第44話
「ちっ、下の様子を見てくる! 宇佐美はここにいろっ!」
銃器の発砲音か、でなければ爆発音だった。今このビルが置かれている状況からして、聞き違いは考えにくい。
「ああっ、ちょっと待ってよ、僕も行く――――」
「見張り役が付いてくんな――――!」
でも、いま動かなきゃって、考えるよりも先に自分を焚き付けていた。
そうして問答無用で九凪君に続き、屋上からの階段を駆け下りていく。
三階の踊り場まで降りて聞き耳を立てると、複数の足音が上階側から聞こえてきた。
「――――おい九凪ッ!」
と、上から声がかけられる。彼らは九凪君の同僚みたい。
「中でなにかあったんすか? さっきすっげえ音したんすけど」
「わからん。左内さんたちが先行した。こっちだ――」
手で促されるままに、僕と九凪君も彼らに合流する。
廊下に出て、すぐに異常に気付いた。あたりに立ち込める、何かが焼け焦げたみたいな異臭。
そして廊下の先に、人だかりができていた。
「爆発物を持ってるぞ――――!!」
大人のうちの誰かが、そんな声を上げた。
協会構成員であろうスーツの大人たちがどよめいて、途端にこっちへと後ずさってきた。
人だかりの先が明らかになる。その先頭にいた二人の男性が短銃を手にしていて、銃口が床にうずくまっていた何かに向けられているが見えた。
視界に飛び込んできたあまりの光景に、心臓が跳ね上がった。
「――――そんな、七月先輩ッ!?」
あれは七月先輩だ。僕の知っているあの七月先輩が、背中から馬乗りになった大人に右手を捻り上げられ、力ずくで取り押さえられていたんだ。
先輩の頬が床に押し付けられ、睨み付けるような形相が取り巻く大人たちに向けられている。唯一自由な左手に握りしめられている黒い塊は――手榴弾に見えた。
廊下の一部が大きく崩れていた。床に散らばる瓦礫。壁面に穿たれた大穴の向こう側は、このビルに入居しているどこかの企業のオフィスだろう。
発する言葉が見つけられなくて、そしたら傍にいた左内さんが前に立った。
「撃つな! 相手はまだ子どもだ」
銃を向けている二人に指示を出した。
声に弾かれたように、追随しようとした僕を九凪君が制止した。手出しするな、って。
「ねえ、何があったの。なんでこんなことになってんの。協会が先輩に何かしたのかっ!?」
九凪君は答えられない。ただ漏らすように、俺にもわかんねえよ、って呟いた。
場に張り詰める、言いようもない緊迫感。
武装した二人のスーツ男はどうしてか左内さんの指示に従う気配がなく、這いつくばる先輩へと銃口を向けたまま。先輩が突き付けてる手榴弾は脅しのためのものなのか、既に安全ピンが抜かれているようにも見える。
僕が本物の魔術師だったなら、ここで割って入ってでもみんなを止めたのに。
「監査官! ここは我々協会の指示に従え!」
左内さんが、その体格でどこからそんな声が出るのかと思えるほどの怒声を上げた。
「七月絵穹! お前もそんな無謀な真似はよせ。要求があるなら私が協会を代表して聞こう。とにかく、今こんな場所で争い合おうとするな」
監査官と呼ばれたスーツ男の片割れが、指先を慎重に引き金から外す。左手をゆっくり広げ、銃口を慎重に先輩から離して――
――唐突な破砕音に、思わず両耳を塞いでしまった。銃声が廊下奥まで残響し、砕けたガラス片が床一面に散らばってゆく。銃を持ってたもう片方が威嚇発砲したんだ。
「左内代表。その少女が所持している手榴弾は偽物です。いかに魔術師であろうと、高校生が容易に入手できる代物ではない」
威嚇発砲した若い男の方が、再び先輩へと銃口を向け言い放った。
「馬鹿なことを! 現に彼女は先ほどそれを使用してみせた。刺し違えてでも標的を排除するというのが政府側の意向なのか?」
「我々魔術監査官の職務は、国家として魔術師の暴走を未然に食い止めることです。見なさい。何故その少女の左腕は震えていない? 少女がダアトのスパイである可能性は?」
