第30話『京都旅行』

 ヴェルメリオ王国の石造りの部屋で眠りについた僕は、一人暮らしの古びたアパートの自室で目を覚ました。


 石造りの部屋は熱伝導率が低く、冷んやりとした空気の中で眠りについたせいか、こちら側の部屋がより暑く、じめじめしているように感じる。暦の上ではもう秋だというのに、気温の高さも湿度の高さも天井知らずだ。


 うだるような暑さの中、重たい腰を上げ、洗面台へと向かう。


 アパートの構造上、洗面台付近の天井は少し低くくなっており、そこに勢いよく頭をぶつけた。ぶつけた箇所がズキズキと鈍く疼く。

 フィロスの時の身長と哲也としての身長があまりにもかけ離れており、寝起きの状態では、自分のサイズ感が上手くつかめないのだ。


 僕が頭をおさえながら、痛みを堪え、屈んだ姿勢でいると、家のインターホンが鳴った。


 のそのそと玄関まで歩き、ドアの穴から外を確認する。

 そこには、まだ朝の九時だというのに、大きなカバンを背負った理沙の姿があった。


 玄関の扉を少しだけ開き、理沙の方を覗きこむ。


「どうしたの?」


 連絡もなかったので、事情がわからず、おそるおそる聞いてみた。


「哲也、京都に行こう」


 扉の隙間から見える理沙の表情は至って真剣そのものだ。


「えっと、うん、いつ?」


 ひとまず日にちの確認だ。


「いま」


 まぁ、その背にある大きなカバンが答えだよね……。


「急だね、なんで京都なの?」


 僕がそう問いかけると、一冊の本を扉の隙間から手渡してきた。


 著者名、『西田幾多郎』、なるほどそれで京都か。


 哲学という言葉を聞くと、一般的には、ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった外国の哲学者が浮かびがちだが、日本の哲学者にも著名な方は多くいる。西田幾多郎もその一人で、日本を代表する哲学者だ。京都の『哲学の道』と聞けば誰しもが一度は耳にしている言葉ではないだろうか。西田幾多郎が好んで散策し、そこで思案を巡らせたことから、その名がつけられた。


「彼の本を読んだから、その場所に行きたいと?」


 僕の問いかけに無言で頷く理沙。


 理沙も意外と子どもっぽい一面があるな。テレビでハンバーグをみた子どもがお昼にハンバーグをねだるのと同じ理屈な気がする。


 子どもが相手なら、まるめこめるのだが、この大きな子どもは手強いからな。


「今日は休みだけど、明日は授業があるよ?」


「大丈夫よ、総武線快速で東京まで行って、そこから京都までは、新幹線で二時間ちょっとよ? 今から行けば往復の時間を込みにしても、日帰りで観光出来るわ。ルートも完璧に頭の中よ」


 下調べはバッチリなわけだ。まぁ、理沙が行くと言えば、実質的に、もう行く以外の選択肢はない。理沙は、いつもすました顔をしているのに、見た目に反して頑固なのだ。


「わかったよ、じゃあ準備するから、玄関で少し待ってて」


 僕はそういって、軽い身支度を整えに、廊下を引き返した。

 


