73・抵抗

 咄嗟にハロルドはエネルギー銃を構えた。見たこともないほどの巨体に、ハロルドはすっかり圧倒されてしまっていた。銃を構えるのが精一杯で、銃弾を放つまでに至る自信など毛頭無い。

 緊張感が辺りを支配し、怯えがスッと消える。

 腰を抜かしていたキースも、ガタガタと震える足を踏みしめて黒い二つの影を睨み付ける。他の三人も、それぞれに体勢を直して、銃口を半開きの冷凍室入り口に向けていた。


「……D-13の差し金か。こんな事になっているとわかれば、わざわざビルから遠隔操作して鍵を開けておくこともなかったのじゃがな」


 老人だ、思うと少し力が抜けた。つまり、大きい方はともかくとして、小さい方は確実に戦闘要員じゃないというわけだ。

 銃を持つ腕の力を弱めたハロルドに、キースが横から忠告する。


「油断するな。ヤツらは、政府の特殊任務隊。小さい方はスウィフト博士、NCCにも所属していた科学者。もう一人はその実験体、エドだったかな。地下爆破事件の際、死んだのだとばかり思ってたが」


 キースが一歩前に出た。銃口は相変わらず二人に向いたままだ。


「名前を知ってるということは、あの時地下にいた人間の一人か。D-13、ディック・エマード博士はどうした」


「ここにはいない。俺たちにもわからない」


「わからないとは滑稽じゃ。味方にも手の内を見せないという意味か。すると、ここに何があるか知って来たわけではなさそうじゃの」


 スウィフトのしわがれ声が、冷凍室に響く。当たりをぐるっと見回し、まだ何も起きていないことを確認すると、悠々と開け放たれた冷凍室の扉から内部へと足を踏み入れた。

 彼の問いにまともに答えようなど、キースは全く思っていなかった。あの地下空間でディックをいたぶっていた無言の巨人が、いつ自分たちに牙をむくかわからないこの事態、更に敵に情報を提供するようなことだけは避けたかったのだ。

 キースは全身からしみ出る汗でサウナ状になった防寒着の下、自我を保つだけで精一杯の緊張感に押し潰されそうになりながら、じっと間合いをはかった。

 次第に目が慣れ、相手の姿がくっきりと見えてくる。全身、冷凍貯蔵雇用の防護服、胴体部分が防弾ベストのように補強されているところから見ても、作業着と言うよりは防具という方がしっくりする。最初から戦闘モードだと視覚から訴えられれば、いくら予期していたとはいえ戦闘向きとはとても言い切れない自分たちの装備に不安が募る。銃で撃ったとしても、相手に通用するかどうかもわからない。

 どうするか、ハロルドとキースが考えあぐねている隙に、背後で誰かが動いていることに気づいた。ベンとウッドだ。まるで地を這うように、等間隔に並んだ銀筒の合間を縫って前方へ進んでいる。時間を稼がなければ。無意識的に、二人は互いに顔を見合わせうなずき合った。


「まさかとは思うが、ここにあるのはリーのクローン体、か」


 ハロルドのそれは一つの仮定だった。同じ顔をした東洋人、コールドスリープ、保存、ひた隠し、それから連想できるものは少ない。


「――こんなところで何かが起きるとは、思いもせんかったがの。半月前、一体を搬出して以降、危機感がなかったわけではない。じゃが、敵に場所を突き止められるとは。近頃、EUドームから頻繁にマザーへのアクセスがあるらしいとは聞いておった。恐らくマザーから情報を得たんじゃろうな。あのAI、一体何を考えておるのか」


 恐る恐る声に出したハロルドに、スウィフトは驚き、声を裏返らせた。


「ということは、ディックの言ってたとおり、リーは死んでない。身体を変えて今も生き続けてる。……そうか、だから撃たれても笑って」


 とんでもない考えだが、辻褄は合った。ハロルドはわざと大きな声で、大げさに身振り手振りする。老人と巨人の注意を少しでもこちらに向けておきたい。ベンとウッドが攻撃を仕掛けるまでは。


