第52話『朱色』
四人がかりで倒した敵が、四対同時に現れた。これは控えめに言っても、絶望的な状況。
もはや、生き残る選択肢は残されているのだろうか。
「ラルム、後方の一体に、同時に精神魔法を使おう。一瞬の隙を作り、そこを通り抜けて逃げよう」
まともに戦うのは不可能だ。そう判断し、僕とラルムが後方のドラグワームへと精神魔法をかける。羽根の動きが鈍り、一瞬の隙が生まれた。その間隙を見逃す二人ではない。アンス王女がラルムを抱え、アイは僕を抱えて走る。
抜けた! そう思った瞬間、四方に散らばっていた他の敵が、僕らの進行方向を塞いだ。
アンス王女もアイも、僕らを抱えている。この包囲網は破れない……。
今この瞬間、この場を支配しているのは、死の空気。奴らの強靭な顎によって食い千切られるイメージが容易に出来る。
精神魔法など使わなくともわかる、四人全員が絶望という名のイメージを共有した瞬間、僕の視界は真っ赤に染まった。
これは、見覚えのある炎。そして燃えるような炎髪。しかし、僕の知っている少女と比べると数段大人びた横顔の女性だ。まさか……。
「我が名はウェスタ・ヴェルメリオ! ヴェルメリオ王国の第一王女である」
そう名乗った女性は、金属製と思われる銀色のグローブに炎を燃やしながら、次々とドラグワームを殴り倒す。いや、燃やし尽くす。
一方的な蹂躙だ。拳のラッシュが決まるごとに、敵の体だったものは灰へと変わっていく。そうして、数秒の時が流れた頃には、先程までの窮地が、綺麗な更地へと姿を変えていた。
「ドラグワームの血の臭いは仲間を呼ぶ。だから倒す時は燃やすに限る」
あまりにも急な展開に僕が言葉を失っていると、アンス王女が口を開いた。
「私はアンス・ノイラート。危機を救って頂き感謝します」
深々と頭を下げるアンス王女。僕らもそれに習い、急いで頭を下げる。
「気にするでない。私も別件でドラグワームを駆除する必要があったのだ。それにしても、ノイラートの王女とこんな所で会うとはな」
そう言って、豪快に笑ってみせる姿は、妹のリザとよく似ているのだが、妹と比べると、どこか気品のようなものが漂っている。
「私もまさか、このような場所でヴェルメリオの第一王女に命を救われるとは」
そう言って、再びアンス王女が頭を下げようとすると、ウェスタ王女がそれを手で遮る。
「王女があまり、頭を下げるものではない。それに妹が世話になったようだしな。先日、国に戻った時にリザから話は聞いたよ。特にお主の話がよく出たな」
そう言って、値踏みするかのような視線を僕に向けるウェスタ王女。
「申し遅れました。フィロスと申します。妹さんには大変お世話になりました」
僕が慌てて自己紹介をすると、それに続いてラルムも静かに名乗った。
「ラ、ラルムです……」
「なるほど、面白い組み合わせだな」
笑みを浮かべながらも、注意深く僕達を観察しているウェスタ王女。
「な、何がです?」
「お主は哲学とか言う、新しい学問を教えているのだったな?」
「は、はい」
「ノイラートの王女、新たな学問を広める少年、アリスカラーの少女。この組み合わせは珍しかろう?」
興味深げにこちらを見続けているウェスタ王女。
言われてみれば、稀有な取り合わせだ。
「まぁ、何にせよ、こんな所で立ち話もなんだ。場所を移さぬか?」
確かにもう、日も暮れてきた。まずは薬草も届けねばならない。
「あの、依頼の薬草を届けてからでも良いですか?」
僕がそう尋ねると、ウェスタ王女はゆっくりと首肯した。
* * *
森を抜け、依頼主の村まで戻ってきた僕達。辺りに人工的な光が少ないからだろう、真っ暗な夜空に浮かぶ星達が、とても美しく見える。
「お待たせしました。これが残りの薬草です」
僕はゆっくりと薬草の入ったカゴを差し出す。
「本当にありがとうございます。これで、村人全員に薬が行き渡る」
村長の瞳には薄っすらと涙がたまっている。
おそらくは、ずっと心配していたのだろう。やっと気持ちが解放されたのか、安堵の表情を浮かべている。
「色々ありましたが、無事、薬草が届けられて良かったです」
色々と言う言葉でくくるには、あまりにも衝撃の連続だったが、いたずらに村長を心配させる必要もない。
「こちらをお納めください」
村長はそう言って、報酬金の入った袋と、緑色の石がはめられている首飾りを渡してきた。
「これは?」
僕は手渡された首飾りを指差し、村長に問う。
「代々受け継がれてきた、村の宝です」
村長は真面目な顔で答えた。
「いやいや、そんな大事な物、頂けません」
僕が手渡された首飾りを返そうとすると、村長は頑なに首を振る。
「命あっての物種です。そして、その種を救ってくれたのが、貴方達じゃ。種さえあれば、花が咲く。宝などなくとも村は滅びませぬ。これはせめてもの感謝の気持ちです。受け取って下さい」
そう言って、再び頭を下げる村長。
「わかりました」
村長の言葉に短い言葉を返し、丁重に首飾りを頂くことにした。
一連の流れを遠くから見ていた、ウェスタ王女は終始、微笑を浮かべていた。
