第12話


「まず始めに聞いておこう。話をする気はないか?」


「……」


 返事はない。が、彼女はじっとこちらを見ている。


 リリアよりも一回り小さいくらいの、まだ幼い女の子。どこかぼんやりとした顔つきと、輝きを失った瞳。リリアのそれとは違う、もふりとした金色の髪。可愛らしい子だ。その足元にいくつもの物言わぬ死体を踏み、全身が血に濡れてさえいなければ。



「(人間を、殺したのか……?)」


 勇者が人間を殺したというのか。まさか。だが、あれは確かに人間の死体である。服の様子からして、恐らくは彼女と共にこの地を訪れた者。勇者たる彼女の護衛か。つまりは、仲間であろう。それを、手にかけたというのか?


「……」


 俺はリリアが部屋を抜けて通路へと引き返したのを確認し、ふうと息を吐く。


 彼女が手にしているあの剣、何か妙な魔力を感じる。うねり、のたうつあの刃。まさかとは思うが、あれが例の魔剣か。


 だとすれば、あれは神器。魔神がその手に握る武器。つまりは魔神の力そのものと言っても良い。あの年齢では、恐らく手にしてからそう時間は経っていまい。完全に使いこなせてはいないだろうが、正面からやり合うのは危険だ。


 フロスティが言い伝えた話が事実であれば、あれは一振りで無数の斬撃を生む剣。手数の多い相手は、どうしても苦手である。出来ることなら、戦いを避けておきたい。それに、何か様子が変だ。あの娘、まさか。


「まあ待て」


 俺が軽く手を挙げると、少女はぴくりと反応を見せる。振り上げようとしたその手が止まる。会話は成り立たないが、どうやら彼女は俺の言葉を聞いている。聞いてくれている。よく見れば、その手は震えているようにも見えた。


 俺は深く息を吐き、真っ直ぐに少女と向かい合う。


「俺は殺し合いを望んではいない。出来ることなら、子供を殴りたくはないんだ。その剣を、下ろしてはくれないか」


「……」


 少女はじっと立ち尽くしたまま、微かに首を横に振る。その口が、何か言葉を紡ごうとする。俺が思わず構えを緩めたその瞬間。



 その剣は、振り抜かれた。



「!」


 白い軌跡が虚空を裂くと共に、降り注ぐ斬撃。押し寄せる殺意。それを避けた先に待ち構える刃。横薙ぎに振り抜かれるそれを踵で止めて蹴り返し、同時に振り下ろされる刃の峰を拳で迎え撃つ。なおも繰り出される斬撃が俺の背中を掠めた。


「!」


 頭上と左右、正面。のたうち暴れて押し寄せる刃。

 全力で飛び退き、地を掻いたその場所にすら突き刺さる白刃。息を吐く暇もなく押し寄せる突き。払い。振り下ろし。避けても、避けても、その先に刃が降ってくる。一本だったはずの刃が二つに分かれ、四つに分かれ、八つに分かれ、大蛇となって俺に牙を剥く。


「くそッ!!」


 部屋の外周に沿って地を蹴り、中央から放たれる斬撃を往なす。


 突き刺さる刃を飛び越え、地を滑り、押し寄せる刃を尻目に走り続けるも、キリがない。避けきれない。どいつもこいつも、手数が多すぎる。どうしろと言うんだ。


「う、ぐ……」


 八本もの刃による、止めどない波状攻撃。視界を埋め尽くす斬撃の嵐はもはや目で追う事も出来ず、ついには足を取られてその渦中に飲み込まれてしまう。のたうち回る斬撃が虚空を裂き、地面を割り、壁を傷つけ、その全てが俺を目掛けて降り注ぐ。俺は奥歯を噛んだ。


 一度振るえば兵が死に、二度振るえば将が死に、三度振るえば戦が終わる。


 なるほど確かに、とんでもない剣だ。防御姿勢など何の意味もない。四方八方から同時に刃が飛んでくる。防ぎようのない斬撃の嵐。降り注ぐ刃が皮膚を裂き、骨を掠めるその感触に、顔をしかめる。


「……っ」


 身動きが取れない。息をつく暇もない。子供を殴るどころの話ではないぞ。これは。だが、この刃。鈍い。俺の四肢を断ち切るほど鋭くはない。一撃の威力は、決して強くない。間違いない。あの剣、あれは、手数で圧し殺す武器だ。


「(なら)」


 俺は全身に斬撃を浴びながらも身を起こし、深く息を吸う。



「――――っ、お前は、手を出すなァッ!!」



 そう叫んだ、その瞬間。ほんの一瞬、斬撃がぴたりと止まる。掛かった。掛かったぞ。俺は地を蹴って刃を掻い潜り、少女の懐に潜り込む。


「!」


 刹那、存在しない不意打ちを警戒してその手を止めた少女はハッと目を見開き、振り抜いた刃を翻す。だが、遅い。振らせてたまるか。俺は強引に飛び込み、その小さな体に拳を打ち込んだ。


「……ッ」


 柔らかな肉を潰し、細い骨を砕く手応え。子供の足腰で俺の拳を受け止めきれるはずもなく、少女の体は軽々と宙を舞う。微かに溢れ出す嗚咽と鮮血が尾を引き、部屋の中央に佇む巨大な水晶がそれを受け止める。長大な剣が砂に突き刺さった。



「…………っ、あー……。また服がボロボロになっちまった。くそ」


 切り刻まれた服を広げ、ため息をつく。数え切れぬほどの斬撃を浴びた俺の服はもはや布切れと化し、全身が傷だらけだ。俺は乱れた髪を掻きあげ、近くに突き刺さった魔剣を引き抜く。


「……」


 手にしたそれは、ただ真っ直ぐな白い刃。計り知れぬ魔力を秘めた、静かな剣。あれほど激しくうねり、のたうち回ったその刃は、いまやぴくりとも動かない。どうやら、こいつは俺に力を貸してはくれないようだ。



「終わったか?ギルバート」


 足元から聞こえてくる、聞き慣れた声。目を向けると、砂に潜り込んでいた小さな虫……もといバラムスが俺を見上げていた。


「ギルバートさま!」


 遅れて駆け寄ってくるリリアを抱きしめ、撫で回す。耳障りな羽音と共に這い上がったバラムスが俺の肩に乗った。


「中々面倒な相手だった。熟練だったら危なかったかもしれないな」


「そうかそうか。にしてもあっさり終わったな。もうちょっと苦戦してても良かったんだぜ?」


「言ってろ」


 肩をすくめ、部屋の中央に佇む水晶に歩み寄る。横たわる勇者の虚ろな瞳が、静かに俺を見つめた。

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