夏に届いた花便り(4)



 ウォルトが贈ってくれた小さな苗木を、レオンとハナは大切に育てた。


 二人はすぐに言い争いをする。けれど、けんかをしても翌日の早朝には忘れて、同じように薬草園の手入れをする。そんな日々が続いた。

 最初の頃は枯らしてばかりだった薬草園に、緑が生い茂っている。花壇の横には、二株の芙蓉が、植えたときの三倍くらいの大きさに育っていた。


「まだ小さいけれど、これって蕾かしら?」


「ああ、そうだな。よかった、今回は失敗しなくて」


「レオンはよく頑張ったわ。この屋敷の庭師になるのなら、ハイラントだけじゃなく、東国の草花にも詳しくないと!」


 ハナは東国の植物の育て方を、ハイラント語で記してまとめていた。今は輸入するだけの薬草を、国内で栽培すればそのぶん、コストが下がる。そうしたら、庶民にも東国の薬が広まるかもしれない。そして、薬草園の規模を大きくしたら、その管理はレオンにしてもらう。そんな夢を抱いていた。


「最初はお嬢さんの子守なんて嫌だったけど、字も前より書けるようになったし、……その、あ、あり……とな?」


 彼はお礼の言葉を口にしようとしたのだ。真っ赤になってうつむいて、口の形だけは「ありがとう」と動いていた。それがわかっただけで、ハナのにやけた顔がもとに戻らなくなる。


「都に来てよかったよ」


 彼がぼそりとそんなことを言った。最近はあまり気にならなくなったが、レオンには地方出身者特有のなまりがあった。はじめて会った日にそれは察していたが、なぜ都に来たのか、それまでどこに住んでいたのか、ハナは今まで聞けずにいた。


「レオンは、庭師になりたくて都に来たの?」


 過去をたずねて、「詮索するな」と突き放されたら傷つく。きっとハナはそれが嫌で、ずっと触れずにきたのだろう。

 ハナのほうは、家族や家庭教師のこと、ヒノモトでの生活を彼に話している。それなのに、彼はあまり自分のことを語らない。

 このときの彼女は、彼に対する興味が勝り、つい余計なことを聞いてしまった。

 冷やかしや興味本位ではなく、純粋にレオンのことをもっとたくさん知りたかった。


「食いぶち減らしだよ」


 たいした興味もなさそうに、まるで他人事のように、彼は都に来た理由を教えてくれる。


「くい? なに?」


 今では、ヒノモトの言葉よりも、ハイラント語のほうが得意になっているのに、ハナには意味がわからなかった。聞いたことのない言葉だった。


「良家のお嬢さんには、さすがに意味がわからないか……」


 ハナはこくんと頷く。彼のつぶやきは、言葉を知らない者をばかにしている様子ではない。


「めちゃくちゃ貧乏で、親に捨てられたってこと」


「え……?」


「もっと最悪な場合だと、子供に借金を背負わせる人身売買みたいなのもあるらしいから、俺はまだいいほうだ。親方はいい人だし、ちゃんと給金をもらっているしな」


 ハナは、十二歳から仕事をはじめた彼を、志が高い人なのだと思っていた。親方が厳しくも優しい人物だから、彼は不幸な身の上ではないと、勝手に決めつけていた。


 そうではなかった。彼には、それしか選べなかったのだ。


「知らなかった……あの……私っ!」


 ハナは、彼に余計なことを聞いたことよりも、考えなしだった過去の態度が恥ずかしかった。親の話が一切出てこない理由を、なぜ少しも想像しなかったのか。後悔しても遅かった。

 ハナの瞳から、涙があふれる。


「話さなかったから当然だろう。面倒くさいから泣くなよ、お嬢さん」


「家族に会えないの? それなのに、私は……」


「会えないんじゃない、会わない! だから、泣くなよ。お嬢さんのことじゃないんだからさ」


 まるで、親を憎んでいるような強い口調だった。ハナに対する怒りではないのに、彼女は自分が憎まれているような気持ちになる。


「私、無神経で、世間知らずで、ごめんなさい! ごめんなさい、レオン」


 ハナは今まで、彼に家族の話をたくさんしてしまった。外に出る機会の少ない、上流階級の令嬢特有の事情もある。とにかくハナを取り巻く世界は狭いのだ。

 だから母が目標であるということ、父やウォルトから高価なものを買ってもらったこと、家庭教師がいつも厳しいこと。なんでもレオンに話していた。


 それが、彼にとってどれだけ残酷だったか、知りもしないで。


「なんとも思ってない。いちいち他人をひがむような、小っさい男だと思われるのはムカつく」


 そう言って、彼はハナの頬を伝う涙をぬぐう。年齢のわりにゴツゴツとした、職人の手は、ほんのり土の香りがする。


「私、本当に勝手なの! レオンが恵まれていないことを泣いているんじゃないの。……無知で、ばかで、それが恥ずかしくて。レオンに嫌われたらどうしよ……って、そればっかり」


 ハナは正直に泣いている理由を告げる。彼女はレオンの不幸を悲しんでいるのではない。彼女にはレオンの話す「食いぶち減らし」をするほどの暮らしが、どれだけ苦しいか想像できないことだから。

 そうではなく、今までレオンがどんな気持ちでハナの自慢話を聞いていたのかを想像して、泣いているのだ。涙の理由すら、子供っぽくて自分勝手だった。


「俺に、嫌われたくなくて? ふーん、そう……」


 ゴシゴシと涙を拭き取る手が、ぴたりと止まる。


「レオン?」


 目が合うと、彼ははっきりと笑った。いつもの彼とは少し違う、からかう気持ちのない、純粋な笑顔。それは、ハナを嫌っていないと、安心させるためのものだった。

 まっすぐに視線を向けられると、彼女は急に恥ずかしくなる。どうしていいのかわからなくなった。触れられた頬が熱く、耳まで熱を持つ。

 羞恥心は伝染するものなのかもしれない。だんだんとレオンの顔も真っ赤に染まっていく。

 今日はけんかをしていないのに、ハナはなんとなく、目をらしたら負けのような気がして、動けずにいた。


「あっ! 頬に泥がついた。ごめん、俺の手、すごく汚かった」


 レオンの手がぱっと離れた。けれど、土の匂いは消えずに残る。きっとハナの顔は、涙と土で大変なことになっているのだろう。


「……洗えばいいよ。私、土の香り、とても好きだから」


 それはいつもレオンがまとっている香りだ。

 この日、朝の作業をしているあいだ、ずっとぎこちないままだった。けんかをしているわけでもなく、居心地が悪いわけでもなく。頬の熱がいつまでも引かない。不思議な感覚だった。


 朝食の時間が近づき、ウォルトが様子を見に来るまで、ハナの心は落ち着かないままだった。


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