第47話『共有』

 試合開始のゴングが鳴り響き、リングの周りは観客の熱狂で渦巻いている。


 作戦内容の大まかな流れとしては、僕が対戦相手の意識を妨害し、ラルムがヴォルフさんへの妨害を目的とした精神魔法を防ぐという形だ。彼女の瞳なら攻撃してくる精神魔法を識別し、ラルム自身が更にヴォルフさんに干渉することで、ある程度は敵の干渉を防げるという。


 リングに上がる両選手のオッズから察するにヴォルフさんの味方をする人は少なそうだ。不利な状況と言える。


 試合が始まり両選手は軽いジャブの打ち合いをしており、まずは様子見と言った所だ。


 しかし、リングの外にいるラルムの表情は険しい。瞳の色が目まぐるしい速度で変化している。おそらく、数々の精神魔法を分析し、その上で中和しているのだろう。


 一方の僕はというと、相手選手の精神に介入しようと試みているのだが、精神魔法を妨害するような魔法がかけられているのか、その所為で上手く相手の意識に介入出来ずにいた。幾重にも思考が重なっているようで、その層が突破出来ないのだ。


 まだ試合が始まって数分なのだろうが、僕はその数分を永遠にも感じていた。複雑に折り重なった様々な精神魔法を突破しようと、多種多様なアプローチをかけるも、微動だにしないのだ。まるで分厚い壁を素手で直接殴打しているかのようだ。


 試合が開始して十分程が立ちリング内の様子に変化がおとずれた。ヴォルフさんの動きが鈍くなってきており、相手側からのパンチを避けきれなくなっている。

 足の怪我を加味しても様子がおかしい。


 もしやと思い、となりの少女の様子を確認する。

 ラルムの額には大粒の汗が滲み、目の動きが不安定だ。

 アンス王女が様子を気遣い、緑色のハンカチでラルムの額を拭う。


 流石にラルムと言えど、これほど様々な人の思考を同時に相手取るのは厳しいのだろう。この危ういバランスがいつまでもつか……。


 一発二発とヴォルフさんの腹に拳が決まる。

 ヴォルフさんの口からは血が滴っている。

 状況は最早、明らかなワンサイドゲーム。

 レフリーの存在しないこの戦いでは、一方的な蹂躙は当然のように行なわれるのだ。そして観客もそれを欲している。


 そんな秩序の消えた空気の中、僕の隣に小さな身体を震わせながら、大きな耳をヒクつかせているシフォンが寄り添ってきた。父親の傷つく姿を震えながらもしっかりと見つめている。


 その小さな身体を締めつける不安をほんの少しだけでも減らせるよう、少女の小さな手のひらを握りしめる僕。


 その瞬間、僕の中に膨大な情報が流れ込む。

 脳裏に浮かぶこの映像はシフォンの記憶だろうか?

 古びた小屋で慎ましく暮らすヴォルフさんとシフォンの姿が見える。決っして豪華な暮らしとは言えないが、小さなテーブルを囲みながら、二人の親子が笑いあっている様子は、ささやかな幸福の象徴のようだ。


 そんな一瞬の意識の混線から舞い戻った僕は驚きの光景を目にする。


 つい先程までの会場の殺気立った空気が嘘のような静けさに変わっている。


「フィロス君がシフォンちゃんから読み取った思考がフィロス君の精神魔法を通じてここにいる全員に伝わったみたい……」


 ラルムがフロア全体の様子を見ながら、目線を遠くにして言った。


「え、僕はそんな精神魔法を使った覚えないよ?」


 そもそもあんなにも詳細な映像を他人に見せる精神魔法など、僕の技量では不可能だ。


「何だっていいじゃない、今がチャンスよ!」


 アンス王女が力強く言い放つ。


「マスター今です!」


 アイも僕へと発破をかける。


「トレース!」


 千載一遇のチャンスを逃さぬよう、相手選手へと思考の同調を試みる僕。

 先程の様々な思考が混在していた状態とは打って変わり、すんなりと意識の同調に成功した。


 リング内の相手選手が意識を失い、テンカウントが過ぎた。

 勝利のゴングが鳴り響き、不思議とどこか厳かな雰囲気のまま静かな空気で試合が終了した。



 ーー試合が終わり、選手の控え室へと戻った僕ら。


「お父さん!」

 

 そう言って、ボロボロの父親の胸元に飛び込むシフォン

 少し痛そうな顔をしたヴォルフさんだったが、すぐに娘へと笑顔を向ける。


「皆さん、本当にありがとうございました」


 傷だらけの身体を深く折って僕らに向けてお辞儀をするヴォルフさん。


「一番頑張ったのはヴォルフさん自身とラルムです。僕は何もしていません」


 言葉通り僕は何もしていない。わけもわからぬまま舞い込んで来た隙を突いただけなのだ。


「いや、この子がこんなに私以外に懐くのは初めて見ました」


 いつの間にか僕の後ろに回り込んでいたシフォンは大きな犬耳を僕の背中に擦り付けている。


「お兄ちゃんが優しいからお父さん助かったの!」


 やっと、この子の笑顔を見た気がする。分からない事は山積みだが、この向日葵のような大輪の笑顔を咲かせられたのだから、細かい所は目をつぶろう。ご機嫌に揺れる尻尾がとても愛らしい。


「マスター、私も尻尾つけますか?」


 僕の思考を読み取ったアイが不穏な質問を投げかけてくる。


「ちょっと、どう言うこと!」


 顔を真っ赤にしたアンス王女が僕の心情にメスを入れる。


「え? いや、その」


 僕が言い淀んでいるとラルムが無言でこちらを見つめている。


「……」


 ラルムの黒に近い青の瞳が妙な緊張感を生み出している。

 この空気を打ち破るかのように、ヴォルフさんが口を開いた。


「大したことは出来ませんが、お礼をさせて下さい。何か困っていることはありますか?」


 今まさにこの空気を変えてくれたことが僕にとってはお礼にあたるのだが。


「じゃあ、一つだけ質問いいですか?」


「なんでしょう?」


 ヴォルフさんが真摯な瞳でこちらを見る。


「僕達、魔大陸に来たばかりでこちらの事情に疎いのですが、ギルドの加入条件などはわかりますか?」


 まずは、魔大陸での身分証のような物が欲しい。


「昔、ギルドにいたこともあるので私が紹介しますよ。今日は少し遅いので、狭くてもよければ我が家に来ますか?」


「いいのですか?」


「うん! 一緒に帰ろ!」


 尻尾を振りながら僕の袖を掴むシフォン。


「娘もこう言ってますし、ぜひお越しください」


 ヴォルフさんの心遣いにより、賭博場を後にして彼らの住む家へと向かう僕ら。


 上機嫌に僕らの少し先を歩くシフォン。弾むような歩調と忙しなく動き回る尻尾が視線を引きつける。


「やはり、マスターは尻尾にご執心のようですね」


 僕の耳元で拗ねたようにそう呟くアイ。

 アイからこう言う類の声音を聞くのは初めてで、少し動揺してしまう。


 一方ラルムは静かに考え事をしているようで、少し難しい顔をしている。


 アンス王女はと言うと、シフォンと一緒に少し前を歩いており、何か楽しげに会話をしている。


 三者三様の姿を見せる彼女達だが、この全体の雰囲気に不思議な居心地の良さを感じている自分がいた。

 僕の取り留めのない思考に、アイも静かに頷くのであった。

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