第45話

 七月先輩たちを追って屋上へと戻ると、そこでは新たな膠着状態ができあがっていた。

 空調の室外機や給水タンクが並ぶ一帯。先輩が感情の読めない表情を浮かべ、忽然と佇んでいる。

 二名の監査官が前後から銃を向け、先輩の退路を完全に塞いでいた。


「おとなしく投降しなさい、七月絵穹。魔術を悪用した時点で、君に通常の刑法は適用されない。これ以上抵抗した場合、我々魔術監査官には君を射殺する権限が与えられる」


 若い方の監査官が淡々と恐ろしい口上を述べる。けど先輩が応じる素振りはない。

 先行した左内さんが咄嗟のフォローに入った。

 左内さんは、背後にいる僕の顔色をチラとうかがって、そして話し始めた。それは大人たちが追い詰めた魔術師・七月絵穹にではなく、おそらく僕たちに向けての言葉で。そして一触即発状態の皆を落ち着かせるための、時間稼ぎかもしれなかった。


「――我々正央魔術協会は、昨夜から七月絵穹を尋問していた。理由は明確だ。この町の惨状を見るがいい。我々は今、ダアトという人類の脅威と対峙している。そして、調べてみたよ。七月絵穹という名の魔術師が実在しないことがわかった。学籍も戸籍も、魔術による偽造の痕跡が見受けられた。彼女は実態のない、不審な人間だということになる」


 左内さんの口から出てきたそんな台詞は、僕たちを黙らせるに十分なものだった。


「お前の正体が何者であろうと、我々協会は一切関知しない。通常の犯罪行為なら県警の管轄だからな。だが、お前がダアトのテロ活動に加担しているというのなら、話は別だ」


「……昨日から何度も伝えたはずよ。あなたたちには一切関わりのないことだって」


 左内さんからの辛辣な追求に、初めて先輩が口を開いた。

 抑揚のないいつもの声。動揺も、躊躇いも、あるいは自分を御しようと迫る左内さんへの憤りすらものぞかせない。


「大人の世界では、そんな理屈は通じないとも伝えたはずだが? その二人組は魔術監査官だ。我々魔術師が暴走しないよう政府から派遣された目付役といっていい」


 そう言って、手前側にいる若い監査官の射線に割って入る左内さん。異なる組織同士、牽制し合っているようにさえ見えた。


「これ以上は私もお前を庇い切れん。彼らはお前が未成年者であろうと躊躇いなく殺すぞ」


 脅しではない、ただ淡々と事実を述べているように聞こえた。

 なのに、それでも先輩は答えない。ただゆっくりと瞼を閉じるだけ。


「さあ、答えろ七月絵穹。お前は何者だ。この凄惨な状況下で、何が目的で独走する。協会から出奔して、ダアト側に合流でもするつもりか?」


「関わりのないことだって言ったでしょう? わたしの目的を知って、それで大人たちは何かしてくれるとでもいうの?」


 先輩に応じる意志はないみたいだった。度胸が据わっているのか、あるいはここまでの状況なのに何の感慨もないのか。とにかく、七月絵穹が元から備えていたであろう異常性の、片鱗のような何かを垣間見せられている気がした。

 だから、僕はそんな先輩の姿にもう耐えられなくなって。


「――七月先輩はさっ! みんな七月絵穹という人を誤解してる。買い被りすぎてる。彼女はさ、何か悪いことを考えられるような器用な人じゃないよ。先輩の言う目的ってのは、ただ純粋に、大切な友達を守ることなんだ!」


 口を挟んでいい雰囲気じゃなかったけれど、それでも僕が割り込まなきゃ嘘だ。


「…………友達、だと?」


「余計なこと喋っちゃってごめんね先輩。でも、もう厭だよこんなの。魔女さんが死んじゃって、酷いことが続いて。でもやっと心の整理ができそうだったのに、またぐちゃぐちゃだよっ」


 今の自分の中にある、嘘偽りない気持ち。魔法の奇跡ですら昨日の悲劇を巻き戻せないのだとして、願わくばそれもおしまいになってほしかったのに。


「宇佐美くん…………」


 そう僕の名を零した彼女は、ここで初めて表情を曇らせた気がした。

 そうして俯いていた顔が、再び大人たちに向けられる。まるで決意を終えたかの眼差し。

 なのに、僕のよく知ってる先輩とは別人みたいな意志が、彼女の内からさらけ出される。


「そうね、わかったわ。あなたたちが納得することに意味があるなら、相応しい〝物語〟を紐解きましょうか。この七月絵穹が果たすべき目的。それは、あるひとりの女をこの手で殺すことよ」


