世界で唯一のフィロソファー

新月望

第1話『女神様の証明』

 夢みたいな現実を生きているのか、現実みたいな夢を見ているのか、この問いに答えられる者はいないだろう。


 夢を夢たらしめているもの、つまり、夢の本質は眠っている間に見るという一点につきる。


 夢を夢として認識する為には、起きるという行為が必要なのだ。起きてからでしか夢を見ていたという実感は得られない。つまり、夢をみている段階では、夢か現実かを判断することは不可能なのだ。


 夢だと思いながら見る夢もあれば、夢ではなく、これは現実だと思いこみながらみる夢もあるのだ。


 眠っている間に見るものを夢と呼ぶのだから、今の僕は永遠に夢の中に囚われている夢の囚人といえる。


 * * *


 カーテンの隙間からうっすらとさしこむ陽の光で、僕は目覚めた。


 ほんの数秒前までは適度に鍛えらていた高身長の僕の身体は一瞬の隙に、華奢で色白の小柄な身体へとすり替わっていた。


 今の僕は夢というファクターを通して、二つの世界を行き来しているのだ。


 こちら側での起床はすなわち、あちら側の僕が就寝したことを示す。そしてまた、こちら側の僕の就寝は、あちら側の僕の起床を表すのだ。


 あちらの世界の僕は地球と呼ばれる星の日本と呼ばれる国で、大学という名の教育機関に在籍しており、そこで哲学と呼ばれる学問を学んでいる。


 そして、今現在の僕はというと、イデアと呼ばれる星のノイラートと呼ばれる国で、国王の住む宮殿に暮しており、この星で唯一の哲学者として働いている。


 なぜ哲学者が僕だけなのかというと、このイデアと呼ばれる星には哲学という学問が存在しないからである。


「おーい、フィロスはおるかー?」


 国王の僕を呼ぶ声が聞こえる。


「はい、ここにおります」


 僕は返事をしつつ、部屋着から仕事着のローブへと着替えを済ませ、手早く身支度を整えてから自室の扉を開けた。


「お待たせしました、国王様。本日はどの様なご用件で?」


 扉の前には国王が立っており、その額の汗から小走りでここまで来たことが伺える。


「娘のアンスがとんでもないことを口走ってな、今すぐに注意したい所なのだが、あれは大人の言うことを聞きはしない」


 困り顔が張り付いている。王女のことで、相当に頭を悩ましているのだろう。国王といえど父親である。娘に困らされるのは父親の宿命なのだ。


「とんでもないこととは?」


 僕が国王へと問いかけた。


「我が国の女神、ディオティマ様は本当にいるのか、 などと女神様の存在を疑いはじめたのだ」


 なるほど、王女自身が国の象徴を疑うのか……。

 個人的には面白い視点だと思う。


「民からの信仰が厚い、この国の象徴とも言える女神様を王女様が疑っているという状況が問題なわけですね」


 状況の把握と確認の意味を込めて返事をした。


「お前は本当に頭が回る賢い子だな、アンスは他の大人の意見には耳を貸さないが、お前の意見には興味を持つからな」


「歳が近いので、話がしやすいのでしょう」


 こちら側の世界にいる時の僕は十歳程度の見た目をしており、アンス王女は十二歳なので、歳の近い僕の話を聞きやすいのだろう。


「では、フィロスよ、娘の件よろしく頼むぞ」


「はい、かしこまりました」


 国王直々の頼みごとを授かり、アンス王女の私室へと向かった。


「アンス王女、フィロスです、少々お時間よろしいでしょうか」


 扉をノックし、僕がそう呼びかけると、ガチャ、という鍵の開く音とともに勢いよく扉が開いた。

 そこには、金糸を編んだような美しい金髪を背中にまで流し、鮮やかな翡翠色の瞳でこちらを見つめる一人の少女がいた。まるで、絵画から飛び出してきたかの様な現実感の伴わない美しい姿だった。


「何よ、フィロス、あなたの授業は月曜日と水曜日のはずでしょ」


 背にまで届く金色の美しい髪を手でもて遊びながら、不機嫌そうにアンス王女が言った。


「失礼しました、出直した方がよろしいでしょうか?」


「べ、べつにいいわよ……。それに丁度、フィロスに聞きたいことがあったから」


「女神様の件ですね?」


「そうよ、お父様からきいたのね、話がはやくて助かるわ、ほら、はやく座りなさい」


 王女はそう言って、急かすように椅子を指差す。


「では、失礼します」


 そう言って僕はテーブル越しに王女の対面に座る。この位置が僕がアンス王女と話す時の定位置のようなものだ。


「さっそく聞くわよ! ディオティマ様は実在するのかしら?」


 挑戦的な瞳でアンス王女が問いかけてきた。

 