宙に伸ばされた先輩の細い腕。手榴弾を掲げるそれは、彼が言うように、まるでマネキンのようにぴったりと静止したまま。血が通っているとは思えない正確さだ。
「つまりあなた方は。七月が部屋から脱走し得たのは、彼女がダアトと同様に今でも魔術が使えるから……と言いたいのか」
破壊された壁を促す左内さん。ポーカーフェイスな監査官は黙して答えない。
わずかな沈黙が降り、僕を抑えていた九凪君の手が下がる。
「あっ、てめ――――」
その隙に彼をかいくぐり、先輩のもとへと飛び出していた。
「無茶はやめて先輩ッ!! 僕が代わりに話し合うから! 他の人たちも一旦退いてよ!」
声の限り叫んだ。
皆が僕に注目した。この場にいる各々の膠着を断ち、わずかな隙をつくってしまった。
追いついた九凪君に肩を掴まれたとき、先輩は確かに僕を見た。その手にあった手榴弾がいつの間にかなくなっていた。
途端、蜘蛛の子を散らすように大人たちが逃げ出した。僕だけひとり馬鹿みたいに、飛んできた
鬼気迫る表情の左内さんが飛びかかってきて、九凪君もろとも押し倒される。
弧を描いて落ちてきた手榴弾。冷たい床に押し付けられた直後、こともあろうに目と鼻の先でそいつがバウンドする。
ぱこん、と軽快な音を立てて、それから僕が素手でキャッチした。
「うわっ、宇佐美それ――――」
耳元で上がる九凪君の悲鳴すら空しい。何故なら僕の手にあったそいつは、ペットボトルのお茶だったのだから。
内包物が「ちゃぷん」と
仰天して、それをパスした張本人――つまり七月先輩の姿を追った。
さっきの場所に、先輩を取り押さえていた協会の男性がうずくまって悶絶していた。監査官二人が銃を手に、険しい形相をしてこっちに走ってくる。
「待て、七月ッ――――」
左内さんが上げた声に、思わず向けた視線。床に倒れ込んだままだった僕の頭上を、七月絵穹のスカートが内側をのぞかせながら翻っていた。
あまりの眺めにフリーズしてしまった。鮮やかなフォームで僕を飛び越えていく絶対領域の白が、スローモーションで目に焼き付いて。
それは明らかに人間離れした身のこなし。
そしてしなやかに伸びた脚で着地を決めてようやく、彼女の異変に気付くことになる。
先輩に尻尾がなかった。走り去ってゆく彼女の波打つ癖っ毛にも、あの猫耳など影も形もない。いつの間にか、ミューシアの影響を受ける前の七月先輩に戻っていたんだ。
「――気を付けろ、あの少女はまだ魔術が使えるぞっ!」
年配の監査官が警告する。そして銃を手に、階段側に走り去った先輩を追跡していった。
と、手にしたままだったペットボトルが横から取り上げられた。片膝をついた左内さんがそれをしげしげと眺めて、
「なるほど、こいつを魔法による欺瞞で手榴弾だと錯覚させたのか」
九凪君に投げ渡す。元・手榴弾に動揺した彼は、お手玉してすぐに落っことしてしまった。
彼らにまだ伝えてなかったことがある。
「――僕、まだ左内さんたちに教えてなかったことがありました」
「我々に教えていなかった? 今さら何のことを言っている」
「――
まるで予知能力のように言い当ててみせたあの人は、一体何を知っているのだろう。
いずれにせよ、あの人の予言が本当だったと、僕は今まさに実感してしまったのだ。
ただ、猫になる程度なら可愛いものだけど、実際他者を傷つける魔法となれば……。
「だとして、爆薬なしにコンクリートの壁をぶち抜くような真似をこの現実界でしてみせたというなら、まさに脅威だ。いずれにしろ政府の連中に独走はさせん。追うぞ、静夢」
「あっ、はい――」
とにかく、今は先輩を追うべきだってはっきりしている。それに彼女の身に何が起こっているのか確かめなければいけないってことも。
僕には躊躇うことなく、左内さんたちのうしろに付いていく選択肢だけがある。
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