『隠居中の戦国大名』で探したところ関ケ原間近の石田三成に転生することになりました

俣彦

転生案内所

私:「……転生案内所……?」


 18年前。就職氷河期と呼ばれ。余程名の知れた大学でも無ければ非正規しか無いと言われたこの時代に。『文系私大』。しかもろくすっぽ資格を有していない私を拾ってくれた会社はブラック企業。朝4時から夜11時までの労働に加え、休みの日も携帯電話に着信音が。と言う仕事を6年に渡って続けた結果。身体が動かなくなり、そのまま捨てられていたところを今の職場に拾われて12年。こんな状態にあるにも関わらず。幸いにして長い目で見て頂いたこともあり。大過なく働き続けることが出来。慎ましくも。特にお金に困ることなくここまで生きることが出来た私。でありますが、人間と言うモノは贅沢になるものでありまして、元気になったらなったで変化。と言うモノも欲しくなってくるもの。そんな私の目に飛び込んで来たのが

「……転生案内所。」

平素。知らない番号の電話は一切出ないことにしている私でありましたが、何を思ったのか。魔が差したとでも言うのでしょうか。思わず入り口の扉を開けてしまうのでありました。


案内所員(所員):「いらっしゃいませ。」

私:「ここは転職を案内する場所では無いのでありますか?」

所員:「まぁそれに近いと言えば近いとも言えるのでありますが。ここで取り扱っていますのは、人生を変えてみたい。それも全く異なった人間として。と考えられているかたの希望を叶えることを目的にしておりまして。……と言いましても勿論多重債務に苦しまれ。もう借りる先が無いかたが更に借りることが出来るよう。戸籍の取引や養子縁組を斡旋するような怪しいところではございません。全く別のかたになって頂くことが出来る。言っていることは同じなのではありますが、グレーゾーンとなるようなことではありません。」

私:「……十分怪しいと思いますけれども。例えばどのような転生先が用意されているのでありますか?」

所員:「因みに。ご希望などはございますでしょうか?」

私:「そうですね……。これまで働き詰めでありましたから、少しのんびりしたいですね。贅沢を言えば。居るだけで生活費を賄うことが出来るような。王様の暮らしが出来るようなところに行ってみたいものですね……。」

所員:「仕事をせずに王様気分を味わうことの出来るところ。他にご希望がありましたらお伺い致しますが……。」

私:「こんな希望でも0件では無いのですか?」

所員:「もう少し絞り込みを行いたいと思いますので。」

私:「……そうですね……。生活には困らないけれども。そのままですと、ただ暇にあかして自慢話をするだけの煙たがられるだけになってしまいますので、少しは刺激が欲しいところはありますね。世直しなんかやれたら面白いかもしれないな……。」

所員:「刺激のあるところ。で。使いこなすことの出来る言語はございますか?」

私:「出来れば日本語が通じるところで。」

所員:「日本語で。っと。……そうなりますと『隠居中の戦国大名』と言うことになりますが宜しいでしょうか?」

私:「面白そうですね。例えばどのようなところがありますか?」

所員:「お客様は雪はお好きですか?」

私:「雪掻きさえなければ。」

所員:「その辺りは大名でありますので。家臣のモノがやってくれますので。問題無いかと思われます。雪が大丈夫でありましたら。山形に最上義守と言う人物がおります。彼なんかお勧めでありますよ。」

私:「そうですか。ところでどのような状況に転生するのでありますか?」

所員:「彼は優秀な息子と娘に恵まれ、お家安泰となったところで家督を息子に譲ったのでありましたが、どうも彼は独立志向が強く。娘の嫁ぎ先にもチョッカイを出す始末。そこで心配になりました転生先であります義守は、息子をコントロールすべく意見を述べるのでありますが仲違い。そうこうしている内に娘の嫁ぎ先から援軍と称して領内に侵入される有り様。そこで転生先のあなたは……。」

