第24話
空の彼方を泳ぐルナール神の影を見上げ、静かな丘陵のふちを歩く。
「……」
俺の腕の中でじっと身を丸めたまま、目を伏せるガリア。強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどに小さく、華奢なその体にはいくつもの生傷が刻まれ、その四肢には決して少なくない量の血が伝った跡が残っている。やれやれ、こっぴどくやられたもんだ。まずは、傷の手当をしてやらないと。
「ギルバート!ここに居たか」
聞き慣れた声。顔をあげると、夜闇に弧を描くようにして飛んできたバラムスが俺の横に着地して白い煙を吹き散らす。刺々しくも美しいその自慢の甲殻に傷はなく、怪我を負っている様子もない。
「無事だったか。バラムス」
「あったりめえよお。あんな奴らに捕まるほど俺の脚は鈍っちゃいねえ。っと、そんなことよりもだ。そっちは上手くいったのかよ。そいつだけでいいのか?もう一匹居なかったか?」
「いいんだ。あいつには、恩も義理もない。生きるも死ぬも知ったことかよ。だが、それはそうとして少しばかり面倒なことになった。これは、久しぶりにあいつを頼ることになりそうだ」
「……本気か?あいつがどんな奴かは知ってるだろ」
「覚悟の上さ」
丘の上に立つと同時に見えてくる、いくつかの明かり。およそ丸一日ぶりとなるヴィヴィアンの村。暗闇に身を寄せ合う家々と、ひときわ大きく目立つ宿。その屋上に大きな翼を広げる影が真っ赤な一つ目を光らせ、羽ばたく。
「っ」
音もなく押し寄せる闇と、巨大な眼。身構える暇もなく俺を包み込んだその影はガリアごと俺の体を掴み上げ、再び舞い上がる。ぐっと体が持ち上げられる感覚に目を伏せ、もう一度開くと、そこはヴィヴィアンの宿の前であった。
「……」
巨大な影が小さく縮み、リリアが黙って身を寄せてくる。俺はガリアを片腕に抱いたまま身を屈め、抱きとめたリリアの背を撫でてやる。うるんだ瞳が俺を見上げた。
「ただいま。リリア。心配をかけたな」
「……お怪我は」
「あぁ、大丈夫。かすり傷程度さ」
安堵に息を吐き、その身を俺の胸に擦り寄せるリリアを撫で回してやると、遅れて飛んできたバラムスが砂を巻き上げて着地した。
「リリアちゅわぁ~ん、どうせなら俺も連れてってくれよぉ」
「……よかった、ご無事で……」
「聞いちゃいねえ」
「ご無事でしたか、ギルバートさん」
その声に振り返ると、宿の看板娘、もといヴィヴィアンが立っていた。しかしその表情は疲労困憊といった様子で、服や髪の乱れも直せていない。どうやら、彼女も頑張ってくれていたようだ。
「なぁヴィヴィアン。俺は?俺も頑張ったんだぜ?なあ、おい」
「どうぞ中へ。冷たい飲み物を用意してあります」
「あぁ。助かるよ」
右腕にガリアを、左腕にリリアを抱いてヴィヴィアンの宿へと足を踏み入れる。掃除が行き届いていた通路には各部屋から運び出された家具や壊れた道具類でごった返し、ヴィヴィアンの子供たちがその整理や掃除に追われて忙しなく行き交っている。その様を横目に食堂へと入ると、先程送り出した罪なき囚人たちが身を寄せ合っていた。
「ちゃんと、匿ってくれたんだな。ヴィヴィアン」
「えぇ、まあ。震災が起きる前に何人かは送り出しましたが、無事かどうかは分かりません。一応、護衛も付けたので大丈夫だとは思いますが……」
積み上げられた布を枕にガリアを寝かせ、椅子に腰掛ける。囚人たちを構いに行ったバラムスを横目に差し出されたグラスに口を付けると、よく冷えたマナカクテルが体に染み渡る。竜の酒と比べるのは酷だが、こちらも美味い。
「……さて、ギルバートさん」
「なんだ」
「良い知らせと、悪い知らせがあります。といっても、悪い知らせのほうは既にご存知かもしれませんが……どちらからお話しましょうか」
ヴィヴィアンは静かに目を伏せ、マナカクテルに口を付ける。俺は顎を擦った。
「悪い知らせから聞こう」
「……先程の震災で、『黒の槍』が抜けました。破滅の女神の封印が、解けてしまったようです。もう既に、地上に出てきているかも……」
「あぁ。そうらしいな。俺もここに来る途中で妙な怪物に襲われたよ。頭骨だけが剥き出しになった、影のような獣だ。あれは恐らく、不死者……死神さまの眷属だろう」
死神ヘルの眷属。不死者。自我も意思もなく、ただ本能のままに彷徨う生きる屍。
彼らは闇に紛れて生者に忍び寄り、死の呪いを与える。そうして奪われた生者の命はかの死神へと捧げられ、死の女神は新たな眷属を生む。そうして生まれた不死者たちは、近くに生者の気配が無ければヘル神の元へと集まろうとする。ゆえに、ヘル神が遙か地底に縛られている限りは、不死者たちもまた地の底に蠢くばかりなのだが……。
「ギルバートさま、ふ、不死者に襲われたんですか!?呪いを受けてしまったんじゃ」
「いや、大丈夫。見慣れない部族の娘が助けてくれたんだ。だが、こいつは……」
ちらりと、ガリアを見る。リリアがはっとして息を呑み、ヴィヴィアンが「ふむ」と呟いて触手を揺らした。
「……ギルバートさん。助けてくれた者というのは、黒いローブを着込んだ者ですか?それとも、獣の骨を被った者ですか?」
「骨を被った奴らだ。何か知っているのか?」
「えぇ、まあ。骨を被った狩人……「バラフムの娘たち」です。不死者を狩る者といえば、彼らしかいません。彼らは時折、地上に出てきた不死者を狩ることで、不死者が増えすぎないようにしてくれています。彼らが狩りを行っているのなら、すぐさま地上に不死者が溢れ返るということはないはずですが……」
「……だが」
「えぇ。当然ながら、『死そのもの』が地上に出てきたとなれば話は別です。彼らがいくら不死者を狩っても、それ以上に生み出されてはどうしようもありません。一刻も早く、黒の槍を刺し直さないと……」
ごくりと、唾を飲む。黒の槍は、ヘル神の『棺』を刺し貫いてその力を封じたバラフム神の神器。当然ながら、俺たち魔族の手に負えるものではない。
「…………そういえば、良い知らせをまだ聞いていなかったな」
「はい。彼らが、手を貸してくれるそうです」
ヴィヴィアンが合図をすると、村人の一人が窓を開け放つ。
その向こうから、巨大な妖精族の女性――精霊が、ぬっと顔を出した。
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