107・助けに行く

『こちらアンリ、――聞こえるか』


「聞こえます、どうぞ」


『今からジュンヤをそっちに飛ばす。座標、教えて』


「了解、座標データを送ります」


 アンリとリザ・タナーの会話に、操縦室の隅で仮眠を取っていたロックとバースは、ハッと飛び起きた。

 EUドームからネオ・ニューヨークシティ上空に飛び、ハッチからハロルドたちを降ろした後、飛空挺は近くの平地でずっと待機状態だった。操縦士二人とリザ、そして、整備士が数人、そのなかにロックとバースの姿がある。

 故障時に備え、整備道具片手に乗り込んだわけだが、戦闘に参加することもなく、ただ事態を見守るしかない彼らは、アンリやハロルドからの連絡をずっと待っていた。

 待ちに待った一報は、事件解決の知らせではなく、ジュンヤの転送についてだった。


「まだ終わってないのか」


 ロックが漏らした。

 戦闘開始から、既に数時間が経過している。朝早くに突入劇があり、今はもう昼を回った。いい加減何か進展がないとヤバい時間だ。

 操縦室の床に青白い円が現れ、そこから光の柱が立ちのぼった。もうすっかり見慣れた、転移反応だ。

 若い黒髪の男の姿が浮かび上がると、ロックとバースは思わずアッと声を上げた。


「ジュンヤ、お前、怪我してるんじゃないのか」


 二人がジュンヤを最後に見たのは、飛空挺の食堂だ。なぎ倒された椅子やテーブルの向こうで、細長い刃物を振り回し、エスターを奪って消えたのだった。その後、仲間からジュンヤが何故そのような行動を取ったのかを聞かされ、同情もした。政府総統に騙され、操られていたらしい。自分の犯した罪に気付き、政府ビルで上部の人間を倒したことや、ビルの地下に隔離されたエスターを救うために尽力していることも、よく知っている。

 ハロルドたちがドームの天井を突き破って政府ビルの最上階に侵入した頃、ジュンヤはディックと共に地下へ向かったと聞いていた。その後に何が起きていたのか、痛々しい左足を引き摺って現れた彼に、二人は顔を青くする。

 操縦室全体がざわめき、何があったと皆が口々に言う。

 防弾ベストに膝までまくったカーゴパンツ、小脇には松葉杖、背中には大きめの銃、そして小さなボトルの覗く布鞄が見える。


「怪我人が何しに来たんだ」


 ズンズンと前に進み出ながら、赤髪を逆立てたロックは、ジュンヤを怒鳴りつけた。


「お前、足が折れてるのか。なら、こんな場所に来るべきじゃないだろ。物を届けるだけの役目なら、別のヤツにだって出来たはずだし、物だけ送り届けりゃいい話じゃないか。アンリってヤツは何を考えてお前なんかを寄越したんだよ」


「気を遣わせて悪いな、ロック。こればっかりは、俺がやらないとダメなんだ」


 ジュンヤの顔は青ざめていた。血の気がない。変な汗を身体中にびっしりかいている。松葉杖をついて、ヒョコヒョコとぎこちなく動く彼は、誰が見ても痛々しい。


「治癒促進剤を打ってある。大丈夫、死にはしないさ。そんなことより、改良したエアバイク、残ってるんだろ。貸してくれ」


「貸してくれって、ジュンヤお前、どこに行くつもりだ」


「決まってるだろ、エスターを助けに行く」


 促進剤を打てば、確かに治癒速度は高まる。しかし、身体全体に熱を帯び、意識が朦朧としてしまう副作用がある、諸刃の剣だ。重篤患者や前線の兵士以外には滅多に使用しない代物、値段も高く、ネオ・シャンハイでは殆ど流通していなかった。そんなものを打ってまでエスターを助けに行くという。

 何が彼をそこまで奮い立たせるのか。

 彼の瞳は、普段と変わらず真っ直ぐだ。誰が止めようが、意志を曲げるつもりはないらしい。


「その足でエアバイクを操縦するのは無理だ。しかも、そんな荷物まで担いで。ジュンヤ、自分の身体と体力を考えてもみろ。いくら勇んでも、そんなんじゃ何も出来やしないだろうが」