 準備が整い、最寄りの駅から電車に乗った僕達二人。それから三十分ほど電車に揺られ、東京駅へと到着した。


「人が多いわね……」


 僕のシャツの袖をつかみながら、消え入りそうな声でつぶやく理沙。コンクリートジャングルに集まる人の群れが、圧迫感を与えてくる。


「相変わらず人混みが苦手なんだね?」


「人単体ですら苦手なんだから、人混みなんて苦手で当然よ」


 先ほどまでの意気揚々とした表情からは打って変わり、青白い顔をみせる理沙。


「新幹線乗り場までの辛抱だから、頑張ろう」


 人混みに流されながらも乗り場を目指す僕ら。僕のシャツの袖が千切れる前に、はやく乗り場に到着せねば。理沙の袖をつかむ力はどんどん増す一方だった。



 人混みを抜け、京都行きの新幹線に乗ったぼくらは、乗車券の番号に従い、席に座った。


「やっと落ち着けるね」


 僕は窓側の席に座った理沙に話しかける。


「小さい頃に、人混みって言葉は、人ゴミって言っているのだと勘違いしていた時期があったわ……」


 疲れたきった表情で理沙が言った。


「このタイミングで思い出すんだね」


「言い得て妙かも知れないわね?」


 危険な思想を表に出す理沙。


「僕を巻き込まないでくれ」


 理沙の顔に余裕が戻ってきている。冷房の効いた車内で体力が少しづつ回復してきたのだろう。


「哲也、朝ごはんは食べた?」


「おかげさまで、何も食べてないよ」


 僕のその発言を聞いて、カバンから小さな袋をいくつか取り出す理沙。


「じゃあ、これ……」


 そう言って理沙が、小さなお弁当箱とおにぎりを渡してくれた。


「理沙が作ったの?」


「うん、無理に食べなくてもいいから」


 九時には僕の家に着いていたことを考えると、随分と早起きをして作ってくれたのだろう。お腹が空いていたこともあり、僕は勢いよく弁当を食べ始めた。


 イデア側の食事も美味しいが、こちらの食事の何が素晴らしいかと言われれば、食材を警戒せずに食べられることかな。少なくとも地球には、ゴブリンがいない。



「すごく美味しいよ、それに僕の好きな味つけだ」


 おにぎりの具は梅。玉子焼きは甘め。唐揚げは醤油ベースの味つけだ。ここまでドンピシャだと、精神魔法で僕の思考が読まれたのかと疑うレベルだ。


「哲也は好きな味つけに片寄りがあるからね、学食とか購買で買っていた食べ物の傾向でなんとなくわかるのよ」


「流石は理沙。料理もしっかりとした情報収集のもとでやるんだね!」


 僕が心からの賛辞を送ると、複雑そうな顔で理沙がこたえた。


「なんか、想像してたリアクションと違うけれど、まぁ哲也だしね。及第点かな?」


「どういうこと?」


「料理の決め手は理屈だけじゃないってことよ」


 そう言って、軽く微笑む理沙。理屈によって物事を考えていく理沙がこのような発言をするのは、なんだか意外に思えた。



 それから、お弁当を食べながら談笑していると、窓の外に富士山が見えた。


「理沙、窓の外を見てみなよ」


 窓側の席に座っている理沙は、通路側の僕の方を向いており、まだ富士山には気づいていない様子だ。理沙がゆっくりと窓の方に視線をやる。


「あっ、富士山!」


 吐息でガラスが曇るほど、窓に近づく理沙。


「やっぱり、富士山は日本の心だよね」


 この雄大な美しさを目にすると、心が洗われるようだ。


「この景色を見られただけでも早起きしたかいがあるわね!」


 こちらを振り向き、満足そうに顔をほころばせる理沙。この笑顔を見られただけでも、早起きしたかいはあったのかも知れない。

 

 その後も、富士山効果のおかげもあり、京都までの残り時間を楽しく過ごすことが出来た。



 新幹線の場内アナウンスが京都に着いたことを知らせる。



 理沙の予定ではまず、清水寺へと向かうらしい。京都駅前のバスターミナルまで歩き、そこからバスに乗った。京都駅から清水寺までは、徒歩での移動も可能な程に近い。バスでの移動となれば、大した時間はかからない。窓から見える景色をぼんやりと眺めていたら、いつの間にやら、バスが停止した。


「流石は人気スポットだね、物凄い人出だ」


 隣にいる理沙が心配になり、顔をのぞいてみるが、意外にも大丈夫そうな顔色だ。


「えぇ、紅葉のシーズンにはまだ少しはやいのに、この人混みは流石の一言ね。でも、それを差し引いても有り余るほどの街並みの美しさよね」


 確かに、青々とした緑の中に、時折混ざる赤と黄色の葉が不思議なバランスで美しさを演出していた。真夏に来れば力強い緑を感じることが出来るし、秋にくれば、見事な紅葉が見られる。しかし、どっちつかずのこのシーズンですら、夏と秋のコントラストが彩る、素晴らしい風景だった。


「理沙が人混みに入ってまで、言うのだから相当だね」


「えぇ、京都の風景はいつ来ても綺麗よね。雪化粧が施された街並みも見てみたいわね」


 四季折々の美しさが際立つこの地ならではの魅力だろう。


 京都の美しさに見惚れながらも、少しずつ列は進み、ついに清水の舞台だ。眼下には、京都市内の美しい景色が一面に広がっている。


「清水の舞台から飛び降りるって言葉があるけれど、どちらかと言えば、この美しさに惹かれて、うっかり近寄り落ちてしまうような印象だね」


 僕がふと思ったことを口にした。


「そうね、何か覚悟を決めて飛び降りるというよりは、吸い込まれるようにして、落ちていってしまいそう」


 あまりにも美しい景色は、人々を惹きつけてやまないのだろう。ずっとこの景色を見ていたい気持ちはあるが、他の観光客もいることだし、そろそろ移動せねばならない。


 人混みの流れにのり、清水寺の境内に位置する神社にきた。まずはお参りを済ませ、それから、お守りなどを買うことにした。


「よし、じゃあ僕はこれにするよ」


 そう言って僕が手にしたのは、金色の鈴に赤い文字で幸福と書かれた、幸福の鈴というものだった。


「どうしてそれにしたの?」


 僕があまりにも即決で買ったことに疑問を感じたのか、理沙が問いかけてきた。


「恋愛成就とか金運とか、一つのお守りにつき一つしか効果を発揮しないじゃないか。でも幸福なら、あらゆる要素を含んでいそうだからね」


 多少欲張りかも知れないが、この考え方がしっくりときた。


「幸福の定義によるんじゃないかしら? 人によっては、現状維持を幸福と感じる人もいるはずよ、その場合は、何も起きないじゃない」


「いや、その場合は現状維持という幸福を買えてるわけだから、どちらにせよ幸せだよ。でも恋愛が成就することや、お金を持つことが必ずしも幸福には繋がらないからね」


 僕がそう言うと、訝しげな表情でこちらを見つめる理沙。


「なぜ?」


「恋愛は成就しても、その相手が良い人とは限らないよ。浮気されて傷ついて終わりかも知れない。お金だって持ち過ぎれば、ひがみや、やっかみの対象になるからね。だからこそ、この幸福の鈴が正解さ」