 絶句してしまった。誰かを殺すなんて言葉を、先輩が口にするだなんて。

 なのにそれが嘘じゃないって、双眸に宿る憎悪めいた感情が訴えかけてくる。


「その女の名はラキエラ。あなたたちの世界では〈スルールカディアの魔女〉とも呼ばれているわね」


 彼女が続けた言葉はまるで呪詛のようで、僕にとどめを刺す。その名前は、銀髪の魔女にとっての〝呪い〟そのものじゃないか。何故あなたがそんな特別を知っているの。


「あなたたちは気付いていないのでしょうね。あの女はまだ生きている。ダアトが利用するために生かしている。だからわたしがこれから殺しに行くの」


 そうして〝呪い〟は、一呼吸おいたのちに僕を〝奇跡〟へと導く言葉にすげ替えられた。

 フォースさんがまだ生きてる。こんな感情がぐちゃぐちゃにされてるときなのに、途端に嬉しさが込み上げてきた。でも、まさかそんなことまで先輩が把握しているなんて。


「あなたたちは上層部からこの話を聞かされているかしら? 三か月前、ワラキアの万象図書館に封印されていた始原魔導器の一器、〈エンタングル・クォーツ〉がダアトに強奪される事件が起こった。エンタングル・クォーツとは、所持者がイ界の神さまになれる禁断の魔導器よ」


「……なるほど。部外者のお前がどうやってそれを知り得たのかも講釈願いたいものだが。いずれにせよ、それは協会EU本部管轄内での事件だ。我々末端には関知しようもない」


「そう? 現にダアトはその始原魔導器を使い、イ界に干渉して、新種のファンタズマをいくつも創造した。あなたたち日本支部の管轄内で、好き勝手によ?」


「……これは驚いたな、そこまでは初耳だが。我々にも思いあたる節はある。続けろ」


「ダアトの言う〈魔女狩り〉の正体は、対魔女戦に特化して設計したファンタズマよ」


「――左内センセ。俺と宇佐美が見たデカブツがたぶん……そいつです」


「では、そいつがフォースをも喰らったと。確かに魔女狩りの名に相応だ」


「〈魔女狩り〉は魔法の奇跡を呪いに逆行させる性質が与えられた。呪いを溜め込むの、ファンタズマはイ界の呪いそのものだから。そうして襲われた魔女たちはなすすべもなく敗北し、捕えられた」


「喰らったのではなく捕らえた、だと? 殺さずに何故捕らえる必要がある? そもそもダアトと魔女に何の因縁がある?」


「魔女は、ただの燃料ポンプよ。始原魔導器から要求される膨大な魔力をイ界から吸い上げるため、魔女の体内魔導器を利用しているの」


 魔女が燃料ポンプ、という表現に、周囲の大人たちは戦慄する。


「だって当然でしょう? 誰でも神さまになれる始原魔導器が、何の代償も求めないわけないじゃない。ダアトは始原魔導器を継続運用するため、捕えた魔女たちを本拠地の祭壇に集めている。そして遂にスルールカディアの魔女すらも手に入れた。ダアトはきっとフレガ災厄をも超える大魔術を発動させるわ。昨夜の理想郷現出イデアール・バーストなんて始まりに過ぎない」


 先輩が伝えてくれた真相――それは、ここにいる誰もが知らなかった〈魔女狩り〉の正体と、ダアトのやろうとしている儀式についての真相だった。


「なるほど。だが、私には解せないな。仮にそれがすべて真実だとしよう。連れ去られた魔女たちがまだダアトに生かされているとして、何故お前がフォースを殺す必要がある? お前はあの女を殺したいと言った。憎きダアトを倒して魔女たちを救い出す、くらいここでのたまってくれた方が、私にはずっと自然なシナリオに聞こえるのだが」


「――――――そんなの簡単なこと。わたしがフレガ・サイアーズの娘だからよ」


「…………なんだと…………?」


 左内さんの顔に、強い動揺の色が滲む。この場にいる大人たちの反応も尋常じゃない。


「何よ、心外だわその反応。奇人で偏屈者だったあのフレガにも、隠し子くらいて不思議じゃないでしょう? それがわたし。でも安心して。わたしは父の理想を引き継ぐつもりなんてないし、ダアトなんかにも加担してあげない。でも、父を非道いやり口で殺めたあの女だけは、わたしは絶対に赦さない」


