からくり箪笥と恋文(2)
馬車にゆられて一時間ほどで、海沿いの道に出る。どんよりとした天気のせいで靄がかかり、遠くまで見通すことはできないが、ユウリにとっては優しい日差しだった。
「少し、窓を開けていいかな?」
たった一時間の旅でも、窓の外の空気が違う。海風に運ばれて、馬車の中に潮の香りが届けられる。
「あそこが港だね? 今日は大きな船が泊まっているね」
ユウリの向かいに座るエルネストが指さす場所には、二隻の大型船、ほかにも多くの船が停泊している。すぐ近くには、交易品を保管する倉庫が沿岸にそうように規則正しく並ぶ。
そのうちのいくつかはワトー商会の港湾倉庫だ。
貿易商の倉庫が立ち並ぶ海沿いの道をしばらく進むと、上り坂になる。立派な教会の前で馬車が停まり、そこから先は徒歩で丘の上をめざす。
エルネストはユウリより先に馬車を降り、自然な動作で手を差し出す。
(すごく、慣れていそう……)
ユウリはエルネストがどういう男性なのか、よく知らない。けれどなんとなくいろいろな遊びを知っている、大人の男性なのだということは察している。
しぐさも立ち振る舞いも洗練されていて、女性に対する接し方にはそつがない。
それに比べて、ユウリは世間知らずのひきこもりで、人付き合いが下手だ。吸血鬼の末裔という本人にはどうしようもできない部分を除いたとしても、最初から釣り合わない。
違いを見せつけられると、ユウリの胸がぎゅっと締め付けられるように痛む。だから、彼女はエルネストが嫌いなのだ。
階段のあるところでは当然のように手を差しのべてくれる。嫌いだと思いながら、ユウリは結局、彼を拒否しない。
心は拒否したいのに、彼女の人ではない部分がエルネストに囚われてしまっているせいだ。
そのまま手を繋いで、二人で祖父母の墓まで歩く。ユウリが不機嫌でも、彼はいつも柔らかい笑みで彼女を見つめる。その余裕が、彼女をさらに苛立たせる。
「ハイラント歴七五一年六月……と七月。君は随分と立て続けに、家族を亡くしてしまったんだね?」
石に刻まれた文字を見つめていたエルネストが、驚いた様子でそう言った。
「ええ。でも、高齢でしたから。お祖父様とお祖母様はとても仲がよかったので、天国でも二人一緒なら、……幸せだと思います」
ユウリとしては、そう答えるしかない。
祖父は病気で亡くなった。けれど祖母が亡くなったのは、病気でも寿命でもない。
ユウリはそれを悲しいことだとは思わない。吸血鬼の末裔にとって、一番幸せな終わりの迎え方だから。
「そうか……」
「どうかされましたか?」
「いや」
エルネストが墓の前で瞳を閉じて祈りを捧げる。ユウリは、ここへ来る前に買った花を手向けてから、彼の隣で瞳を閉じた。
(お祖父様、お祖母様。私は、本当にばかなことをしてしまいました。エルネスト様はきっと優しくていい方です。けれど、きっといつか……いなくなってしまう方です。……だって、恋人ですらないんです)
彼にはこんな話、到底言えなかった。エルネストは悪い人間ではない。進んで血を飲んで、エルネストが血を与えてくれなくなったら、そのうちに死んでしまう。
本当に無責任なのは彼ではなくて自分のほうだと、ユウリは思う。勝手に恋をして、なにも説明しないまま彼の血を口にしたのだ。
あなたがいないと死んでしまうから、一生一緒にいてほしいなど願うのは、あまりにも浅ましい。
(ごめんなさい、お祖母様。何度も注意されていたのに、本当にばかです……)
吸血鬼の末裔はひどく不器用で、よく言えば一途なのだ。きっとこの国に渡ったユウリの曾祖父も、本当は
けれど、祖母が選んだのはただの庭師だった。血の宿命で、好きになった人以外は伴侶にできないのだから仕方ないと、最終的には認められたが、きっと苦労もあっただろう。
だから生前の祖母は「好きになる相手は選びなさい」と口うるさく言っていた。
体質に理解があって、身分の釣り合う相手を好きになれば、幸せになれるという意味だ。
けれどユウリが「どうやったら都合のよい相手を好きになれるの?」とたずねたら、「そんなこと、知りません。知らないから苦労したの」とも言っていた。祖母は自身を反面教師として、ユウリの幸せを願っていたのだ。
(私も、できませんでした。お祖母様)
ユウリは長い時間、心の中で一方的に祖父母に話しかける。そして言いたいことを言い終えてから、ゆっくりと目を開く。ちらりと横を向くと、エルネストはまだ胸に手をあてて、なにかを祈っていた。
「伯爵様?」
「ん? ……ああ、もういいのかい?」
「はい、お祖父様とお祖母様に、近況報告をしていただけですから」
「その報告の中に、ちゃんと私は出てきただろうね?」
ユウリの近況報告は、ほぼすべて彼の話になってしまう。仕事を頼まれたこと、
彼の問いを否定することができない。でも、自信満々で「出てきているだろう? そうだろう?」というような態度をとられると、腹が立つユウリだ。
「……ええ。変な貴族の方と知り合いになりました、と」
「変なって……? まぁいいか」
エルネストはどこまでも寛容だ。ユウリは、彼が離れてしまったときの言い訳のためだけに、素直になれずにいる。
