9-6

 銃声。

 それはレンゲが外したヘッドフォンから響いていた。ヘッドフォンの音量など大したものではないが、しかしこの静寂のなかだ。銃声はひときわ大きく響いた。

「これって、サブマシンガンの発砲音……。なにかあったんだ!」

 僕は条件反射的に銃を抜いていた。ショルダーホルスターに差したHK45CT。それを手に取ると、僕の足はバン後方のハッチに向かっていた。

「おい、新人! どこに行くつもりよ!」

「きっとリンに何かあったんだ。助けに行きます!」

「アンタは後方支援だ! いま映像を確認するから、ちょっとまっ――」

「いますぐ行かないでどうするんです! いまがの支援のときでしょ! レンゲ、バックアップを。僕が二人のサポートに行きます!」

「くそったれ。……わかった。状況把握はこっちに任せて。アンタは先に行って」

「ありがとう。頼みます!」

 僕は一言礼を述べて、バンから降りた。

 でも、次の瞬間には、もっと他に何か言っておくべきだったと後悔した。

 ――爆風。

 突然、熱風が僕の背中を押した。鼓膜を突き破るような爆発音。そして肌を荒く撫でていく金属片。吹き飛ばされる体。世界が大きく回転する。

 気づくと、僕はバンの車内から大きく吹き飛ばされ、路肩のガードレールに背中を打ち付けていた。まるで熱した鉄をあてがわれたようだ。熱く、ジリジリと痛む。視界もぼやけて何も見えない。ただ喉奥から湧き上がる気持ち悪さが、思考を遮りつづけていた。

 そうしてようやく落ち着いて目を開いたとき、目に映ったのは炎だった。

「……うそ、だろ……?」

 目に飛び込んできたのは、燃えさかるバンだ。後部ハッチが熱に溶かされて変形している。フロントガラスが爆ぜたのか、路肩にはガラス片が散乱していた。タイヤもリムが変形して、もう自走できそうにない。すでに巨大な炎の渦になりかけていた。

「レンゲ! レンゲ、聞こえるか!」

 肺が焼け付くような痛みに悶つつ、僕は叫んだ。だけど返事はなかった。バチバチと炎の呼吸音が聞こえるだけだ。

「嘘だろ……。くそ、これじゃあリンも……!」

 カラダが思うように動かない。

 レンゲが生きているかもわからない。

 リンが生きているかもわからない。

 ――いや、この爆発なら、きっと……。

 僕の脳裏には恐怖の二文字がわめき立っていた。心臓の鼓動が早くなり、最悪のヴィジョンを想起させる。 

 ――でも。それでも、いま立ち上がらないと……。

 さもなくば自分の身も危ない……。誰かを救いたいという思いと同時、死への恐怖が僕を突き動かしていた。

 銃を握りしめたまま、アスファルト手を突き、カラダを起こす。そして足を引きずりながら、僕はゆっくりとパルドスム財団の日本事務局、その屋内へと歩き出した。


 僕が正面玄関にたどり着いたとき、すでに事務局内では消火用スプリンクラーが作動していた。その人工の雨は、火の手の回っていない玄関口にも降り注いでいる。

 鼻孔をくすぐるのは、灯油に匂いと、プラスチックが焼け落ちる独特の匂い。僕は匂いのするほう――つまり、リンと御堂アキラが向かったオフィスに急いだ。

 オフィスはすでに炎に包まれていた。いったい誰がこんなことを起こしたのか? 偽装バンには爆弾が仕掛けられて、事務局は燃えだした。こんな大惨事になるなんて誰が予見したというのだ?

 足を引きずりながら、何とかオフィスの中へ。扉を肩で押し開けると、僕は銃を構えたまま押し入った。

「リン! 御堂さん! 聞こえますか!」

 炎で焼けた喉にムチ打って、僕は必死に叫んだ。声がかすれようが気にしなかった。燃えさかるオフィスに向けて、僕はがむしゃらに叫び続けた。

 やがて一つの返答があった。それはイヤフォンから、無線通信によるモノだった。

〈誰か聞こえるか? 聞こえるか、烏瓜、守田〉

 と、息切れした声。御堂アキラだった。

「御堂さん、いったいなにがあったんです?」

〈良かった。生きていたか、守田。……いいか、作戦は失敗した。楪が裏切った。彼女は、パルドスムに買収されていたんだ。この炎と、爆発はすべて彼女によるものだ〉

「そんな、まさか!」

〈信じたくないのはわかるが、そのまさかだ。烏瓜はどうした?〉

「それが、爆発に巻き込まれて……」

〈……その口ぶりだとあまり良い状況ではなさそうだな〉

「はい……。あの、それじゃあリンはいまどこに?」

〈俺が手を下した。オフィスに死体があるはずだ〉

「手を下したって……。あの、殺したってことですか?」

〈端的に言えばそうなるな。……俺はこの場から脱出する。守田もはやく逃げるんだ。生きて情報さえ持って帰れれば、俺たちの勝ちだからな。楪みたく余計なことは考えるなよ。オーバー〉

 通信はそこで切れた。

 ――リンが、裏切っただって?

 ――彼女が僕らを殺そうとしたというのか?

 理解が追いつかない。いったいどういうことなのだ。リンがパルドスムに買収されて、僕らを見捨てたということなのか? じゃあ、どうして彼女は最終試験だとか、そういう話を僕にしたんだ? すべてはウソだったというのか。

 ――そんなはずない。

 僕は心のどこかで、深くリンのことを信じていたのだと思う。教官として、上司として、女として。そして一人の人間としての彼女を。

「リン、まだいるんでしょ! 答えてください! あなたは裏切りなんてしないし、こんな簡単に殺される人じゃないでしょうに!」

 気づけば僕は炎の中を割って入り、彼女の姿を探していた。


 ――見つけた!