私:「……親子で意見が異なる中で振り回されるのは最初の勤め先で体験しておりまして。その時のトラウマを。また思い出すようなところに移るのはちょっと……。」

所員:「当事者になって部下を振り回す快感を味わうことが出来ますよ。」

私:「……振り回した挙句。家が破綻を来すのでしょう。最上って……。」

所員:「24万石ですよ。」

私:「24万石と言われましてピンときませんし、お金で健康を買うことは出来ませんので……。」

所員:「……そうですか……。親子の仲が良いところ。となりますと……。お隣の伊達家。」

私:「仙台に銅像が建っているあの伊達家ですか。」

所員:「募集が掛かっていますのは、その銅像のモデルとなっています伊達政宗のお父さんの輝宗でありまして、シチュエーションとしましては、降伏のフリをした大名に拉致されました輝宗が、相手勢力圏内にまさに引きずり込まれようとした場面で追いついた政宗と対面する感動的な場面の輝宗に転生して頂く形になります。」

私:「結論は一つですよね。ただ痛いだけでありますよね。」

所員:「70万石ですよ。」

私:「……もう少し生きたいので……。」

所員:「……そうなりますと、これもダメですかね?本能寺に宿泊する織田信長。」

私:「確かに親子の仲に問題はありませんし、石高について言うことはありません。ただ場面があまりにも悪すぎます。」

所員:「盃にされた浅井久政……。」

私:「もはや転生になっていないでしょう。もう少し逆転の可能性が残されている隠居先は無いのですか?」

所員:「……そうですね……。そうなりますと……お客様。正確には戦国時代にはならないのでありますが、お客様の希望に沿うことの出来るうってつけの人物が1人おりますが。如何でしょうか……。」

私:「……彼ですか……。」

所員:「試してみる価値はあると思いますよ。」


私は転生案内所員の斡旋に乗ってみることにしました。その人物の名は『石田三成』。シチュエーションは勿論『関ケ原の1年前』。


 石田三成と聞いてフト疑問に思った私。

私:「石田三成と仰られましたが。……三成と隠居がどうも結び付かないのでありますが……。」

所員:「たしかに三成は石田家の家督を誰かに譲っているわけではありません。その点では『隠居』しているわけではないのでありますが。ここで言います三成の『隠居』と言うのは豊臣家における立場でありまして……。」

私:「中央政界で辣腕を振るうイメージがあります三成が居城のあります佐和山に居ること自体。珍しいこと。大抵、現地採用の秘書辺りが地元の調整にあたるものなのでありますが。何かあったのでありますか?」

所員:「案内しました1599年の前年に太閤殿下がお亡くなりになられまして。と。もっともその段階での三成は豊臣家の奉行の一人としての地位を確保していたわけなのでありましたが。その1年後のことでしたか。政争に敗れまして。佐和山に……。と言う運びとなっております。」

私:「そのようになった理由を教えて頂けますと、今後のヒントになるのでありますが。」

所員:「直接の原因となりましたのが、1599年の3月3日。ちょうど桃の節句の日に三成と懇意にしていました前田利家が亡くなりまして。その日の夜のことでしたか。三成同様。亡き太閤殿下から薫陶を受けました7名の武将が大坂備前島にあります三成の屋敷に襲撃を掛けて来まして……。幸い豊臣秀頼の家臣のものからの情報により、難を逃れることが出来たのでありましたが。彼らの追跡は執拗でありまして、大坂の地に留まることに危険を覚えました三成は、大坂の地を離れ。豊臣政権における政庁の1つであります伏見城の自分の屋敷に立て籠ることになるのであります。」

私:「三成は完全な被害者ですね。」

所員:「なのでありますが、三成が籠りました伏見の地で政務を担当していました家康が、三成と7名の武将の間に入りまして。そこで出された結論が『三成引退』の裁定でありました。」

私:「……何か腑に落ちないのでありますが……。」

所員:「7名の武将が三成を襲った表向きの理由は『朝鮮出兵時の論功行賞に不満があって。』なのでありまして、間に入りました家康はその見直しに着手することを明言しています。加えて家康は『そう言う事なら仕方ないですね。』と7名の武将の軍事行動について不問とし、更に『そう言う事なら仕方ないですね。』と三成の中央政界からの引退の裁断が下されることになります。」