「それでも、俺が行かなきゃならない。時間が無い」


「『時間が無い』だけじゃ、何の説明にもなってない。何が起きてて、何をしに行くつもりだと訊いてるんだよ」


 ジュンヤもロックも譲らなかった。二人とも、にらみ合って息を荒げている。

 二人のやりとりをじっと見ていたバースだったが、とうとう我慢できず、間に割って入ってきた。まあまあ落ち着いてと双方をなだめつつ、


「操縦だけなら、俺がやってもいいよ。ジュンヤを後部座席に乗せてけば、問題ないんだろ」


「も、問題ないわけないだろ!」


 ロックがまた怒鳴った。今度はバースに向けて。


「どいつもこいつも、頭が悪すぎる。戦地に向かうんだぞ、怪我人やド素人が軽装で行けるような場所じゃないんだ。ここからはドームの中で何が起きてるかはわからないけど、さっきから、変な音が地面を伝って響いてきてる。爆破したような音、変な煙がドームに開けた穴から湧いて出てるんだよ。……って、聞いてるのか!」


 バースはロックの話を無視して、操縦室から外へ足を向けていた。ジュンヤもヒョコヒョコ足を引き摺って付いていく。

 止めなければ、思ったロックは早足で二人に追いつき、バースの前に立ちふさがった。


「行くなって言ってるんだ」


「じゃ、訊くけど、誰がジュンヤを連れて行くの。操縦士のみんなはここに留まる必要があるだろ。優秀な整備士だって必要だ。……俺なら、多分、ここから離れても問題ない。整備士としても半人前以下、スキルもない。エアバイクの操縦くらいなら、俺にだって出来る。エスターを助けに行くなら尚更……、行きたいんだよ。大丈夫、死にに行くわけじゃない。エスターを助けて戻ってくるためだ。ジュンヤ、通信端末持ってるんだろ。なら、全てが終わったら連絡も入れられる」


 いつになく、バースは真剣だ。整備士の中で一番若く、何をするにも頼りない、身寄りも無く、シロウに拾われた恩を何とかして返したいと常々言うだけの少年が、今は大人顔負けの眼差しでロックを見ている。これ以上、止めるのは無駄だと、ロックは仕方なく道を空けた。

 ありがとうと、この期に及んで礼を言い、バースはジュンヤと連れだって操縦室の外へと歩いて行く。


「死ぬなよ」


 ロックにはそれしか言えなかった。



 *



 廊下を抜け、車庫に向かう。ハッチのすぐ側にある車庫には、EUドームで改造したエアバイクが数台並んでいた。どれも、突入時に必要かも知れないと用意されていたものだ。実際は使われず、鍵の付いたまま停めてある。

 シャッターを開け、バースは手前の一台のエンジンをかけた。燃料は満タン、動作も正常だ。

 通常地上数十センチから数メートルの高さまでしか浮き上がらないエアバイクを、滞空時間が長くなるよう改良し、短時間だが空を飛べるように両サイドに羽をつけてある。長期の空中戦には向かないにしても、飛べるだけマシだ。

 移動中、ジュンヤはバースにエスターのことを話していた。何故今急がねばならないのか。マザー・コンピューターと同化した彼女が、今は天使の姿になって破壊行動を開始してしまったこと、彼女を止めるために開発したソフトを読み込ませなければならないこと。ソフトと言っても、通常、コンピューターに読み込ませるチップ方式では意味が無い。そこで、錠剤・カプセル・液体にそれぞれ破壊プログラム停止ソフトを搭載したナノマシンを混ぜ、どうにかして彼女の口から体内にそれらを取り込ませるしかないという結論に達したこと。


「アンリが言うには、停止ソフトがマザーの中で正常に起動するのか、確認のしようが無かったらしい。やらないよりはやった方がマシだ、その程度の高いリスクを背負ってることを忘れないで欲しいって。俺には専門的なことは殆どわからないんが、どうやら、何種類かまぜこぜにしてあって、どれかが効けば破壊行動が止まるかも知れない程度なんだとか。彼女の身体は今、分厚い装甲で覆われていて、俺たちが見たところでは、口以外に投入できそうな箇所が見当たらなかった。どうにかこうにか近付いて彼女の口からソフトを投与するんだ」


 ジュンヤが持っていた布鞄の中身は、その三つの媒体らしい。どれかの投与を失敗しても、次、また次があるようにと、アンリが用意していたものだ。上手く身体に取り込めたとして、彼女の身体のどの部分でソフトが吸収され作動するかもわからない。念には念を、短い準備時間に考え出された方法なのだ。

 後部座席にジュンヤを乗せ、ヘルメットを被るよう言うと、バースは風除扉とハッチを順番に開けた。

 まず、ドームの壁面を駆け上がらなければならない。それだけで、かなりのエネルギーを使ってしまう。ジュンヤを振り落とさないように、慎重に運転することも必要になる。


「行くよ」


 エアバイクにまたがり、ヘルメットを被ると、バースはぎゅっとハンドルを握った。浮遊装置が空気を大きく吸い込んで車体を上昇させていく。マフラーからエネルギー溶液の白い排気がブワッと出たかと思うと、バイクは急加速して飛空挺の中から飛び出していった。

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