10-4
†
〈一年前 あの夜 弊社社屋〉
僕には
それは出血と疲労とが見せる虚像であって、実際には存在しない妄想に過ぎない。だけど、僕にはその幻が誰かが僕に見させているもののように思えていた。
その幻覚とは、蝶だ。
レンゲを喪い、リンを喪い、倒れるようにして弊社に戻ってきた僕だが。脳裏にふっと蘇ったリンの言葉に突き動かされ、立ち上がり、社屋の中を迷走していた。
そんな僕の視界に現れた一匹の青い蝶。それは僕を導くようにして先を行く。僕はその姿を追い、気づけば地下の倉庫まできていた。
倉庫の扉には、Reine Yuzlihaの名前が記されている。そうだ、そこはリンのロッカールームだった。彼女が任務の間際、「いずれ必要になるから」と案内してくれた場所だ。
ドアを開けると、ロッカーなかは銃火器のウォーク・イン・クローゼットになっていた。僕はリンのHK45CTを握りしめて、そのなかを歩き回った。そして彼女の残り香を確かめるみたいに、遺された装備の一つ一つを探して回った。
いくつも並べられたサブマシンガン、カービンライフルに、スナイパーライフル。それに化粧台には
黒、紺、グレーにストライプ。リンが着ていたスーツが並ぶ。私服の革ジャンや、ジーンズもある。僕はその一つ一つを手でなぞり、そして一着一着から彼女の姿を思い浮かべていた。死んだなんて……裏切ったなんてウソだと。そう念じながら。
そうして彼女のジャケットのうち一つを手に取ったときだ。
僕は、その衣服の奥になにかを見た。黒い物体。平べったい、携帯端末らしきもの。タブレットだった。
「……どうしてこんなところにタブレットが……」
手にとって、ホームボタンを押す。すると、二時間ほど前に一件だけ通知が着ていた。どうにもクラウド上で新しく映像が同期されたらしい。
――二時間前……。
その時間は、ちょうどリンが殺された時間と合致する。何か意図を感じた僕は、すぐにそのファイルを開こうとした。だけど、あいにくパスワードがかかっていた。入力画面が僕に冷たく告げる。「おまえには開けない」と。
だけど、それでも僕は何か感じていたのだ。
――リンはどうして任務の直前に、僕にここを案内した?
――この映像を同期したのは、間違いなくリンだ。
――リンが、僕に見て欲しいと言ってるのだ。
僕はそう思った。いや、そう思いこもうとしたんだ。
すぐにパスワードの入力を始めた。
一回目、入力したのは彼女の名前。もちろんダメだった。
二回目、『雪乃下シノ』。これもダメだった。
タブレット画面には、「あと一回の失敗で、端末を一時間ロックします」の文字。僕には、そんな悠長に待っている時間はない。次でパスを解くしかなかった。
一か八かだ。僕は入力した。僕の名前――守田セイギという名前を。
まもなく、ロードのマークが出てから、ファイルが開かれた。正解だったのだ。彼女は、僕の名前をパスにしていたのだ。
*
Reine Yuzliha speaking :
この映像を見ているってことは、きっとわたしは死んでいるはず。
キミはこの映像を見て泣いてるかもしれない。わたしが死んだって。裏切ったなんて嘘だって。でも、どうか泣かないで。前を向いて。
いい? キミはこれから大切なことをするの。だから、お願い。泣かないで。
……でも、一つ約束して欲しいの。わたしの死は隠蔽されるわ。真相はすべて闇に葬られる。この映像もすぐに削除されるわ。そう仕組んであるの。キミが見たら、すぐにデリートされるわ。
わたしの言いたいことわかる? つまり、わたしのことは弊社にすら悟られてはいけない。真相に近づくのは、キミ一人でいいの。そうじゃなきゃダメなの。だって、そうしないと――そう、キミが助からないから。
御堂アキラにはよろしくの弾丸を。あと、会長にもよろしく言ってね。
……じゃあね、セイギ。愛してる。心から、ずっと。
――生まれ変わっても、ずっと……。
*
一連の映像はリンの独白に始まり、彼女の死に終わった。リンのビデオメッセージが終わるや、映像はリンの視界――パルドスム内部での映像に切り替わった。きっとリンは、
そうして映像は、御堂アキラが銃を突きつけ、リンがその死を享受したところで途切れた。そのあとの展開は、きっと僕が知る通りなのだろう。
その映像が僕を驚かせたのは、言うまでもなっかった。だけど、まっさきに僕が感じたのは、御堂アキラへの憎しみなどではなかった。
「……どうして」
彼女の愛銃を握りしめ、僕は問うた。だけど、もはや死人となった彼女が答えるはずがない。リンはただ、僕に「白晶菊を追え」とだけ言い残し、逝った。彼女の返事というのは、もうそれしかないのだ。
気づけば僕はタブレットを落とし、その場に呆然としていた。憎しみよりも疑念の方が勝って、完全に茫然自失だった。
しかし、そんな僕を現実に引き戻す。僕の携帯端末が震え、無線通信を開かせた。御楯会長からだった。
「守田君、いまどこです? すぐ戻ってきてください。リンについて情報が知りたいのです」
「……僕に聞いて、どうするんですか?」
ハンズフリー通話のまま、僕は問うた。
「パルドスムを追う手がかりが必要です。リンは、その手がかりだ」
――違う。
リンは、裏切り者なんかじゃない。
僕はそう言おうとした。タブレットを見せて、あの映像を見せれば会長も納得するはずだ。そう思って、落としたタブレットを拾い上げたけれど、しかしそこには残念な通知があった。
ビデオファイルが削除されていたのだ。僕が見たら削除されるよう、リンが仕込んだのだ。タブレットの中身はスッカラカンになっている。サンプル用の犬の映像しかない。
「……リンは、裏切り者じゃない」
――じゃあ、どうして彼女は自分自身を消すようなことを……。
僕はつぶやきながら、両手は自然と銃をつかんでいた。リンが僕に遺したものたち。それを拾い上げ、両手いっぱいに抱える。
「守田君、どうしました? いまどこです?」
「……ごめんなさい、会長」
「いったい何を言ってるんですか? 君は重要参考人です。すぐに戻ってきなさい」
「いやです」
「受け付けられません。……頼みます。戻ってください。手荒なマネはしたくない」
「ダメです。リンは裏切ってない。……でも、あなたたちはきっとそれを信じないから」
だって、御堂アキラはウソをついている。
リンは自分の死を隠蔽しようとしている。
真相を知るのは僕一人でいい。だったら……。
「仕方ありません。後悔しても、知りませんよ」
「……ええ。覚悟なら、僕も今しましたから」
端末を床に投げ捨て、銃弾を二発撃ち込む。かたやリンが遺した
遠くから、足音が幾重にも重なって聞こえてきた。それはすべて僕を追ってきた弊社社員の足音だった。僕を殺してでも連れ戻そうとする、会長の思惑の現れだった。
――だけど、そうはさせない。
リンが遺したいっぱいの銃を手に、僕はその場を飛び出した……。
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