私:「厳しい内角攻めに怒った外国人選手が、味方の選手を引き連れ追い掛け回して来たにもかかわらず。審判は、投げた投手にだけ退場を宣告する。その投手が三成。と言う事でありますか……。そんなことあり得ないことでしょう。」

所員:「普通に考えればおかしな裁定なのでありますが。仮に。仮にでありますよ。投手に襲い掛かりました外国人選手が所属するチームと、審判が仲間でありました場合。どのような事態が発生することになりますでしょうか?を考えて頂けますと、三成が隠居となりました理由を理解することが出来るかと思われます。三成を襲いました7名の武将の中には、今回裁定者となりました家康と姻戚関係にある武将が過半数を占めております。勿論朝鮮出兵の際。各自不満を覚えたことはあるのでありましょう。これが引き金になっていることは確かなことではあります。確かなことではありますが。だからと言いまして、豊臣政権下におけます重鎮。前田利家が亡くなりましたまさにその夜に。三成を襲撃することは無いと思います。そんなことをすれば、自分たちが処分されることになるのが目に見えていることでありますから。でも、敢行することが出来る。と言うことは、きちんとした後ろ盾があったから。その人物が。」

私:「徳川家康であった。と……。」

所員:「たぶん彼らは家康の居る伏見へ。敢えて三成を逃がした。と見るほうがむしろ自然なことなのかもしれません。」

私:「でも7名の武将は家康に対し、三成の引き渡しを要求していますが。」

所員:「家康がその時、関ケ原を想定していたかどうかは定かではありませんが。前田利家亡き後の政権運営の障害となる三成。所領は家康の10分の1以下の20万石しかありませんので。を大坂城から引き離すことが出来れば良かったわけでありますし、7名の武将にしましても、そこで三成を屠ったところで何のメリットもありません。仮に無罪放免となりましても家康はともかく他の大名との折り合いがつかなくなる。三成と懇意にしている大名も多数存在していますので、その場で三成を。とは考えていなかったと思われます。で。その後、家康は大坂城の西の丸に居座ることになります。」

私:「家康に逆らうとどうなるかわかっていますよね……。を見せつけておいて……。」

所員:「三成は見せしめに利用されたわけでありますね……。」


私:「襲撃されるところまで追い込まれた原因は三成にあるのでしょうか……。」

所員:「あなたのこれまでの職務経歴からそう思われますか?」

私:「三成に決済する権限が与えられていれば某かの原因が彼に存在することになるのでありますが。たぶん彼にそのような権限は無かったと思われます。最終決定を下すことの出来る人物は一人。三成の主君である豊臣秀吉であったと思われます。」

所員:「秀吉と言いますと、一代にして丁稚奉公から天下人にまで登り詰めた人物。そのようなかたと仕事をされた経験は……。」

私:「最初の職場のトップがそうでありましたね。」

所員:「どのようなかたでありましたか?」

私:「一言で言いますと、学歴云々とは異なる『頭の良さ』を持たれていました。ただ……。」

所員:「……ただ……?」

私:「この人に付いて行ったら(……おれ。逮捕されることになるかも……?)とも思わせるかたでもありましたね……。」

所員:「具体的には?」

私:「『再就職に不利になる事項について面接では述べなくても良い。』と謳われておりますし、個人的にも(……これは墓場まで持って行かなければならないことだよな……。)と思われることであります故ご勘弁を。」

所員:「秀吉にも似たようなことが無きにしもあらず。でありますし、また秀吉がやることがまたやることでありますので、その要求を滞りなく実行に移さなければならない間接スタッフとしてサポートする立場でありました三成は大変であったと思われます。加えて三成は、織田時代からや、秀吉恩顧以外の各大名との外交窓口を担っておりましたので、豊臣家のやりかたのレクチャーや大名家で問題が発生した時の処理なども同時並行で担わなければならない立場にありました。もっともそのことによりまして、関ケ原の時に。あれだけの動員が可能となったのではありましたが。」