「ん、もしやお前は一度島へ来たことがある人間か。閣下が銃殺される現場を目撃したと。ヤツめ、妙な面子を寄越したもんじゃ」


 クククッとスウィフトは不敵に笑った。ヘルメットの下、表情は全く読み取れない。

 向けられた銃口にものともせず、またじわりじわりと歩を進めるスウィフトの動きに焦る。引き金に当てた指を動かそうとして、キースは初めて異変に気がついた。撃てない、のだ。


「エネルギー銃などここでは役に立たんよ。マイナス一〇〇度を超える超低温じゃぞ。高濃度エネルギー溶液の凝固点はマイナス八十五度。ここではボトルが凍結して、撃つことさえままならんはずじゃ。そんなことも知らず、愚かなもんじゃの。――エドモンド、これ以上外気を入れられては困る。ドアを」


 小さな身体を捻って、スウィフトが突然、巨人に指示を出す。

 まずい、キースが慌てて叫んだ。


「や、やめろ。閉めるな!」


「外気を取り込めば、室内の温度が急速に上昇する。そうすれば、せっかく保存していたTYPE-Cに悪影響を与えてしまうではないか。こんな事で全てを失ってしまうわけにはいかんのじゃよ。エド、早くせい」


 スウィフトに促され、大男はぐるっと向きを変えた。その動きはどこかぎこちなく、力ない。冷凍室のドアを閉めようと、エドモンドはぐっと手を伸ばした。

 ふと、キースの視界に、ようやく入り口の両側にそれぞれ迫ったウッドとベンの姿が。 


「今だ、行け!」


 キースの声を皮切りに、ウッドは身を屈めたまま助走をつけ、大男に横から体当たりした。左半身にダメージを受けた巨体がぐらりと揺れ、大きくドアの正面からずれる。完全に入り口のドアがフリーになった。


「ベン、走れ、発電機をぶち壊せ!」


「わかってるよ!」


 ベンが開け放たれたドアの向こう側へするりと抜けた。ぐっと親指を立てて走り去る彼に、キースはガッツポーズで応える。

 あとは、特殊任務隊の二人をどうにかすれば、目的が達せるはずだ。

 体当たりされた巨人は、よろめき、壁により掛かって、必死に足を踏ん張っていた。ウッドはその様子に、いささかの違和感を覚える。彼の一撃は、さほど重くはなかったのだ。


「怪我、してるのか。おかしいぞ、こいつ」


 その言葉に、キースはハッとして、大声をあげた。


「――回復してない、怪我は完全に治ってないんだ」


 彼の脳裏には、真っ暗な地下空間で炎に照らされた大きなシルエットが鮮明に映し出されていたのだ。ボロボロになりながら必死に立ち回り、わずかな隙をついて銃撃したディックと、全身穴だらけの大きな影。


「あれは一日や二日で治るような怪我じゃなかった。何か特別な手術でも施したのかと思ったが、違う。俺たちがここに向かったのを知って、回復する前に無理矢理連れて来たんだろ。こんな超重大な秘密抱えた施設に、普通の兵隊なんか連れて来れないもんな。どうなんだ、スウィフト博士」


 その一言が、一気に志気を高めた。

 ハロルドも、気持ちが高揚してくるのがわかっていた。形勢は間違いなく優位。老人と怪我を負った大男しか寄越すことの出来ないということは、それほど相手も追い詰められているという証拠だ。しかも、この状態で相手をねじ伏せてしまえば、確実に任務を遂行することが出来る。 


「何をやっておるのじゃ、エド! な、なんたる。こうなったら、ローザに……いや、そうすればTYPE-Cが」


 怖じ気づき、防寒着のポケットから取り出した携帯端末を覗き込んでブツブツと呟くスウィフトを、ハロルドが思いきりぶん殴った。ヘルメットが取れ、白髪頭があらわになる。手の中からすり落ちた端末を踏んづけると、老人は驚くほど高い声を上げて倒れ込んだ。

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