もし本音をさらけ出して、彼に真実を告げたら、自分が彼に依存しているだけの弱い人間になるような気がして、怖かったのだ。
行きと同じ通路を通って、馬車のある場所まで二人で戻る。途中、階段がある場所まで来ると、彼がまたユウリに手を差し出した。
そこから手をつないだままでしばらくすると、エルネストが急に歩みを止める。
彼の見つめる先には、黒い服を着た青年が墓標の前で片ひざをついて
足もとに、なにか紙のようなものを燃やしたような、残骸が散らばっている。
故人に伝えたいことを手紙にして燃やし、煙と一緒に届いてほしいという願いをこめたのだろうか。
ユウリは、青年の邪魔をしないように、ほかの通路から馬車に戻ろうと一歩うしろにさがる。
「ジョエル、ジョエル・ウェラー?」
エルネストが黒衣の青年に向けて声を掛ける。
すると青年は、ゆっくりと立ち上がり二人のほうを向いた。
アッシュブラウンの髪にモスグリーンの瞳の青年は、エルネストの存在に気がついて笑う。
「ああ、エルネストか。こんなところで会うとは奇遇ですね。ええっと、そちらのレディは……」
「知っているだろう? 私の魔女殿だよ」
「わた……? あなたのじゃないです!」
ユウリは握られたままの手を無理やり離し、真っ赤になって彼の言葉を否定した。
「……ユウリ殿、こちらはジョエル・ウェラー男爵だよ」
「はじめまして。ユウリ・ワトーと申します」
エルネストは故意にユウリの抗議を聞き流す。勝手に自己紹介を進めてしまうから、彼女もそれに従うしかない。
「あなたがワトー商会のご令嬢ですか。時々エルネストから話を聞いていますよ」
ジョエルはいかにも好青年といった雰囲気の人物だ。めずらしい黒髪黒目のユウリを見ても、嫌な顔をしない。
「お二人はご友人同士なのですか?」
「寄宿学校時代からの友人、ということになるのかな。前に薬学の本を借りただろう? 本当なら彼が読むはずだったんだ。シンカの言葉に堪能な、将来有望な外交官……ということになっている。一応ね」
「一応は余計ですよ! 薬学など専門外だったのだから、仕方のないことでしょう?」
ジョエルがシンカ国の言葉が堪能な外交官ならば、ユウリの外見に驚かないのは当然だ。彼は日頃から職務上の付き合いで、東国の人間を見慣れているはずだから。
「……だけど、東国の魔女殿に会えたのは奇跡かもしれません。じつはあなたに相談したいことがあるのですが」
「私に、ですか?」
突然の話にユウリは驚く。
「ええ、じつは、亡き父の――――」
「ちょっと待った! 悪いけれど、魔女殿への依頼はすべて私を通さなきゃならない決まりになっているんだ。勝手な行動はしないでもらいたい」
ジョエルの言葉をエルネストが遮る。
「そんなこと、勝手に……き……っ!」
彼の勝手な言葉に、ユウリが抗議の声をあげようとすると、思いっきり口をふさがれる。
「すまない。少し待っていてくれ」
エルネストがジョエルにそう言って、ユウリをほとんど引きずるようにして連れていく。
近くにある大木の影まで来たところで、彼女はやっと解放される。
「ユウリ殿。君は世間知らずで大事な部分で警戒心がなさ過ぎる。まず、男性と二人きりになって、君が無事でいられるなどと思わないほうがいい。だから当然、相談になんて乗る必要はない」
それだと、女性が一人で営んでいる店に毎度やって来る、エルネストの存在はどうすればいいのか。ユウリは
「私は別だよ。君はいつも私のことを警戒しているけど……いいかい? 逆だよ、逆」
「逆、ですか?」
「全世界で、安全な男は私だけと思っていて間違いはない。ほかは全員危険だ!」
どこからそんな自信が湧いてくるのか、ユウリには理解できない。
二回目に魔女の店を訪れたときに、彼は自分のことを危険人物だと言っていたのに、もう忘れている。
けれど、いちいち指摘してもどうせ独自の見解を雄弁に語り出すだけだ。まだ知り合ったばかりだが、この青年はそういう人物だとわかっている。だからユウリは不毛な言い合いをせずに、話を進めることにした。
「……でも、お仕事の話でも聞くなとおっしゃるのですか? 私はお祖母様のような、街の人たちから慕われる魔女でいたいんです」
「いいや、だから私が一緒に彼の話を聞くよ。そして、私が彼からの依頼を引き受けよう。もちろん報酬は私が支払う」
「報酬……?」
ユウリがじっと彼の青い瞳を見つめると、エルネストも真剣な表情で見返してくる。報酬は彼の血だと、そう言っている。
「ほしくないのかな? それとも、今回は彼からもらいたい? ……君の秘密を知る人間が増えるのは、あまりよろしくないと思うけど?」
ユウリはエルネストの血しかほしくない。あげる、と言われただけで期待で喉が渇くほど、彼の血に囚われている。
「で、でも。それで伯爵様にはなんの得があるのですか?」
「まったく君は困った人だ! ……まぁいい、私も貴族だからね。“高貴なる者の義務”というのがあるだろう? 友人を助けるのは当然だということにしておくよ。とにかく、依頼を受けるなら、私も一緒に。いいね?」
こうして密談を終えた二人は、ジョエルのもとへ戻り、詳しい話を聞くことにした。
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