私:「その秀吉の要求事項は国内だけに留まらず。」

所員:「秀吉の主君であります織田信長以来の夢であります大陸進出の仕事も三成に課せられることになりました。」

私:「コンピュータなんか無い時代ですよね。」

所員:「助けとなる唯一の計算機は算盤でありましたし、記録に残すためには筆で字を書かなければなりません。勿論印刷機など存在しておりませんので複数枚必要な時は同じ文言をその都度必要枚数手書きしなければなりませんでした。しかも三成は実際に朝鮮半島に渡り、いくさを。それも不利な戦況となった中で経験しています。」

私:「真っ黒な職場でありますね……。」

所員:「でもまだその頃は良かったのであります。秀吉自体がまだしっかりしていましたので。そんな秀吉の判断を狂わせる出来事が、日本で発生することになります。」

私:「秀頼の誕生でありますか?」

所員:「ただ単に秀頼が誕生していれば良かったのでありましたが、秀吉は秀頼誕生以前の段階で既に関白の地位を甥である秀次に譲っておりまして……。」

私:「実の子である秀頼が生まれた以上。息子の地位を脅かす危険性のある人物は排除しなければならなくなった。と……。」

所員:「理由はどうであれ秀吉は秀次に謀反を罪を着せ高野山へ放逐し自害へ追い込むと共に、秀次と生活を共にしていた妻子などの全てを処分。その間わずか一ヶ月。当然その任務にも三成は携わることになるのであります。そんな中、明からの使者がやって来ます。」

私:「嫌な予感がしますね……。」

所員:「秀頼誕生以前に一度目の朝鮮出兵は一応終わっておりまして。お互いの顔を潰さないよう……。秀吉に『明は降伏しましたよ。』嘘をついて矛を収めさせたのでありましたが……。」

私:「もしかして……。」

所員:「……その嘘がバレてしまいまして……。再度の渡海を余儀なくされることになるのでありました……。そのための船の造船や、その頃伏見が地震に遭いまして。その再建工事。勿論兵や物資を半島に輸送しなければなりませんので、その手配の仕事が三成に舞い込んできました結果。三成は過労のためダウン……。」

私:「(……悲惨……。)」

所員:「その時の愚痴が真田信之に宛てた書状に残されております。なんならその時期の三成に転生して頂くことも出来ないわけではありませんが……。」

私:「……謹んでお断り申し上げます。」

所員:「で。朝鮮に兵を送りました。目的は前回の大陸進出ではなく、秀吉自らの要求を全て無視して来た明に対する腹いせであります。」

私:「その捌け口にされた朝鮮半島のかたがたは……。」

所員:「同じことは派兵された各大名にも言えることでありまして。いくさには勝つのではありますけれども、だからどうなるわけでもありません。更に悪いことにその様子を秀吉は日本にいたため、直で見ているわけでは無かった。まぁこう言うことはよくあることでありまして、戦いの様子をチェックする担当官が現地に派遣されることになります。彼らが逐次現地と日本の間をやりとりすることになるのでありましたが。」

私:「現地のことは現地でしかわかりませんからね……。」

所員:「『秀吉の言う構想には無理があるからこうしましょう。』と言う現地からの報告に秀吉が怒ってしまいまして。蜂須賀などの大名を秀吉が処罰してしまい……。」

私:「これが秀吉後。秀吉恩顧の大名が挙って家康に奔ることの遠因となった。と……。」

所員:「ここであなたに質問があります。会社でこう言う酷い目に遭った従業員はどのような心情になるでしょうか?」

私:「経験上のことでありますが、トップが悪いことはわかっていたとしましても。トップの判断力が既に機能していない。過去トップ自身が現場で体験した苦労を忘れてしまっていたのであれば、そのトップに何かを伝えることは続けるにせよ辞めるにせよやらないほうが傷口は浅くて済ますためにもやらない。だからと言って捌け口は欲しい。その捌け口が何処になるのか?を思い巡らせていきますと辿り着くのがトップの傍らにいる人物。この場合ですと石田三成になる。」

