第38話『帰国』

 哲学書の執筆作業が終わり、数日が過ぎた。

 今日はヴェルメリオを後にする日だ。結局は三週間近く滞在しただろうか。瞬く間に過ぎ去った時間だったが、とても濃密な日々だった。


「お目覚めいかがですか?」


 朝一番に、青い瞳と目が合うのにも慣れてきた。瞳の青さが空を連想させるからだろうか、晴れやかな気分になる。


「おかげさまで、今日もいい朝だよ」


 僕はゆっくりとアイに言葉を返す。


 今日は朝食を済ませたらすぐに、ノイラートへと帰国する予定だ。


「私もご一緒してもよろしいでしょうか」


 不安そうな表情を浮かべ、僕に問いかけるアイ。


「もちろん、一緒にノイラートへ向かおう」


 思考を読み取っているアイには返事の内容が分かっていたはずなのに、僕が実際に口にした瞬間、安堵のため息を漏らしていた。


 宮殿内の僕の私室は広い。一人で使うには少々持て余していた所だ。それに、アンス王女に相談すれば、アイの居住の件も許可してくれるだろう。


「アンス王女と言う人物は、マスターの脳裏によく浮かんできますね。今からお会いするのが楽しみです」


「聡明でありながら、感情の起伏に富んだ魅力的な方だよ」


 顔を真っ赤にしたアンス王女を思い浮かべながらそう言うと、アイが愉しそうにこう返した。

 

「表情に膨大な情報をのせることが出来るのは羨ましい限りです」


 なんだか奇妙な言い回しだが、確かに表情というものは、感情という名の情報を相手に伝えるためのツールなのかも知れない。


 そんなやりとりを交わしていると、不意に部屋の扉がノックされた。

 この規則正しいノックの音からして、リザの専属メイドである、サリアさんだろう。

 

「朝食のご用意が出来ました」


 彼女の事務的な言葉に従い、僕らは部屋を出た。


 朝食の席にはすでに、国王とリザが座っていた。今日はルサリィ王女はいないようだ。


「おはようございます」

 

 国王とリザに挨拶をすると、国王が興味深げにアイの方を見てこう言った。


「彼女がシュタインの所から来たという子だね?」


「そうです、アイと呼んであげて下さい」


 僕がそう言うと、国王は優しい面持ちで口を開く。


「アイちゃん、いい名前だね」


「はい、マスターに貰った、最高の名前です」


 トーンこそ淡々としているが、心なしか誇らしげな顔をしている。僕もアイの微妙な表情の変化に詳しくなってきた。


「私とシュタインは同級生でね、同じ学び舎で過ごしていた時期もあったんだよ。彼は当時から頭一つ抜けていたね。私が彼を国専属の研究者としてスカウトしたこともあったが、君とはずっと友人でいたいと言われて断られたよ」


 国王が記憶をたどりながら、懐かしそうに語った。


「シュタイン博士には物凄くお世話になりました」


 僕がそう口にすると、国王は笑いながらこう言った。


「あいつは、お世話なんてしないさ。シュタインの原動力は知的探究心だけだからね。彼にとって君がとても興味深い人間だったんだよ。まぁ、自分の欲求に従って動くやつだからこそ、私は信用しているのだがね」


