第68話『愛の形』
私には弟と妹がいる。私達は恵まれた環境で育ったのだと思う。裕福な家庭に生まれ、充分な教育を受けて育った。
発達心理学における発達の要因は『遺伝』と『環境』と言われている。
私も哲也も同じ遺伝子を受け継ぎ、同じ家庭環境で育った。妹の優衣だって同じだ。
当たり前のことだけれど、私達三人は全員が別の人格を持った、まったく別の人間である。
同じ両親の遺伝子を継ぎ、同じ家の下で暮らしたにも関わらず。
私はそれに納得がいかなかった。
確かに、環境なんてものは曖昧で、常に変わりゆく。だから全く同じ環境と言う前提を整えることは不可能だ。生きていれば、関わる人も変わっていくし、受ける教育も、思想も変化し続ける。
頭ではわかっている。でも納得がいかない。理屈として理解するのと、心がそれを受け入れるかは別問題なのだ。
私は弟が好きだ。
この言葉を両親が聞いたらどう思うだろうか? そりゃ、もちろん、弟思いの良い姉だと感じるだろう。
だが、違うのだ。私は弟が好きだ。しかし弟が好きなのではない、哲也が好きなのだ。
一人の異性として愛している。
同じ遺伝子と同じ環境で育ったのに、片想いなんて残酷で笑えない。あんまりだ。同じ親から生まれ、同じように育てられたのなら、同じように人を好きになるべきだ。
哲也も私を愛しているだろう。もちろん、彼のそれは家族愛と呼ぶ代物だ。
どうしてこうなったのだ。私はそれが知りたくて遺伝子工学を学んでいる。そんな所にある答えに救いなどないと分かっていてもだ。すがるしかない、求めるしかないのだ。
弟と同じ遺伝子を持つ私の気持ちが届くことはない。歪で醜い私の、汚れきった純粋な気持ち。
あぁ、早起きなんてするものじゃないな。朝からこんな思考に囚われるなんて……。
思えば哲也は変わった気がする。
久しぶりに顔を合わせてすぐに気がついた。彼は私の知らない顔を魅せるようになった。私とは別の世界を見て、別の世界を生きるようになったのだと。
そのことが、たまらなく嫌で、たまらなく愛おしい。
私がそんな思考の濁流にのまれていると、階段から誰かが降りてくる音がする。
いや、誰かではない、この音は間違いなく弟のものだ。
「おはよう、弟」
私は自らを戒める意味も込めて、そんな挨拶を交わす。
「おはよう、姉」
こちらの作法に習い、そう返してくる哲也。
彼にそんな意図は無いのだろうが、その姉と言う一文字が、私と哲也、姉と弟と言う、一番近くて、一番遠い距離を連想させた。
「哲也が私よりも遅く起きるなんて珍しいわね?」
「違うよ、僕はいつも通りさ。姉さんが早いのが珍しいんだよ」
すぐに言い返してくる哲也。
言われてみると、今に限った話ではないか。いつだって珍しいのは私の方だ。いや、そんなオブラートに包まれた表現はやめよう。いつだって、歪で変な少数派な人間、それが私、新谷希美だった。
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