所員:「実際、小早川秀秋は秀吉から叱責を受けるなり三成を追い掛け回すことになるのであります。その際、善意の第三者として取り成したのが。」

私:「……徳川家康であった。と……。」

所員:「家康がこう言うことが出来たのは勿論家康自身の国力があって初めて出来ることでありまして、謂れのないレッテルを三成は貼られることになったのでありましたが、三成の力では秀吉をどうこうすることは当然出来る芸当ではありません。」

私:「だからこそ秀吉には言うことの出来ない恨みの全てをぶつけられてしまったのでありますね……。そう思いますと果たして……。」

所員:「果たして……?」

私:「秀吉の死因は本当に病死だったのでしょうか……。」

所員:「三成が……とでも言うのですか?」

私:「秀吉からの実害の無い三成では無いでしょう。でも信長程ではありませんが、秀吉も狙われて不思議なことではありませんね……。」

所員:「それだけトップは大変なんでありましょう。実際のところはわかりませんし、知りたくもありませんが……。」


私:「歴史に『ifは。』とよく言われますけれども、もし秀吉が亡くなる前に秀頼が成人していたらどうなっていたのでありましょうか?」

所員:「実在しました秀頼は、長じてもお母様から耳打ちされた言葉をオウム返ししていただけでありましたが。」

私:「特に抱えている問題の無い時代でありましたら、それでも良いと思われるのでありますが。実際、家康は誰が将軍になっても構わない組織を。それも政権を運営するものが討幕することが出来ない仕組みを構築することによって、260年に渡る太平の世をもたらしたのでありますから……。」

所員:「同じことが豊臣家では出来なかった。」

私:「豊臣家に対抗し得る力を持った外様の勢力が政権の中枢にいましたからね。」

所員:「仮に外様の勢力が豊臣家に対し叛旗を翻した場合、その勢力を駆逐することが出来るだけの豊臣恩顧の勢力が居なかった。と……。合算すれば対抗することが出来るのではありますが、彼らを一つにまとめることが出来る人物は太閤殿下独りしか居なかった。」

私:「本来であれば跡を継ぎました秀頼のもとに集まることになるのでありますが、残念ながら秀頼の齢が若過ぎた。そうなりますとたとえ秀吉恩顧の武将であったとしましても頼りとなる後ろ盾が必要となります。これは三成にも言えることでありまして、現に三成が頼みとしていました前田利家が亡くなると同時に三成は身の危険に晒されることになってしまった。そんな不安に駆られる彼らに目を掛け、豊臣政権下における影響力を高めていったのが徳川家康であった。と……。」

所員:「で。もし秀頼が既に成人していたら。になるのでありますが、そうなりますと秀頼は太閤となりました秀吉の様子をつぶさに観察して育つことになります。」

私:「秀吉が今の地位に至るまでの苦労を知らず。天下人である秀吉の姿が豊臣家にとって当たり前の姿である。で育った秀頼が跡を継ぐことになる……。」

所員:「……何か顔色が優れませんが……。」

私:「家族経営の。それも親子が相並び立つ会社でありますか……。大抵、親子での意見は合わないのでありますが。親が子に弱いと言うのでありましょうか。子供のほうが怖いもの知らずとでも言うのでありましょうか。勝つのはまず子供のほう。これはまだ。なのでありますが、勤めていて堪えましたのは仕事場で決めたことが親子の会話で引っ繰り返ってしまうことがありまして……。引っ繰り返ることも、まだ許容……う~~~ん。なのでありますが、困ってしまいますのが子供のミスをトップである親が従業員に転化してしまうことが……。ハタから見ていれば面白いのかもしれませんが。中で働いているものからしますと……。」

