第32話『AI少女と精神』
「おはようございます、マスター」
何度も目をこすったが、目の前の少女は幻ではない。
シュタイン博士の元での一件から、数日が過ぎ、様々な話し合いのもと、結局このお人形さんは、僕のもとで預かることとなったのだ。
「おはよう、アイ」
それにしても、よく出来ている。僕と同じ銀色の髪も、小さく整ったその唇も、サファイアと見間違うほどの綺麗な青色の瞳も、それら全てが生命力に溢れているようで、作り物の命だとは到底思えない。
「ありがとうございます、マスター」
「う、うん……」
しまった。僕の思考は精神魔法の同期により、筒抜けだった。何となくだが、気恥ずかしい。
「本日の予定は、借りてきた魔道具での執筆活動と私の試運転ですね?」
「あぁ、そうだね」
『口にせずとも伝わる関係』と聞くとなんだかロマンチックな気がするが、実際にはシステマチックなのだろう。文字通り機械的だ。
さて、そろそろ、シュタイン博士から借りてきた魔道具で、執筆作業の続きにとりかかろう。
今日は、ソクラテスについての知識を記そうと思う。ソクラテスと言えば、対話によって真理を発見する産婆法が有名であり、こうした考え方から彼は、弟子に質問を繰り返し、自身が無知であることを気づかせたわけだ。更には、『徳は知である』と主張し、何が正しいかを知らなければ正しい生き方は出来ないと言ったのだ。
このように、ソクラテスに関する有名な話を持ち出せば、枚挙にいとまがないのだが、ソクラテスに著書はない。彼の教えは全て、弟子の記述によるものだ。僕もこの世界に哲学の種をまくことが出来たのなら、ソクラテスにとってのプラトンのような弟子を育てられるだろうか。
ソクラテスという基盤の上に、プラトンやアリストテレスといった、偉大な哲学者が誕生してくるわけだ。僕はこの世界における哲学誕生の基盤になり得るだろうか。そして、魔法学からのアプローチも踏まえた上で、新たな哲学の道を踏み出さねばならない。
午前中の時間を使って哲学の基礎知識を書き進めた僕は数時間の間、飲まず食わずで作業を行っていたので、喉が強烈に水分を欲している。魔導具のヘルメットを脱ぎ、立ち上がろうとした瞬間、水がなみなみに注がれたグラスが右隣りから差し出された。
「どうぞ」
どうやらアイが表面張力ギリギリのグラスを僕に手渡そうとしているらしい。
「ありがとう……」
これ以上ない程のベストなタイミングに、思わず驚きながらも礼を言う僕。
「喉の渇きを感じていたようなので」
思考以外にも、僕が感じている感覚までもが共有されているのだろうか?
そもそもアイには、喉が渇くなどという感覚があるのだろうか?
「私自身が空腹や喉の渇きを感じることはありませんが、マスターの神経が脳へ送る電子的な信号をもとに、その感情や感覚を推測することが出来ます。痛覚なども同様で、私自身は感じませんが、信号情報をもとに理解することは出来ます」
僕の思考に、口頭で答えるアイ。
はたから見れば、少女だけが話している不思議な光景だろう。
ゴンゴンゴン! 部屋の扉が強く叩かれる音が響いた。
この叩き方は、おそらくリザだ。今日はノックがあるだけ上出来といえた。
アイが扉を開けに行った。
「おぉ、ありがとよアイ!」
扉を開けたアイに向けて、勢いよく礼をのべるリザ。
「どうしたんだい?」
今日は一緒に出かける予定などはなかったはずだが?
「アイの試運転をやるって、昨日言ってたろ? 俺にも見せてくれよ!」
アイの作られた目的から考えて、試運転とは戦闘のことを指している。
リザがいれば、実戦を想定した訓練が捗るかも知れないな。
「うん、わかったよ。ひらけた場所はあるかい?」
「あぁ、訓練施設が併設してるから、そこでやろーぜ」
リザの言葉をきっかけに、僕達は訓練施設へと移動した。
* * *
施設内はきっちりとした正方形の形をしており、天井は高く、足元には柔軟性の高いマットが敷かれている。
「アイはずっと、自動で動いているけれど、そもそも僕が精神魔法で動かすメリットはあるのかい?」
それを確認しなければ、始まらない気がした。
「私自身には、人間程の強力なクロスドメイン能力はありませんので、臨機応変な対応を必要とされる戦闘においては、マスターの精神操作が必要です。単純な動きであれば、私個人の判断で事足りますが」
なるほど、複雑な駆け引きや作戦などを前にすると対応が出来ないわけだ。
「まぁ、とりあえず、やってみよーぜ!」
習うより慣れろ。実にリザらしい考えだ。
「通常の同期状態とは別に、意識的に精神魔法を私にかけて下さい」
アイがこちらを向き、淡々と述べる。
「わかった。トレース!」
アイへと意識の同調を行う。
「通常の精神魔法は相手の抵抗をくずしてからの誘導になりますが、私はマスターの指示に百パーセント従うので、動きのイメージを送るだけで大丈夫です」
アイの指示通りに操作していく僕。この状態は結果的に、アイを操る僕をアイが操っていると言えた……。
「マスター、集中して下さい」
「はい……」
それから、数十分練習を続け、基礎的な動きを身につけた僕達は、リザを相手に軽い訓練を行うことにした。
ルールは単純。リザの身体に一瞬でもアイが触れられれば勝ちだ。腕や足など、身体の部位は問わない。
「どっからでもこい!」
リザの威勢の良い大声が、訓練場に響き渡る。
右手を素早く前に繰り出すイメージを整えると、そのイメージにアイが反応し、その細く真っ白な右腕が素早く前に突き出された。しかし、リザはそれを事もなげに避けた。
それから数十分。僕のイメージによる操作も大分コツを掴み、アイの動きは最初に比べると見違えるほど速くなっていた。しかし、リザはそれすら超える、おそるべき速度でその全てを躱していた。
何か手はないか。このままでは、僕の集中力が持たない。リザの顔には汗一つない。
「もうちょいなんだけどなー」
リザが余裕の表情で言う。
〈アイ、ちょっといいか?〉
僕は口にはせず、頭の中で、アイに話しかける。
「はい、マスター」
アイからの返事は口頭になってしまうので、リザが少し不思議がっている。
〈僕が事前に動きのイメージを送り、それを時間差で再現することは可能か?〉
「可能です」
アイが淡々と答える。
ならば、この作戦は可能なはず。すでに僕の考えは、アイにも届いているだろう。
僕は二秒後にアイが行う動作をイメージにより送った。そしてつぎの瞬間には、一度アイの操作を止め、リザに対して動きを止める精神魔法を放った。リザの動きがほんの一瞬だけだが止まった。だが、僕達に必要だったものは、その一瞬だった。僕が未来に向けて送った指示通りにアイの右腕が進み、リザの左肩へと優しく触れた。
「あちゃー、その手があったか!」
悔しそうなのに、どこか楽しそうな調子でリザが言った。
自身の敗北よりも、仲間の成長が嬉しいのだろう。彼女が国民から愛される理由がまた一つ分かった気がした。
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