 先輩が左腕の包帯を解いてみせた。

 闇属性の封印は、今や彼女の空想を演出するための舞台衣装じゃなかった。顕わになった左腕に刻まれた呪的刻印を掲げ、そして宣告する。


「だからあなたたちは関係ないと言ったの。部外者はわたしの復讐を邪魔しないで」


 先輩の顔を見て、この時ばかりはゾッとさせられた。

 両の瞳に灯る、ほのかな光。それは銀と紅の異色虹彩。イ界でしか見せなかった七月絵穹の表情が、この現実世界でも浮かび上がっていた。

 その時のことだ。


「クククッ…………ッハハッ――――――――――――――――――!!」


 若い方の監査官が突然噴き出して、何故なのか、遂には大声で笑い始めたんだ。


「ハハッ……はあぁ、いやいや、これは傑作だ!」


 気でも触れたのか、彼は口調どころか声色さえも豹変したように聞こえた。

 左内さんが彼に不審なまなざしを送った直後、けたたましい発砲音が上空高くに轟いた。

 遅れて地面に転がる薬莢のケース。耳をつんざく衝撃に腰が抜ける。

 監査官が、監査官を撃った。七月先輩の背後で銃を向けていた年配の監査官が、頭を撃ち抜かれて倒れている。

 騒然とする一同の前で、コンクリート上に血だまりが広がってゆく。そこに雫が跳ねるのが見えて、雨が降り始めていることにようやく気付いた。


「ここで仲間割れを始める諸君らも大概の間抜けだが、七月絵穹が正体を明かしたのは想定外だった。だがこれで七月絵穹の思惑に少しだけ近付くことができた。オレは嬉しいね」


「――インディゴッ!?」


 僕が思わず叫んだ名に、片割れを撃った方の監査官がネクタイを緩める仕草を見せた。

 一回まばたきした直後、監査官が、あの群青色を纏ったダアトのスーツ男――インディゴへと様変わりしていた。先輩が手榴弾でやったのと同じみたいに。

 監査官じゃない、こいつはダアトのスパイだ、と誰かが叫んだ。

 大人たちの何人かが、血だまりに転がった短銃へと飛びかかっていく。イ界を閉ざされた魔術師には、もはやそれしか対抗手段がないから。

 インディゴはゆったりとした所作で、騒然とした彼らを眺めている。

 また目の前で人が殺された。あまりの衝撃に、僕はその場から一歩も動けなくなった。

 向こうの血だまりが飛沫をあげ、突然舞い上がった。手に入れた銃を発砲しようとした大人が吹き飛ばされ、周囲の数人も給水タンクや地面へと次々に叩き付けられていく。そしてダアトの巨漢の方が、空から

 一体どうやって現れたのか、巨漢が地面をクレーター状に窪ませ、跪いた体勢で着地していた。続く動作で掲げられた二本のサバイバルナイフ。

 かち合う刃に、稲妻が奔る。現実界にもかかわらず発現した魔法の電撃が協会魔術師たちに浴びせられ、なす術もなく倒されていった。


「先輩は……」


 この混乱に飲まれて、先輩の姿が見つけられない。

 と、見開かれた九凪君の視線を追って、その姿を捉えた。巨漢が空中高く跳躍して、今にもこっちに迫り来ようとしていたんだ。

 九凪君が銃を抜く。それを巨漢に向けるも、引き金が魔法を起こすことはできない。

 でも着地軌道の半ばで、真紅の魔法円が煌めいた。巨漢は呆気なくそれに弾き飛ばされ、叩き付けられた天窓を破り下層へと落下していった。

 靴底がタンと重たい音を立てる。僕のすぐ目の前に着地したのは、七月先輩だ。


「せん――――」


 言い終える間もなく、先輩が僕と九凪君に飛びかかってきた。

 インディゴが振り返ったのが同時だ。奴の手にある短銃が狙いすます標的は、きっと僕たちのどちらかだったかもしれない。

 闇に瞬くマズルフラッシュ。地面に転がった僕たちを追う二度目の発砲音。生き延びなきゃ。

 びしょ濡れな身体を引き起こすと、両手を広げた左内さんが眼前に崩れ落ちた。

 悲痛に震える九凪君の声が耳をつんざいた。左内さん、僕たちを庇った……のか?