所員:「それが転生することになる前の。今の勤め先への転職するに至った理由の1つでありますか。」

私:「私の場合は転職に動く云々の前に倒れてしまったのでありましたが……。そんな状態に秀頼が育っていたとしたら、さすがの三成も……。」

所員:「もし秀頼が我がまま放題に育ったのでありましたら、たぶん。『このままではいけない。』と秀吉も自分自身にネジを巻くことになったと思われますが……。」

私:「状況判断が怪しくなった創業者と、創業者はしっかりしているけど子供の意見を受け入れてしまい。面倒臭い部分の全てを従業員に押し付けて来るのとでは……どっちがきついのかな……。」

所員:「これで創業者が亡くなられてしまいますと。」

私:「いよいよ歯止めが利かなくなる……。」

所員:「代が替わりますと継がれたかたは自分の色を出したがるものであります。そうなりますと厳しい立場に追い込まれることになりますのが、先代からの従業員。それもこれまで中枢を担って来た人物。これは会社組織のみならず。国の体制にも言えることであります。で。豊臣家の中で中枢を担って来た人物となりますと。」

私:「……三成は、どちらにしても虐げられる立場にあった。と言う事なのでありますね……。」


所員:「上司在世中はこき使われ。史実では同僚から命を狙われ。まだ幼い上司の忘れ形見を陰に日向に支え盛り立てた結果待っている運命は粛清の恐怖。かと言いましてこの八方塞がりの状況を打破することが出来るだけの勢力を自らは有していない。そんな石田三成の前に登場したのが徳川家康でありました。」

私:「豊臣秀吉と直接対決をした敵の中で唯一秀吉が倒すことが出来なかった人物。」

所員:「そのため家康の領国を関の東側に押し込むなど最期の最期まで警戒した秀吉でありました。で。これが蒲生や丹羽のように秀吉より先に。でありましたら様々理由をつけまして家臣と領地を分解することが出来たのでありましたが。寿命が先に尽きることになったのは豊臣秀吉のほうでありました。息子の秀頼はまだ幼く、彼独りで豊臣家を背負って立つことは当然の如く出来るわけではありません。そこで家康ほか5名の外様大名に秀頼の行く末を頼まざるを得なかったのでありました。」

私:「本来でありましたら秀吉恩顧の家臣に頼むのが自然な流れのように思うのでありますが……。」

所員:「譜代の家臣によって秀吉の上司織田信長がどうなってしまったのか。その後の織田家を没落させたのがどなたであったのか。を秀吉は知っているが故。譜代に政権の中枢を任せることは秀吉には出来なかったのでありましょうし、カリスマのタガが外れた身内がどのような行動を起こすのか?も秀吉は見ていますので。譜代の家臣に広大な領土と権限を与える選択肢を秀吉は持ち合わせていなかったと思われます。」

私:「で。秀吉恩顧の武将は、国の半分程度の領地を与えられることと引き換えに三成同様。こき使われることになったのでありますか……。10万石から30万石でありますので必ずしも冷遇されていたわけではありませんが。朝鮮半島では皆酷い目に遭わされることになるのでありました。」

所員:「ただ酷い目に遭っただけでありましたらまだ良かったでありましたが、上司である秀吉自身に衰えが出てしまったこともありましてか。現状を伝えても信じてもらうことが出来ないばかりか。謹慎や領地召し上げの憂き目に遭うモノも現れる始末。そんな歯止めが利かなくなった秀吉に意見することの出来る人物。頭の上がらない人物が徳川家康でありました。と……。」

私:「秀吉恩顧の。とりわけ朝鮮半島の現地と上司である秀吉から酷い目に遭った武将が家康のもとに足を運ぶようになった。と……。」

所員:「小早川秀秋などは家康の取り成しによって北九州の領国を失わずに済んだモノも現れましたからね……。」

私:「でもそのことが三成憎しに結び付くようには思えないのでありますが……。」

所員:「三成が戦況や現地の意見を秀吉に報告する立場にあったため、秀吉から叱責された諸将からしますと『三成があれこれ意見している。』とか『現地からの報告を三成が捻じ曲げている。』と思われるそんな立ち位置にあったことが1つに、秀秋の領国であります北九州の地を秀吉が託そうとしたのが三成であった。と……。三成は辞退するのでありますが、代官として管理しなければならなくなった。三成からすれば厄介なことなのでありましたが、領国を奪われることになりました秀秋からしますと……。」