 僕は偏った自論を展開した。


「お金の使い道がはっきりしている人にとっては、金運アップは明確な幸運だと思うわ。それに、恋愛だって、しっかりと相手を見極めている人が使うぶんには効果的じゃない?」


 そもそも、不確定な要素の物を買う際に、ここまで真剣に討論する僕達は、はたから見れば間違っているのかも知れない……。


「そういう理沙はどれを買ったの?」


「それは、別になんだって良いでしょ……」


 まぁ、理沙のことだから、無病息災とか、その辺だろう。



「次はどこに行くの?」


 もう少しここでまったりしていたい気もするが、何せ日帰りだ。スピーディーに行動しなくては。


「次は慈照寺よ」


「銀閣寺と言わないあたりに、変なこだわりを感じるね」


 一般的には、慈照寺よりも銀閣寺の方が覚えがいいだろう。


「何よ。そんなんだから友達もろくに出来ないんだ、とでも言いたげね?」


 被害妄想の範疇を超えている気がする……。もはや、そんな可愛いレベルではない。



 その後、僕達は、銀閣寺に行き、日本の心であるわびさびを短い時間ではあるものの、濃密に堪能した。


 そして現在は、理沙が京都に行きたくなった発端である、哲学の道を二人並んで歩いている所だ。


「確かにこうして、川べりをゆっくりと歩いていると、心なしか思考がまとまるような気がするね」


 同じ速度ですぐ隣を歩く理沙へと話しかけた。


「そうね、この道が、哲学の道なんて名で呼ばれるのにも納得がいくわね」


 清水寺と銀閣寺を観光し、時間もだいぶ過ぎ、辺りはすでに暗くなりつつあった。


「今、こんなことを聞くのも無粋なんだけれど、新幹線の終電は何時頃だったかな?」


「二十一時」


 ゆっくりと理沙が答えた。


 ただいまの時刻二十時五十分。

 絶対に間に合わない……。


「どうするの?」


「ビジネスホテルを予約してる」


「流石は計画的だね。いや、むしろ計画的な犯行だね?」


「流石に日帰りじゃ味気ないでしょ?」


 覗き込むようにして理沙が言った。


 朝のくだりはなんだったのだ……。


 まぁ、どうせ帰らないのならば、京都の夜風を感じながら、ゆっくりとこの道を楽しむのも良いのだろう。


「それならそうと、最初から言ってくれれば良かったのに」


 僕がそう口にすると、理沙が少しだけ心配そうな顔色で僕に問いかけてきた。


「怒ってる?」


「いや、今日一日中楽しかったし、朝方の京都を散歩するのも乙だよね」


 僕の言葉を聞き、安心した様子の理沙。


 夜風が吹き、心地よい葉音がする川べりをゆっくりと歩きながら、理沙が口を開いた。


「私ね、いつからか夢を見なくなったの」


「それは、希望的な意味で? それとも寝ている間の?」


 どちらの夢を指しているのだろうか。


「寝ている間の夢。哲也は夢を見る?」


 夜も深まり、理沙の表情は見えにくいが、声のトーンが少し、真剣味を帯びていた。


「僕は毎日みている気がする」


「それは凄いわね、それはそれで疲れそうだけれど」


「理沙は夢を一切見ないのかい?」


 よほど睡眠が深いのだろうか。


「いや、正確に言えば、何かを見ていた感覚はあるのだけれど、その内容が必ずと言っていいほどに思いだせないの」


 夢の内容が思いだせない理沙と毎日はっきりとした夢を見続ける僕。なんだか対称的な二人かも知れない。


「もし仮に、眠るたびに、続きがはじまる連続した夢を見るのだとしたら、それはもう、起きている時が現実なのか、それとも、夢だと思っている世界での夢が現実なのか、判断は可能かな?」


 僕が実体験として感じている疑問を口にする。


「それは難しいわね。ある意味現実だって、連続した夢のようなものだものね。私にとっては、今がまさに夢のような気分よ」


 確かに、こうして急に京都に来ているという事実は、なんだか現実感のない話ではある。

 静かな葉音も、川を流れる綺麗な水の音もあまりに静謐で、夢の中を揺蕩っているようだ。


「理沙がもし、そんな夢を見続けていたら、どちらを現実だと判断するかな?」


「私なら、自分自身が信じたい方を信じるわ」


 理沙の答えは、あまりにもシンプルで、それでいて明確な正しさを含んでいるように思えた。


 それからいくつかのやりとりを経て、今日の宿泊先である、ビジネスホテルへと向かった。


 理沙はしっかりと二部屋分の予約をしてくれていたようで、部屋の前で一言二言交わし、各々の部屋へと入った。



 今日もまた、僕は見覚えのない天井を見つめながらそっと目蓋を閉じる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る