僕はいいよ」

 他の部活を見たら絶対迷うに決まっているので即決した。

 照を見るとうーん、としばらく唸ったあと、頷いて、

「はい。私も入ろうと思います」

「いいのか?前は運動部だったと思うけど」

 たしか陸上部でいい成績を残していた気がする。

「うーん、文化部もいいかなって」

「そう、ならいいや」

「やったね部員二人ゲット~」

 燈は嬉しそうにガッツポーズをした。

 ちょうど話が一段落した時に客が入ってきた。

 そしてそのあとも途切れることなく入ってきたので僕たちは昼休みまで忙しい時間を過ごした。


「疲れたー。今日はお客さん多かったね」

「まあ日曜日ってそんな感じじゃない?」

 やっと昼休みになると休憩室で一息をついた。

 ご飯はバイト割で買ったコンビニ弁当だ。

「そういや、照が高校デビューするって言ってるんですけど」

 ご飯を口に運びながら話題を出してみる。

 燈はふーん、と言って口の中の物を飲み込んでから、

「そりゃあ誰でも高校デビューはするよ」

 さも当然のように言われてしまった。

「え、そうなの」

「光もしたら?高校デビュー」

「そうだよお兄ちゃん」

 燈だけでなく照まで顔をズイと近寄らせて言ってくる。

「ま、まあ考えとくよ」

 即決しがたいことだったので最強の一旦保留を行使する。

「って言っても入学式明日だよね?早めにキャラは決めときなよ」

「私はもう決まってます!」

 なんなんだこの人たち。キャラ決めるって、あんたら役者か。

 そんなことを思いつつも一応返事はしておく。

「はーい。キャラねキャラ」

 とは言っても僕にはいわゆる属性と呼ばれるキャラしか思いつかない。

 ドS、ドM、ツンデレ、妹、お姉さん、ヤンデレ、アイドル、委員長、中二病、エトセトラエトセトラ……。

 ヤバい。何もできる気がしない。

「そんな難しく考えないでいいんだよお兄ちゃん」

 僕が頭を抱えていると優しい声で照が話掛けてきた。

「自分にあったキャラを見つければ」

「そうそう」

 ビシィ、と照と燈は親指を立てた。

 いや、そんなこと言われても。そもそも向いているキャラがわからないのですが。

「ちなみに私は天然キャラだよ」

「えぇっ!」

 燈の本当の姿を知っている僕は驚きしかなかった。彼女は何事も計算ずくで行動するタイプだ。まあ天然を作るのは造作もないことか。

「まだ私は秘密ね。明日からのお楽しみ」

 照は楽しそうに口に人差し指を当てた。

 みんな楽しそうだなあ。僕も演じるキャラ決めようかな。


「お疲れ様でした」

「お疲れ様ー」

 途中から顔を出した店長にバイトのシフト終了の別れの挨拶をしてコンビニをあとにした。照はもちろん、燈も一緒だった。

「そういえば珍しいね、ここまでシフトが一緒なんて」

 燈のシフトは早めに来て早めにあがるか、遅めに来て遅めにあがるかの二通りだった。

「たまたまだよ。ちょっと春休み遊びすぎちゃったからさ、休み一日使って稼ごうかなって」

「なるほど」

「高校生って感じですね」

 そうだ、高校生になるとお金を自分で稼いで自分で使うことができるようになるのか。照の言った自由さが少しわかった気がする。

「へへへ、でも遊んだ分働かなきゃいけないのがめんどくさいんだよね。高校入ってから親からのお小遣いなくなっちゃったし」

「それ、ものすごい大人っぽいですね!」

 照は目をキラキラさせて言った。本当に高校に期待してるんだな。

「そう言われると照れるねえ。でももう二人も大人の仲間入りだよ。明日からは高校生だし、何せもう働いてるしね」

「あとはあの馬鹿夫婦が帰ってくればいいんだけど……」

「あ、お兄ちゃん駄目だよ悪口は」

「すまんすまん。つい溜まったヘイトが」

「あはは。でも親はいたらいたで身動き取れないよ」

 燈はそう言って憂鬱な顔になった。

「家にいると口うるさいし遅く帰ってくると口うるさいし」

「燈も大変なんだねえ」

「本当だよ!もうちょっとお節介なところ直して欲しい」

「……ウザいとかキモいとか言わずにお節介って言う時点で反抗期の程度が知れるな。微笑ましい」

「なんか言った?」

「いいや何にも」

 なんだかんだで仲の良い燈の家族を羨ましがりながらふと気づく。

「あれ?燈方向違くない?」

 燈の家はもう僕たちと別れていなければおかしい場所だ。

 間違えたのかと思って尋ねるとああそのことか、と燈は笑った。

「間違えたんじゃないよ。入学式前日なんだから向こう泊まってきなさいって母さんが。意味わかんないよね」

「へー、伯母さんがそんなこと」

「まあ予備としてそっちに着替えとか諸々は置いてあるし、そのまま行こうかと」

「まさか僕たちとシフト合わせたのって?」

「うん、ついてくためっていう理由もあったよ。もちろん第一の理由はさっき言ったことで合ってるけど」

 たぶん高校という新しい環境に出るにあたって伯母さんが心配してくれたのだろう。

 その思いやりの心は素直に受けておくことにした。

「ありが――」

「えー!燈さん家来てくれるんですか!」

 お礼の言葉を言おうと思ったら興奮した照の声にかき消された。

 あ、そうだ照ってかなりの燈信者だったっけ。もはや親族じゃなくて神として扱っていたような。まさかいつも敬語なのってそういうことなのか……?