私:「『三成が秀吉をたぶらかせて、俺を貶めやがって……。』と恨みを買うことになってしまった。と……。」

所員:「そこに持ってきての秀吉逝去であります。」

私:「豊臣政権の権力基盤の全てが秀吉であった。とりわけ地盤看板鞄を現地に有していない秀吉恩顧の諸将にとって自らの権益を担保してくれる唯一の存在であったのが天下人であります秀吉だった。と……。」

所員:「その秀吉が亡くなり、後継者の秀頼もまだ幼い。かと言って自らが次を担うことの出来るだけの国力を有しているわけでも無い。故に彼らは自らの権益を守ってくれる後ろ盾。スポンサーが必要となりました。そこで彼らが頼ることになったのが秀吉在世時代から秀吉ですら遠慮しなければならない存在であった徳川家康のもとに集まることになったのはある種自然な流れではありましたね。」

私:「如何に『亡き太閤殿下の遺訓であるぞ。』と力んだところで、恩顧の諸将からしますと『生き残るためには、こうするしかないのだから。』とならざるを得なかった。と……。」

所員:「勿論毛利輝元も同じことが出来る立場。しかも彼は秀吉恩顧の諸将が多い西国に拠点を構え。朝鮮半島では共に酷い目に遭っていたのでありましたが、如何せん輝元は大きくなった毛利しか知らなくて育ったこともあります故。自分の領国内の反乱に悩まされる経験はありませんし、苦労知らずと言う点では宇喜多も同様。家中が2つに割れる体験から出発しました上杉景勝の領国は畿内からはチト遠い……。」

私:「で。残された選択肢であります家康か三成が頼りとしました前田利家の二者択一を秀吉恩顧の諸将は迫られる運びとなった。と……。」

所員:「そこに来ての利家逝去。」

私:「家康と家康の看板を背負ったものにとって怖いものはもはや無し。あとはこれまで秀吉から受けて来た恨みを三成にぶつけるのみ。と襲撃を試み……。」

所員:「その間を善意の第三者として取り持ったのが徳川家康。襲い掛かって来た7名は無罪とし、先年の朝鮮半島における論功行賞の見直しを宣言。勿論その時用いられる土地は豊臣家の土地。家康にとっては痛くも痒くも無い上に与えられた秀吉恩顧の諸将に感謝される立場になることが出来。」

私:「最後に下した裁決が三成の追放であった。と……。」

所員:「でも三成にとっては良かったのかもしれませんよ。」

私:「何故でありますか?」

所員:「仮に7名の武将に襲われることなく、このまま大坂城に居たとしましても。常に命が狙われる立場であり続けることに変わりはなかったのでありますから。それこそ『松の廊下』になるようなことになりかねない状況にあったのでありますから。そう考えますと家康の息子であります結城秀康の護衛(人質)により、三成の領国であります佐和山に無事帰ることが出来たこと。しかも佐和山のある北近江は三成の地元。ほかの同僚に比べ、元々の勢力との折衝などの障害も無い地域。そのためこと領国経営におきまして、豊臣政権がある以上。特段後ろ盾を必要とはしない恵まれた立場に三成はあった。と……。家康も家康で、自らの抵抗勢力が大坂城から居なくなりさえすれば良かったわけでありますので。」

私:「三成も領国内で大人しくさえしていれば……。でありますか?」

所員:「それまで反家康の急先鋒でありました前田家のその後を見ますと……。これは勿論その後を知っているから言えることなのではありますが。」


所員:「そろそろ三成の世界にまいりましょうか。」

私:「その前に三成が人生を逆転することの出来る条件の整理をしたいのでありますが……。」

所員:「史実通りに進んでしまいますと、三成は間違いなく打ち首となってしまいます。それを回避する最良の方法は勿論、逆に家康の首を取ることになります。ただしこれは相当難しいミッションになることは史実が証明しています。」