 彼女はオフィスの中、デスクの下に倒れていた。ちょうど火の手の間で、炎に囲まれてそこにいた。祭壇のように広がるデスクと炎のなかで、彼女は生け贄のようにして横たわっていたのだ。

 生け贄という表現は間違っていないのかもしれない。リンは胸から血を流し、目を閉じ、ピクリとも動かなかった。僕が駆け寄ったときも、彼女は何の反応も示さなかった。

「リン! 大丈夫ですか!? 僕です、守田セイギです!」

 呼吸確認……非常に浅いが、まだ息はあった。大慌てでワイシャツを破くと、包帯代わりにして胸に縛り付ける。気休め程度だが、止血にはなった。気道を確保すると、僕は火の中で心臓マッサージを始めた。

「リン、目を覚ましてくれ! あなたが裏切り者で、僕らを殺そうとしたなんて……そんなのウソだ! いったい何があったっていうんだ!」

 無我夢中で胸骨を圧迫する。肋骨が折れようが気にしなかった。それよりも、心停止して死んでしまったほうが大事だ。

 しばらくして、浅かった息が少しだけ吹き返した。でも、リンは死にかけていた。

「リン!」

 僕は叫び、なおも胸骨圧迫をやめなかった。

 人工呼吸だってやった。僕は衛生兵なんかじゃないけど、蘇生技術の心得はあった。それは守田セイギの記憶からなのか、それとも秋桐ユキトのものなのか、はたまた雪乃下シノのものなのかわからなかったけれど。

 やがてどれだけ彼女と唇を重ねたころだろう。お互いに炎に焼かれ、乾ききった唇をすりあわせていたとき、彼女の息が少しだけ回復した。

 むせかえるように息をした彼女。それから彼女の虚ろな目は、僕の姿を認めた。もうろうとした意識のなかで、夢遊病のように。

「……セイギ……あなた、なに……やって……」

「助けるんですよ! かつてリンが、僕にしたように!」

「……ムダ、よ……。あの、ね……わたし、ここで死ぬ運命、なの……」

「運命? 死ぬ運命ってなんだよ!? リンは裏切り者で、僕らを殺そうとしたって。それは本当なのかよ!」

「いい、え……嘘よ……。……でも、御堂くんは、そう言う、でしょうね……。弊社も、そう認めると思う……」

「じゃあ……!」

 止血帯を再びきつく締め上げる。すこしでも長く彼女を生かしたかった。たとえカラダがすり替わっても、彼女を生かしたいと思った。そう思えていた。

 だけど、彼女自身の手がそれを止めた。リンの手は僕に優しく触れて、救いを払いのけたのだ。

「……わ、たしは、ここで死んでもいい、の……でも、ね……ここでキミが死んだら、本末転倒、なのよ……」

「なにが!?」

「すべてが、よ。わたしが、こうして死ぬことも、すべて……。だから、逃げて……」

「イヤですよ!」

「だ、め……。これはね、命令……よ」

「そんな命令聞けないです!」

「じゃあ、脅迫……」

 すると彼女の右手が力なく動いて、握っていた銃を僕に向けた。サプレッサーを装着したHK45CTだった。

「脅迫だなんて、馬鹿なこと言わないでくださいよ!」

 彼女から銃を取り上げる。そして僕は再び救命措置に戻ろうとした。

 だけど、それでもリンの手は拒んだのだ。救われることを。この場で死ぬことを望んだのだ。

「……もうやめてよ……それより、さ。……タバコ吸わせて。胸の、ポケットにある、から……」

「リンがそう望むなら……」

 不服だった。でも、彼女が望むなら、僕はそうするしかなかった。

 ハイライトメンソールを一本取り出すと、マッチで火を点けて彼女の口に銜えさせた。その唇は非常に弱々しかったけれど、確かにフィルターを挟んで、紫煙を喫んでいた。

「ありがと……あとは、キミにあげるわ……形見だと思って」

「形見だなんて、そんなこと言わないでください」

「……えへへ、死ぬ間際、なんだから。わたしにだって、ちょっとカッコつけさせてよ……」

 紫煙を吐く。でも、そこにはもう口惜しむように嗜む彼女の姿はなかった。結局うまく吸えなくて、リンは咳き込み、タバコを炎の中に落とした。

「……ダメね。タバコも吸えないなんて……。じゃあ、こうしようか……。……ねえ、キミ。……カンシロギクの花言葉って、なんだと、思う……?」

「こんなときに何言ってるんですか!」

「いいから……カンシロギクの、花言葉はね、『リンネ』なの……。輪廻、転生……。でも、ね……どうしてそういう意味なのかは、だれも、知らないんだって……。由来不明、なの」

「それがどうしたっていうんです! 生まれ変わりなんて、輪廻転生なんて存在しないんですよ! 死んだら終わりなんですよ!」

「……うん。そう、かもね……。でも、そうでもないの……。ねえ、セイギ。約束して。……わたしがいなくなっても、キミは白晶菊を追うって……」

「追いますよ! だって、リンをこんなことに巻き込んだ……その元凶だもの!」

「うん……でも、復讐だなんて、思わないで……。それは、きっとになるから……だから、キミはを救ってあげて……そう、約束して……。私の願いは、それ、だけ、だから……」

「それだけって……。リン! 彼女って、出会いってなんですか! いったい何を!」

 僕はそう問うたけど、いらへはなかった。

 代わりに、僕を払いのけたリンの手が力なく落ちた。

 それはリンが事切れた、その証左だった。

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