「うん、お風呂一緒に入ろうね。あと、さんじゃなくてちゃんでいいって」

「燈っていったい……」

「何してるの?ほら家着いたよ。入ろ入ろ」

「あ、ああ」

 僕は照と燈に続いて家に入った。


 ご飯を食べ終えたあと、照と燈は先の発言通り一緒にお風呂に入りに行った。

 というわけで手持ち無沙汰になった僕は今日話題になったキャラについて考えていた。

「僕に向いてるのって……平凡くらいしか思いつかないな」

 というかもとから平凡だったしそれ以外は演技しないと無理だ。

「でも燈は天然っていうキャラを演技してるらしいしなあ」

 高校では演技をするというのが大事なのかもしれない。

「となると、どんなキャラなら演技できるかだなあ」

 できるとしたら、中二病くらいか。でも黒歴史を量産するのは嫌だ。天然も僕には似合わないだろうし。

「やっぱ平凡でいいかなー」

 何をすればいいかわからなかったけどわざわざリスクを侵す理由もない気がして結局僕は素のキャラを通すことに決めた。

「光ちょっと」

 よし、と決心を固めていると風呂から出てきたバスタオル一枚の燈に呼ばれた。

 なんだろう、と思って近づくと『照はまだ入ってるから』と言って僕の部屋まで上がり込んできた。

「なんでそこまで警戒してるの」

 首を傾げて聞いて、燈の格好を見て慌ててシャツを差し出した。燈は『親族なんだから大丈夫でしょ……』と言いながらも素直に着てくれた。

「で、なんなの」

「光は知ってたの?」

「何を?」

 質問の意味がわかりかねて聞き返す。

 燈は決まってるでしょ、と人差し指を立てて、

「照ちゃん、あんな派手なパンツ履いてたっけ?」

「な……」

 その一言で僕は昨日のことを思い出した。僕が見た紫のあれは幻覚じゃなかったのか。

「前は清楚系だったよね。というか今までずっと」

「うん。たしかに変だよね」

「まさかあれが高校デビューの前座なんじゃない?」

「あれが?」

 燈はゆっくりと頷いた。

「高校デビューするにあたって気持ちからっていうことで下着から変える人は多いのよ」

「へえ……」

 何その新常識。気持ちからって。それにしても高校デビューする人って限られた人しかしないと思ってたよ。みんながみんな高校デビューしてたのか。

「だからね、私が思うに照ちゃん、一八〇度くらいキャラ変えるんじゃない?」

「な、なんだと!清楚系優等生が一八〇度……!」

「ま、まあ照ちゃん常識は弁えてるからヤバいことにはならないと思うけどしっかり心の準備はしておいた方がいいと思うよ」

 燈はそう忠告すると部屋から出ていった。

 僕は寝るまでずっと戦慄せずにはいられなかった。


 *


 そしてついに入学式当日。

 本当に妹がキャラチェンしていた。

 しっかりとアラームの時刻に起きて伸びをしながら部屋を出ると前を照が歩いていた。

「照、おは――」

 声をかけようとして踏みとどまる。

 照が、何か言っている。

「¥%k#j$g&☆u♪e○*:」

 耳を澄ましても、何を言ってるかわからなかった。

 なんというか、こう、人間の言語ではない気がした。

 燈は朝早めに家戻って支度すると言っていたから今はいない。

「お、おはよう照」

 なんだか別人の気もしたが伊達に十五年一緒に暮らしていない。しっかり本物判定を出して改めて挨拶する。

「あ~お兄ちゃんおはよー」

 良かった。人外の言語を発さなくて。でも明らかに今までのキャラとは全く違う気がした。


 朝ごはんを食べているあいだも照の異常は続く。

「きょーからこーこーだねー」

 大人らしかった口調も幼く退化している。

「どうしたんだ、急に。何かあったのか?」

「えー?なんにもかわってないよー?」

 駄目だ、かなり重症だ。酒でも飲んだのかこいつは。

 と、そこで僕は昨日燈が言っていたことを思い出した。

『照ちゃん、一八〇度くらいキャラ変えるんじゃない?』

 まさか、まさか。

 これがお前が演じるキャラだというのか!?

「照、さすがにそれはやめた方が――」

 いいぞ、と言う前に口を塞がれた。

 照の口で。

「な、なにやってんじゃおい!」

 キスされた僕は動揺しながらも、押し返して照を引き剥がす。

「えへへ~。これが挨拶ってもんだよー」

 照は照れる様子もなく焦点の合っていない目で言った。

 本当に酒飲んでないだろうな?いや、でも今アルコールの匂いは全くしなかった。

 ということは……。

「嘘だろおい……」

 僕は思わず後ずさりしてしまう。


 高校生活初日。

 妹が、壊れました。

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