私:「三成が力んだところで粉骨砕身三成のために動いてくれる兵力だけでは到底家康には叶いませんし、『打倒家康』で手を結んだ連中にしましても家の中が混乱していましたり、家中の意見が割れていましたりしまして統一した動きをとることが出来ないところが多く、中にはどちらに転んでもいいよう。家康とも結びついているものも居る始末。正直あの戦の責任者は果たして三成だったのだろうか……。と思うことしばし……。一方の家康サイドは家康自身が動員することの出来る兵力もさることながら、山内一豊のように家康に全てを賭けている大名で占められている。『三成憎し』の御旗のもとに。この状況下で家康の首を奪うことは、現実的な選択肢とは正直言えないところがありますね……。」

所員:「そうなりますと……。こちら。家康と秀頼の間を引き離す。と言うのは如何でしょうか?家康は会津に向け兵を動かします。これに伴い権力の空白が生じました畿内の地で三成は挙兵することになります。ここまでは史実と同じになるのでありますが、史実と異なるのはここからでありまして、それは何か?と言いますと。」

私:「……言いますと。」

所員:「家康を再び畿内に入れなければ良い。家康はあくまで秀頼の一家臣でしかありませんから。その秀頼の命令が無ければ家康は何をすることも出来ません。これまでそれが出来たのは秀頼のお墨付きがあったからであります。なぜそれが出来たのか?と言いますと、それは大坂城内で意見を述べることの出来る人物は家康独りしか居なかったから。その家康は今。大坂には居ません。大坂から遠く離れた会津の地に家康と家康シンパの大名が集まっております。つまり今、畿内におきまして家康に味方する勢力が存在しないとまでは言いませんが、少数派に過ぎない状況にあります。その間隙を狙い毛利輝元を盟主に掲げ。家康とその一味を再び大坂の地に足を踏み入れさせることを防ぐことが出来れば、家康の権力を担保する秀頼はこちらにあるわけでありますので。小牧長久手で豊臣秀吉がやりましたように。政治工作を駆使しつつ、家康に味方する勢力の切り崩しを図る。これが現実的な路線になることかと思われます。ただ問題となりますのが、家康シンパの勢力は三成に対する憎しみで満ち溢れてしまっているため、骨の折れる作業になりますし、どちらかと言いますと輝元サイドのほうが切り崩されやすい状況にあるのが難点ではあります。」

私:「持久戦に持ち込んで追い込まれるのは、むしろこちらなのかもしれませんね……。でもそうでもしない限り豊臣家の未来を開くことは出来ないのか……。待てよ?」

所員:「どうなさいましたか?」

私:「家康が。正しくは徳川家が天下を握ることになったのは関ケ原の戦いがあったからですよね。」

所員:「はい。」

私:「その原因を作ったのが今度私が転生することになる石田三成でありますよね。」

所員:「はい。」

私:「と言うことはつまり……。三成が挙兵さえしなければ家康はともかく。家康よりも秀頼のほうが当然余命が長いことを考えますと、江戸を中心とした徳川家による恒久的な天下は存在しないことになりますよね。」

所員:「確かにそうなります。」

私:「その原因を作ったのが三成の挙兵であった……。と言うことはつまり。」

所員:「つまり?」

私:「三成は佐和山の地で大人しくさえしていれば、しばらくの間。家康の好き勝手やりたい放題の時代が続きますけれども、史実ではあと16年待てば彼の寿命が尽きることを考えますと……。……身の丈を低くして暴風が止むのを静かに待っていればそれで良い。そういことになりますよね。」

所員:「……たしかにそうではありますけれども……。お客様。それで宜しいのでありますか?」

私:「私の希望はあくまで『スリルある隠居生活』でありますので。人事のゴタゴタに巻き込まれるのは……現実世界だけで十分でありますので……。」

所員:「……そうでありますか……。お客様がそう仰られるのでしたら構いませんが……。」


 こうして私は関ケ原1年前の石田三成に転生することになるのでありました。内政好きの引き籠りプレーをするために……。

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