「――皆をこのまま見逃しなさい、インディゴ。あなたたちの理想には無関係でしょう」


 先輩が立ち上がり、インディゴの銃口を遮る。もう何もかもぐちゃぐちゃだ。


「確かに! だが七月絵穹よ、オレは貴様の言葉を信用しない。貴様は協会を欺いた。それに、フレガの隠し子だって? 一体何の冗談だ! 貴様みたいにデカいガキがいるものか。スルールカディアの魔女によって暗殺されたフレガはまだ十九だった。それが十年前の話だぞ? 貴様はどう辻褄合わせするつもりだ?」


 おどけたような声色でインディゴは続ける。相変わらず思惑の読めない男。


「……あら、あなたってちゃんと計算もできるのね、意外だわ」


「ハッ、いつまでそうやって道化を演じるつもりだ? そうだ、建設的な話をしてやろう。オレたちにとって貴様の能力は脅威だ。それに、いま魔女を殺されるのもプロジェクトの後退になる。そこで取引といこう?」


 冗談めいた言い回し。どこまで本気なのかもわからない。ただ奴は先輩に向けていた銃を下ろして、興が失せたように手で弄び始めた。


「取引、ですって?」


「そう、取引だ。貴様がそんなに私怨を果たしたければ、スルールカディアの母親をくれてやろう。代わりに貴様は娘の方を差し出せ。オレはな、突然変異だっていう娘の方の魔導器にとても興味が湧いてきた。こうすれば互いのプロジェクトがロジカルに回る!」


 どういうことなの。奴が提示したとんでもない交換条件は、明らかにフィフスを指していた。


「最初から奇妙だと思ってたのさ。魔女の屋敷はもぬけの空。母親は娘を探して、国内中を転々としていた。そんなとき現れた謎の女魔術師は、魔女の力を転送する未知の魔導器を武器に、我々ダアトに抵抗してきた。驚いたよ、我々の先を越した奴がいたとはね。魔女の娘を連れ去った真犯人は貴様なんだろう、七月絵穹?」


 先輩は言葉ではなく、浮かべた表情でその問いかけに答えた。


「…………いいわ、その取引とやらにわたしも興味が湧いた。取引が無事成立した暁には、魔女フィフスの首でもなんでもあなたたちにくれてやるわ」


 思いも寄らぬ肯定の意思表示に愕然とする。僕も、そしておそらく左内さんたちも。七月先輩に裏切られたのか、って。

 と、先輩が後ろ手に何か落っことした。雨垂れに掻き消されたのか、音もなく地面を跳ね、そのままこっちに転がってきた。

 それは金色に煌めく小さな輪っか。エソライズムエンジンだった。


「ではすぐにでも、わたしたちのこれからについて話し合いたいところね。まずフォースのもとに案内してもらいましょうか。あの女に聞きたいことがあるの。それを前払い金に契約よ」


 強まりつつある雨脚。ぼやけ始めた視界の隅に、倒れたまま呻く左内さんと、すがり付く九凪君の姿が映っている。大人たちは負傷者の救護にあたるだけで精一杯だ。

 僕は、無意識に手を伸ばしていた。この輪っかは、いま目の前に横たわる唯一の希望だ。

 指先でそっと触れる。先輩が最初にくれた、ただの〝僕〟でしかないこの少年を〝主人公〟へと変える、想い描く力の結晶。

 と、エンジンはただの幻だったかのように、そこで消えてなくなってしまった。


【――――あたしの未来ちからをあなたに託すわ】


 七月先輩がじっとこっちを見ていた。濡れそぼった顔で、柔らかに微笑み返してくれる。


【あなたの知ってる〝絵穹〟は、ずっとともにある。忘れないでね、ジュヴナイルズ・ランドスケイプ――この世界が変わってしまっても、エイトはもう自分で戦える】


 どういう意味だろう。先輩は何も言わない。でも頭の中に直接届けられたこの声、確かに先輩のものだ。

 首筋に蘇る、いつかの昂ぶり。エンジンが僕の内に戻ってきたんだってわかる。

 僕はそんな彼女を前にして、いま本当のを得た。

 七月絵穹は嘘をついていた。そして今も嘘をついた。だからあなたはこいつらと取引なんてしない。絶対にしない。

 でもね、あなたの嘘には少しずつ〝本当〟があった。あなたは言葉までまるで空想だ。

 魔導器エソライズムエンジンの中に住んでる、名もなき女の子。空想イマージュと自分の未来を交換しようって提案してくる、あどけないながらも凛とした声。小さな手のひらが、悲劇的な物語に飲み込まれかけた僕を落ち着かせてくれた。

 暗い部屋で一人ぼっちの彼女が七月絵穹に託したのは、果たして何だったんだろう。でも、居場所を探り出そうと企んだインディゴにたったひとりで立ち向かい、あんな炎すらものともしなかった姿がちょっと勇ましかった。

 これまでに知った少しずつの歯車が噛み合って、ようやく僕にも真実がわかったんだ。

 ずっとあなたが守ろうとしてきたナイショの友達が、エンジンの妖精さん。

 ――つまりあの子がフィフスなんだ。

 七月絵穹はひとり、小さな魔女フィフスを守ろうとそこで戦い続けている。


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