第23話

「っ」


 まずい、気づかれたか。身構えると同時に、真っ直ぐ眼下の地面に浮かび上がる魔法陣。咄嗟に飛び退くと、俺が居たまさにその場所が火柱に飲み込まれる。枝を掴んで身を翻し、岩に降り立った俺は慌てて両手を上げた。


「っとと、待て待て。争う気はない。まずは話をしよう」


「動くな」


 愛らしくはあれど、どこか冷たい声。少女はその立派な骨兜に金の目を光らせ、その杖を一振り。その穂先から吐き出された無数の火球がばらばらに地を跳ね、その全てが俺の顔めがけて牙を剥く。


「う、ぐ」


 すぐさま身を捻ってそれらを躱すも、火球は背後の幹に跳ね返って再び戻ってくる。


 飛び交いながら俺の逃げ場を塞ぐそれに気を取られている暇もなく、火炎の壁が俺を取り囲む。ええい、面倒な。だったらまとめて打ち消してやるかと拳を握りしめると、大地を踏みしめた俺の足元に魔法陣が浮かび上がる。飛び退く暇もなく、俺の体は火柱に飲み込まれた。


「……ッ」


 思わず奥歯を噛むが、熱くない。それどころか、何も感じない。ハッとして顔を上げると、俺に重なっていた黒い影が悲鳴を上げて飛び退いた。



「ギャアアアアアァァッ」


 火に包まれて転げ回り、喧しい叫び声を上げるそれは、頭骨だけが剥き出しになった獣の影。黒いもやのようなその肉体をはっきりと視認することは出来ず、しかし確かに強靭な四肢と尻尾のようなものが見える。それが何なのかを考える間もなく、獣の下に浮かび上がった魔法陣から火柱が上がる。容赦のない追い打ちだ。


「下がれ」


 その声に、ハッとして後ずさる。少女が連れていた黒い獣がのそりと俺の前に出たかと思うと、炎の中でもがく影に飛びかかり、その強靭な四肢を以て影を押し潰す。影は悲鳴を上げて霧散し、獣の頭骨だけがそこに残された。


「……」


 黒い獣はその爪を舐め、ちらりと俺を一瞥して身を寄せてくる。俺は一瞬身構えるも、どうやら敵意はなさそうだ。さらりとして滑らかなその毛並みを撫でてやると、地面に転がった頭骨を拾い上げた少女がこちらに歩み寄ってくる。杖を飾る金細工がしゃらりと音を立てた。


「無事か。よそ者」


 どこかぶっきらぼうな、しかし優しい声。骨兜越しの瞳がじっと俺を見上げる。


「俺を、助けてくれたのか?君は、一体」


「……ラ=ミは獣狩りだ。獣けだものを狩るのがラ=ミの仕事だ。森から出て行け」


 ラ=ミと名乗った彼女は俺に頭骨を投げ渡すと、そのまま黒い獣に跨る。どうやら彼女の狙いは俺ではなく、この頭骨の持ち主だったらしい。戦わずに済んだのは良いが、しかし俺は彼女の荷物に用がある。俺はさっと獣の前に立ち塞がった。


「待て。待ってくれ」


 黒い獣がその目を細め、ラ=ミが杖を構える。


「……お前は、獣の友か。ラ=ミの邪魔をするなら、狩るぞ」


「違う。そうじゃない。その二人は俺の顔見知りなんだ」


 俺がそう言うとラ=ミはその肩をぴくりと震わせ、相棒と思わしき獣の腰に下げた獲物を見やる。


「……この竜は、お前の友か」


「友というほど親しくはないが、な。白い方は……まあ、煮るなり焼くなり好きにすればいいが、黒い方は俺の恩人だ。俺は、そいつを追ってこの森に来た。どうか、見逃してやってはもらえないだろうか。そいつを置いていってくれるのなら、俺はすぐにでもこの森を出ると約束しよう」


「そうか。だが、ならぬ」


 予想していた通りの返事に、奥歯を噛む。まあ、せっかく捕らえた獲物を置いて行けと言われて、素直に置いていく者はいないだろう。やはり力づくで奪い取るしかないか。と、俺が拳を握ろうとすると同時に、ラ=ミは言葉を連ねた。


「この者たちは、獣の呪いを受けている」


「……獣の、呪いだと?」


「そうだ。獣の呪い。ヘルの接吻を受けたのだ。獣は生ある者に忍び寄り、これを与える。この呪いを受けたものを、地に返すわけにはいかない。この者たちが力尽きれば、大いなる獣となるだろう。我らが父は、これを許しはしない」


――――死神ヘル。その名は、知っている。


 死と破滅を司る魔神にして、不死者の母。ありとあらゆる生物の命を喰らい、その魂を弄ぶことを至上の悦びとする滅びの女神。彼女の寵愛を受けたものは死してなお動く不死者となり、彼女の眷属として永遠に地上を彷徨うこととなる。


 俺の記憶が正しければ、彼女は秩序と節制を司る魔神バラフムによって遥か地の底に封印されていたはずだが……。


「……」


「森から出て行け。お前に出来ることは何もない」


 そう言って、ラ=ミは黒い獣の背を叩く。黒い獣は再び俺を一瞥し、のそりのそりと俺の横を通り過ぎる。だが、はいそうですかと引き下がる訳にはいかない。俺はため息を付き、黒い獣が背負う袋のうち片方、ガリアが詰め込まれた袋をすれ違いざまに掴んだ。


「……三度目はないぞ。よそ者」


 骨兜越しに俺を睨む金の瞳。俺は袋の口をしっかりと握り、その眼を睨み返す。


「こいつは、置いていけ。呪いなら、俺が何とかしてみせる」


「……」


 ラ=ミはしばし俺を見つめ、やがてふんと短く息を吐いたかと思うと、袋を繋ぐ縄を切った。

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