第37話

 めくるめく衝撃的光景の渦中にいた。本当、目を瞬く間の出来事だ。

 あの黒いハンカチがコウモリみたいな形に変化したかと思えば、僕の身体は物凄い力で空中へと引きずり上げられてしまった。

 シルク仕立てのコウモリに掴まれた僕は、今まさに高速道路上空から茫然と眼下を眺めている。高さを怖がってる余裕なんてない。

 屋根の裂けた車は、直後に車体そのものが後輪から浮き上がった。ボンネット上で仁王立ちのままだったフォースさんを支点に、遂には前端部からへし折れてしまう。

 そうしてついさっきまで僕を乗せていたはずの車が、道路の真ん中で大破し爆発した。まるで見えない壁か何かに追突したかのよう。

 と、そこでコウモリが羽ばたきを止めてしまった。ハンカチが再び形を変えて、今度はパラシュート状に。ただこんな大きさでは僕の落下エネルギーをうまく相殺しきれず、


「――――んんんんんむぐぅぅぅぅぅぅッッ――――――」


 着地失敗して、盛大に尻餅をついた。

 でもとりあえず生きてるぞ、僕は生還したんだ、やった!

 謎の達成感にガッツポーズを決めようとして、まだ両手を縛られたままなのを思い出す。そしたら僕に巻きついてた魔女のハンカチがマジックハンドめいた手を伸ばしてきて、口のガムテープを一気に引っぺがした。当然、僕は悶絶して大地に沈むのだった。

 それにしても、運良く路側帯に不時着できたもんだ。いや、そうじゃない。ここは……


「…………やっぱりイ界に来てる。途中からなんだかおかしいなって思ってたんだ」


 いつの間にか高速道路から車が一台もいなくなっていたんだ。あのハンカチに仕組まれた魔女の呪詛が発動して、全員イ界に引き込まれたみたい。まったく、あの銀髪お姉さまはとんでもないアイテムを託してくれたもんだ。

 と、厭な気配にハッと顔を上げてみれば、


「――おかえりなのじゃ、ダーリン――むちゅっ!」


「うわぁああ出たぁッ――――――――むちゅっ!」


 っていうかどこから出現したのフォースさん。密着する互いの身体。くすんだ色の銀髪が鼻をくすぐってくる。要するに最後の変声、僕の貞操が穢された効果音SEだったりする。

 完膚なきまでの不意打ちで、しばらく頭の中まで真っ白状態。

 我を取り戻してすぐにフォースさんの両肩を掴んで引きはがすと、ごちそうさまみたいな舌なめずり。僕を逃すまいと見つめる目は、肉食獣めいたアレだ。何度も僕をひどい目に遭わせたくせに、どうしてそんな満面のスマイルなの。


「こ、こわいよぅ……」


 なのに小首をかしげて、パッと笑顔を咲かせてくる銀髪の魔女。爛々と輝く彼女の瞳に魅入られてしまい、もうそれ以上返せるコメントなんてない。


「よしよし、いまので呪詛は解呪してやった。ダーリンはもう妾を恐れる必要なぞない」


 ええと、ここって自慢げに胸を張るようなちょっといいシーンじゃないからね?


「えっ………………ええと、ま、まー、まじょ……さん?」


「はいなのじゃ、ダーリン?」


 うわ、すっごく「にっこり」。「はいなのじゃ」もバカップルぽいからやめて!


「やったぁ! 魔女って言っても平気だ! このどエロ魔女~ッ――あでででッ!」


 とか無邪気に飛び上がっちゃったおかげで、ほっぺたつねられちゃいました。


「ひどいこと言うダーリンは、エロとは無縁の無間童貞地獄に送られるべきじゃ!」


「――のじゃ、じゃないのっ! おかげでこっちは燃えたり怪しい連中に誘拐されたりで、とんだとばっちりばっかだったじゃん!」


「そ……、それはごめんぴょろ……本当にすまなんだの……」


 ええっと、優しく抱きしめられた。よしよしナデナデされてる。あったか柔らかくて、とにかくいいにおいがして――ああああああこっちがばかになってくる……頭ん中どうなってるの、この銀髪お姉さまってば。