 国王の口調からは、博士への親しみが感じられた。


「なぁ、そろそろ俺にも喋らせてくれよ。しばらくは、フィロスと会えねーんだからよ」


 僕と国王のやりとりが続いていた所に、リザが勢いよく飛び込んできた。


「えっ、リザは国に残るの?」


 考えてみれば自然な流れだが、リザと過ごす時間が当たり前になりつつあった僕は、いきなりのことに驚いてしまった。


「あぁ、王女としてやらなきゃならねーこともほっぽり出してノイラートに出かけてたからな」


 豪快に笑いながらそう話すリザ。


「そう言えば、今更なんだけれど、リザはなんでノイラートの国家魔法師になりたかったの?」


「ん? あぁ、それはなぁ、ヴェルメリオには国家魔法師の制度がなくて、強さの指標が軍での実績のみだから、他の国の尺度でも、自分が通用するか試したかったんだよ」


 なるほど、実力試しとはシンプルでリザらしい考え方だ。


「私も突然国を飛び出したリザには少し驚いたよ。止めても仕方がないから、ノイラートの方にはすぐに連絡をいれたがね」


 なかなかどうして、国王も肝が据わっている。娘の突飛な行動も、笑いながら見守っているのだから。リザの度胸は案外、父親譲りなのかも知れない。


 それからもアットホームな会話が続き、いつの間にか、出発の時間が近づいていた。


「いやぁ、長話に付き合わせてしまったね」


 国王がアゴに手をやり、小さく頭を下げた。


「こちらこそ、とても楽しく過ごさせていただきました」


 心からの気持ちだった。


「帰りの馬車には護衛をつけるかい?」


「いえ、アイもいることですし大丈夫です」


 僕がそう言うと、少し誇らしげに胸を張るアイ。


「まぁ、魔物といってもリザードマン位だろうし、うちの紋章が入った馬車に仕掛ける馬鹿はいないからな!」


 リザが念を押すように言った。


「住む場所だけでなく、食事までご用意していただき、本当にありがとうございました」


 僕とアイが同時に頭を下げる。


「いやいや、またいつでも遊びに来るといいよ。なんなら、リザを貰ってくれ。フィロス・ヴェルメリオ、中々良い響きじゃないか?」


 茶目っ気たっぷりに国王がそう言った。


「おー、親父! ナイスアイディア!」


 似た者同士の豪快な親子だった。


「僕にはまだまだ、国を背負えるだけの度量がないですよ」


 僕も笑いながらそう言うと、リザがこう答えた。


「大丈夫だ、ヴェルメリオは女が背負う国だからな!」


 リザの力強い発言に、国王とリザは同じ顔をして笑いあっていた。



 それから、僕とアイは国王とリザに見送られながら、ノイラート行きの馬車へと乗った。


 行きの馬車ではリザと二人、帰りの馬車では、アイと二人。なんだか不思議な旅だったな。


 そんなことをぼんやり考えていると、隣から声がした。


「マスターに出会うまでは、私はずっと暗闇を彷徨っていたように思えます。あてのない暗がりを無感情に歩くように」


 記憶を振り返るアイの表情は暗い。


「今はどうだい?」


 ここ数日のアイを見ていればわかりきったことではあるが。


「世界が色づき始めて、一歩踏み出すたびに、どんどん何かが満たされているみたいです」


「それは心だよ。心が満たされているんだ」


 僕の言葉を聞いたっきり、自分の胸に手を当てて、静かに考え込むアイ。それからノイラートに着くまでの時間はずっと、馬車の中は沈黙に包まれていた。しかし、この黙っている時間も、アイとならば悪くないように思えた。僕のそんな思考を読み取ったのか、アイもゆっくりと頷くのだった。


 馬車の停止とともに、馬を操っていた精神魔法師に礼をのべ、外に出た僕ら。


 宮殿の門には見馴れた衛兵が立っており、

僕が話しかけると、すんなり中へと通してくれた。

 宮殿内に入ると、目にも止まらぬスピードで階段を降りてくるアンス王女の姿が見えた。


「おかえりなさい、フィロス」


 あれだけのスピードで走ってきたというのに息一つ乱れていないのは流石の一言だ。


「はい、ありがとうございます。おかげさまで哲学書の執筆は無事完了しました」


 なんとなく、ただいまの四文字を口にすることが恥ずかしく、報告という形で返事をする僕。


「良かったわ。今から読むのが待ちきれないわね。それとフィロス、その女の子は誰? また新しい女の子ね? それに何故、お揃いの服を着ているのかしら?」


 僕がアンス王女からの怒涛の質問に窮していると、主人のピンチを助けるために、アイが口を開いた。


「違います。私はマスターのお人形さんです」


 ピンチが絶体絶命のピンチに変わった瞬間だった……。


「……」


 驚きのあまり、アンス王女が絶句している。

 それから数分後、時を取り戻したアンス王女からの怒涛の詰問に、一つ一つ丁寧に説明していく僕。要所要所でアイが余計なことを言って、追い詰められる場面もあったが、なんとか無事、全ての説明が終わった。


「なるほど、だからお人形と言ったわけね。それにしても、見た目からでは判断が出来ないわね」


 アンス王女が冷静さを取り戻し、興味深げにアイを観察し始めた。


「では、私の居住を認めて貰えますか?」


 恐る恐る確認を行うアイ。


「まぁ、魔導具という申請であれば、特に許可は要らないわ」


 アンス王女の一言に胸をなでおろすアイ。


「アンス! どこに行ったの! はやく戻りなさい!」


 遠く離れた廊下から、フローラ王妃の声が響いている。


「お母様が呼んでいるわ、はやく行かなきゃ!」


 つい先ほどまでは真っ赤だった顔が急激に青白くなり、もときた道を嵐のように引き返すアンス王女。


「なんだか、せわしない人ですね」


 アイがボソッとつぶやいた。


 ノイラートでのせわしない生活に、アイという新しいメンバーが加わり、どのような変化が生まれるのだろうか。それが楽しみでもあり、少し不安でもある僕であった。

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