第5話
透き通る青空。流れる白雲。
緑の絨毯に吹き抜ける風は心地よく、降り注ぐ光は暖かい。
東の山脈から顔を出したソラール神に見守られながら、のんびりと道を歩く。ヴィヴィアンの宿で美味い飯と美味い酒を腹いっぱい詰め込んで、あくびなんかしながら歩いてゆくこの一時は、まさしく最高に心地の良い条件が揃っている。
「なァ見ろよ、ソラール様がこっち見てるぜ。いいことあるかもな」
……隣にバラムスが並び歩いてさえいなければ。
「あぁ。そうだな」
昨日のそれとはまた別の形の、さらに一回り大きく艶やかな甲殻を身に纏い、針のような四本の脚をカツカツと鳴らして歩くその様を横目に、俺は軽く空を仰いでため息を吐く。
「なんだよギルバート、機嫌悪そうだな?なんか嫌なことでもあったのかよ」
「うるせえ」
「ひでえなあ。せっかく一緒に来てやったのによう」
「いや、なんでお前着いてきてるんだよ」
「別にいいじゃねえか。どうせまだ城も持たずにあちこちブラブラしてるんだろ?次はいつ会えるか分からねえんだ、たまには手伝わせてくれよ。なあいいだろ?邪魔はしねえからさあ」
「…………好きにしろ」
ふんと息を吐いて顔をそらすと、どこかそわそわとしていたリリアが俺の裾を引いた。
「ギルバートさま」
「どうした?」
「あそこに勇者がいます」
その言葉に、口を結ぶ。バラムスが爪を開く。小さな手がそっと指し示す方を見やると、少し離れた丘に佇む木の陰に一人の少年が寝そべっている。歳は十を数えるかどうかというところで、背丈はリリアと変わらないくらい。見たところ、武器の類も見当たらない。
どう見ても、ただの子供が昼寝をしているようにしか見えない。バラムスも気の抜けた様子だ。
「間違いないのか?」
「は、はい。あの子は、加護を持っています。間違いありません。勇者です」
その言葉に俺は頷き、上着を軽く開く。身を翻してコウモリとなったリリアがその隙間に潜り込み、俺は岩陰に身を屈める。ふうと息を吐いて目配せをすると、バラムスは地に伏せて勢い良く駆け寄っていった。
「ギャアアァァァォォォッッ!!」
静かな丘陵に響き渡る、大声での威嚇。今から襲いかかるぞという、意思表示。寝そべっていた少年はその声に驚いて身を起こし、迫り来る大顎を小さな拳で迎え撃つ。
「!」
その瞬間、ズンと音を立てて凹む地面。ひび割れる丘。大地が咳き込み、バラムスの甲殻が宙を舞う。鮮やかな体液が雨のように降り注いだ。
「(……明らかに異様な怪力。戦神の豪腕か。戦いは避けるべきだな)」
俺は静かに立ち上がって上着を翻し、汚れた地面に座り込む少年の元に駆け寄る。
「少年、怪我はないか?」
俺がそう声をかけると、少年は顔を拭ってこちらに目を向けた。
「魔物の声が聞こえたからまさかと思ったが、怪我はなさそうだな。良かった」
「……ありがとう、お兄さん。でも平気だよ。僕、これでも勇者だからさ」
バラムスを吹き飛ばした右手を握り、少年はどこか寂しげに笑う。魔族を倒したと言うのに、その表情に誇らしげな様子はない。むしろ、罪悪感を噛み締めるような顔だ。これくらいの子供なら、ゴブリン一匹でも殺せば大喜びしそうなものだが。この子はどうやらそうではないらしい。
「その歳で勇者とは、すごいじゃないか。力も申し分ない。将来はきっと英雄だな」
「……すごくなんか、ないよ。僕は、なんにも頑張ってない」
そう言って少年は木陰に座り込み、空を泳ぐソラール神を眺めてため息をつく。俺は指で顎を擦り、その隣に腰掛ける。
「お兄さんも、勇者なの?」
「いや、俺は勇者じゃない。ただの旅人さ。だけど、勇者がどんなものかは知ってるぜ」
「そっか」
「……悩みごとでも、あるのか?」
少年は膝を抱き、自らの手を見つめた。
「……僕ね、生まれたときから、他の子の何倍も力が強かったんだ。僕は、ハーキュリーズ様に愛されてるんだって。だから僕、教会でお祈りして、勇者になったんだけど……ほんとは僕、勇者になんかなりたくなかったんだ」
「そりゃまた、一体どうして。勇者と言えば、子供たちの憧れだろう?立派な仕事じゃないか」
「立派なんかじゃない。勇者たちがやってることは、多分、間違ってる」
「……そう、思うか?」
「だって。皆、そこに魔物が居たからって理由で、わざわざ魔物の巣に入って行って、ぜんぶ殺して帰ってくるんだ。なんにも悪いことしてなくても、魔物だからって理由で殺すんだ。魔物を殺せば、ハーキュリーズ様が喜んでくださるからって。でも僕、わからないんだ。僕には、ハーキュリーズ様が本当に喜んでるのかどうか、わからないんだよ」
「そうか」
空を仰ぎ、ふうと息を吐く。
「勇者の仕事は魔物を殺すことじゃなくて、皆を守ることじゃないのかなって、僕はそう思うんだ。そりゃ確かに、襲い掛かってくるようなやつは、追い払ったり、倒さなきゃいけないけど……そうじゃないやつは、別に殺さなくてもいいと思うんだ」
「皆を守る仕事、か」
「僕はまだ見たことないけど、人間に懐いたり、僕らとお話できる魔物だって居るんでしょ?だったら、皆でちゃんと話し合えば、ひょっとしたら仲良くなれるんじゃないかなって……」
「……」
「ねえ、お兄さん。魔物にだって、戦いたくないって思ってるやつはきっと居るよね。僕だってそうだもの。出来ることなら、戦いたくなんかない。僕はこの力を、もっと別のことに使いたいんだ。ものを壊すことしか出来ないこの力を、魔物を殺すためじゃなくて、もっと、別の……だけどよくわからなくて、僕、ずっとここで考えてたんだ」
「人間と魔物は、共存出来ると思うか?」
「出来るよ!きっと出来るさ!皆がそう思わなくても、僕はそう思う」
少年は、はっきりとそう言った。
「そうか」
俺はその頭を撫で回し、静かに立ち上がる。
「お兄さんは、どこにいくの?」
「……ちょいと、仲間を守りにな」
そう言い残し、俺はその場を後にする。気がつけば、自然と笑みが溢れていた。
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