 僕たちの間にラブストーリーが始まる可能性なんて一ミリなりともなかったはずなのに、このひと力ずくでフラグ立てようとしてきやがる。これが彼女の言ってた「魔女の特性」ってやつでは――


「うわっちちっ!」


 今度は僕の足元で、魔法のハンカチが突然燃え出した。そっか、与えられた役目を終えたのか。ハンカチはあっという間に燃え尽きて、道路を吹く風に灰が飛ばされていく。

 高速道路上にもうもうと立ちのぼる黒炎。いつの間にかフォースさんは、未だに燃え盛る車の前で炎を見据えていた。

 ここで、静まり返っていた高速道路上に思わぬ呼び声が響いた。


「宇佐美――――――ッ!」


 声の主らしき男性が、中央分離帯を乗り越えて駆け寄ってくる。両手に拳銃型の魔導器。その姿を見てすぐにわかった、あれは九凪君だ。


「宇佐美、ハァ…………なんだ、ハァ……てっきり死にかけて……たかと思ったが……」


 息を枯らしつつ照れ隠しみたいな言い回しをされ、逆にこっちが困惑してしまった。


「いやあの、ぜんぜん無事だけどさ。九凪君、僕を助けに来てくれた……とか?」


「……ちげえよ。いや、違くはないが。今回は左内センセからの緊急司令だかんな。お前とつるんでる、あの女魔術師からの依頼だって……だから俺は仕方なく……だな」


「あっ、先輩の言ってた救出隊って、九凪君のことだったのか!」


 よっぽど全力疾走してきたのか、九凪君はいつになく消耗していて、突っかかってくる余裕もないみたい。息はまだ荒く、遂には肩を落とし両膝に手を付いてしまった。

 そうして彼は視線を上げると、その先で背を向けているフォースさんを睨みつけた。


「さすがに俺もマズった。まさか〈破滅の魔女〉までこっちに来てやがったとはな……」


「九凪君、あの人のことを知ってるの?」


「ああ? おま、知ってるも何も、あの女は魔女業界きっての大問題児だろうが!」


 などと、僕でもウンザリとするほど理解できるように頭を抱えてくれた。


「ああ、とにかくな、やべえ。今ここはすげえやべえんだ。それだけでなくても、何時間か前からイ界への転移が何かの魔法で妨害されてる。俺ら、下手すると連中がおっ始める殺し合いの巻き添えになんぞ……どうすんだ、こういう時どうすればいいセンセ……」


 などと、今度は勝手にテンパり始める九凪君。


「どういうこと? 先輩も、イ界に出入りできなくなったって言ってたし……」


「わかんね。わかってんのは今回の件、全部あいつらの仕業だ」


 と、九凪君が突然目つきを鋭くして二挺拳銃を構える。

 道路上――ちょうど車が炎上している位置に、いつの間にか二つの人影が浮かび上がっていた。


「――こそこそと隠れおって。随分と探したぞ、お主らがダアトの『魔女狩り』か?」


 フォースさんが人影と対峙し、不敵に言い放った。

 揺らめく炎と黒煙。それらを背にした青スーツと巨漢、二人の襲撃犯たち。連中はそれなりの能力を持った魔術師らしく、あの程度のダメージでもビクともしなかったみたい。


「そちらから妾にちょっかいかけてきたくせに、いざ面を合わせてみればだんまりかや?」


 挑発まじりで敵に応じるフォースさん。ちょうどあいつらから僕らを守る位置に立って、余裕の振る舞いだ。あれほど恐ろしい呪詛をかけてきた人なのに、今はとにかく頼もしい。


「九凪君、あいつら一体何者なの? これまでに何人も女魔術師をさらってるって、九凪君の上司のひとも言ってたよね?」


「――あいつらは〈魔術結社ダアト〉。正央魔術協会から離反した反・協会魔術師によってつくられた組織だ」


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