その後の話し合いで、首飾りは僕が預かることに決まった。
* * *
ギルドでの初依頼が終わり、完了報告を済ませた僕達は現在、超高級宿泊施設の一室にいた。ここはSランク以上のギルド会員しか借りられない宿泊施設のようだ。つまり、ウェスタ王女は少なくともSランク以上の実力者と言うわけだ。
「ここなら、腰もおろせるし、盗み聞きの心配もいらん。ゆっくり話そうではないか」
部屋の主である、ウェスタ王女が口を開いた。
「では、質問よろしいでしょうか?」
聞きたい事は山ほどある。
「もちろん」
簡潔な返事がどこかリザを連想させる。
「なぜ、第一王女自らが魔大陸にいらっしゃるのですか?」
まさか、僕達のように、連れ去られるようにして来たわけではあるまい。一体どのような理由があれば、この危険な大陸に王女自らが訪れるのだろう。
「魔大陸にある、文献や魔道具、それに魔物の生態系について調べている。と言うのが、建て前だ」
「では、本音は?」
「強い魔物や、強い奴と戦うためさ」
瞳を爛々と光らせ、楽しげに語るウェスタ王女。確信した。この人は間違いなく、リザの姉だ。
「やはり、姉妹なのですね」
無礼とは思いながらも、つい呟いてしまった。
「ヴェルメリオの女は戦いを好む傾向にあるからな」
そのことに誇りを持っているのだろう。そう思わせるのには十分な、自信に満ちた面差しのウェスタ王女。
「かっこいい……」
彼女の勇ましさに憧れを感じたのか、ラルムが小さく呟いた。
「私からすれば、お主の可憐さも羨ましくあるがな。人は皆、無い物ねだりをするものさ。けれど大事なことは、自身に備わっているものを自由に伸ばすことだ」
ラルムの方を向いて優しく語りかけるウェスタ王女。
その言葉をかみしめるかのように、ゆっくりと頷くラルム。
「僕達に何かお礼は出来ないでしょうか?」
「ふむ、礼をされる程のことはしていないが、一つ頼みたいことがある。しかし、簡単ではないぞ?」
複雑な表情を見せつつも、僕に向かって視線を向けるウェスタ王女。
「何でしょうか?」
「端的に言えば、精神魔法による、精神の治療だ。魔大陸では争いが絶えない。そして心に傷を負うものも争いの度に生まれる。私はそういった人達を助ける術を探している」
さっきまでとは打って変わり、深刻な表情で話すウェスタ王女。
「僕の力が及ぶかはわかりませんが、ぜひ力添えをさせて下さい」
こちらは命を救われている。ならば、恩人が助けたい人を助けるのは当たり前だろう。
「彼らは、生きるためのシルベを見失っている。リザが言うには、君の教える学問はまさに、そのシルベを与えるのだろう?」
ウェスタ王女から向けられる、視線の濃度がより高いものへと変わった。
「はい、全力を尽くします」
「決まりだな。では、今日はもう遅い。ゆっくり眠って、明日話そう。隣の部屋も借りておいた。お主達はそこに泊まるといい。四人でも余裕のサイズだ」
僕の返事に満足気に頷いたウェスタ王女は優しい声音でそう言った。
「ありがとうございます」
僕ら全員が同時にお礼を述べる。
「うむ、では明日」
その言葉を最後に今日はお開きとなった。
それから約一時間後、皆が施設の風呂に浸かり、後は寝るだけとなった所で、問題は起きた。いや、さしたる問題とも言えないが、この部屋にはキングサイズのベッドが二つ。子ども四人が寝るには十分過ぎるサイズなのだが、どの組み合わせでベッドに入るかで騒動が起きていた。
「し、仕方ないわね。フィ、フィロスの雇い主でもある私が、フィロスと同じ寝床を使うわ」
完熟トマトも裸足で逃げ出す程の赤面を披露するアンス王女。
「いえ、マスターの起床管理はいつも私の仕事ですので」
アイが淡々と異論を唱える。
「ふ、二人が争うのは良くないから、わ、わたしが……」
瞳を桃色に染めながら、小さな声で意思表示をするラルム。
「ちょっとフィロス! どうするの!?」
アンス王女の顔がみるみる赤く染まっていく。ヴェルメリオ家にも負けない程の鮮やかな朱色だ。
「えっと、三人一緒に寝られてはいかがでしょう? 僕はこちらを使いますから」
一人でベッドを占領するのは心苦しいが、少女三人が並んで寝ても、有り余る広さだから、大丈夫だろう。
「そ、それもそうね……」
どこか、口惜しさを残すニュアンスがある返事だったが、アンス王女も納得してくれたようだ。
こうして、無事、寝床の割り振りも済み、ベッドの中へと潜り込む。
ウェスタ王女からの依頼が頭をよぎる。争いによって生じる心の傷か……。心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDなのだろうか。あちらの世界での考え方がイデアでも通じるかはわからないが、調べておく価値はあるだろう。
僕は日本における明日の予定と魔大陸における明日の予定を整理しつつ、静かに眠りにつくのであった。
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