「その問いに関して、僕は明確な答えを出すことは出来ませんが、いくつかの考え方だけなら、お教え出来ます。それでもよろしいでしょうか?」


「えぇ、いいわ、話してみて」


 神妙に頷き、聞く体制を整える王女。


「女神様や神様の存在を考えようとする時にはいくつかの考え方があるのですが、今日は僕の好きな考え方についてお話しますね」


「うん、はやくきかせて!」

 

 日頃は十二歳とは思えないほど理知的なアンス王女であるが、僕が哲学の話をする時には、その翡翠のような美しい瞳を爛々と光らせ、年相応に無邪気な顔を覗かせる。


「アンス王女は花や木々を見た時にどのような気持ちになりますか?」


「えーっと、そうね、素直に綺麗だなって思うことが多いかしら」


 長い髪を耳にかけながら、シンプルな考えを口にする王女。


「そうですね、ではなぜ、綺麗だなと思うのでしょうか?」


「うーん、色が綺麗だったり、形が良くできているからかしら?」


 大きな瞳をパチクリさせながら、記憶を探るアンス王女。


「その通りです。木々や花々は、良く出来ているのです。そして、動物の体はそれらよりも更に精巧につくられているし、人間の身体の仕組みともなると、それらよりも更に精巧に作られています」


「それがどうしたのよ?  そんなことは今にはじまったことではないわ、当たり前のことじゃない」


 当たり前の事実確認に、首を傾げる王女。


「そう、そののことを疑うのが、哲学のはじまりです」


「あ! 疑うことの重要性は、先週に習ったばかりだったわね、私としたことが……」


  悔しそうな様子でうつむくアンス王女。しかし、哲学が体系化されていない世界において、たった数ヶ月の授業を受けただけで哲学的思考が芽生えはじめているのは、驚くべき成長スピードであった。


「そもそも、世界というのは何もかも都合が良すぎるとは思いませんか?  草を食べる動物がいて、その動物を食べる動物がいて、更にはその動物を我々が食べる。天の恵みである雨は草や木々を育て、それらの実を太陽の光が成長させる。この世界は完璧な調和の上に成り立っています」


「確かに、なんだか、整い過ぎている気もするわね」


 あごに手をやり、不思議そうに考え込む王女。


「そうです、世界は不自然な程に整っていますね? 人類にここまでの仕組みを生み出せますか?」


「無理だと思う……」


「では一体、この世界はどのようにして誕生したのでしょう?」


「人類を越える存在が世界を作ったってこと?」


 自信と不安を混ぜ合わせたような表情で答えを導き出すアンス王女。


「さすがです、アンス王女は本当に素晴らしい理解力をお持ちですね」


「年下のフィロスに言われても嫌味に聞こえるだけよ」


 そんな憎まれ口を叩きながらも、くっきりとえくぼが出ている王女。


「僕には少し特殊な事情があるだけですよ、これ程の才能を持つアンス王女の成長していくお姿が、楽しみでしょうがないです」


 僕の場合は、この世界での見た目年齢が十歳というだけであって、この程度の思考力は実年齢から考えれば当然のことだが、アンス王女は十二歳という若さでここまでの理解力を持ち合わせているのだ。まさに驚異的だと言える。


「話がそれたわね、続きを話して頂戴」


「つまりですね、世界が人知を超えた、精巧な仕組みで出来上がっているのは、人知を超えた者が世界を設計したと考えなければ、説明がつかないわけです」


 僕の説明を聞き逃すまいと、段々と前のめりになっていくアンス王女。そして、少しの間を空け、その小さな口を開いた。


「なるほど、この人知を超えるほど、精巧に作られた世界そのものが、人知を超越した神や女神の存在を自明的に証明しているわけね」


「その通りです、アンス王女」


「確かにその考え方を安易に否定することは難しいわね」


 神妙な面持ちで考え込むアンス王女。


「少しは考えの足しになりましたか?」


「えぇ、とても有意義な時間だったわ、今日からは、神や女神の正体を闇雲に疑うことはやめておくわ」


「疑うこと自体は悪いことでは無いですし、それがアンス王女の強味でもありますから、あくまでも疑う姿勢も残しつつ、論理的に思考することが重要なのかと思います」


「そうね、私はこれからも、あやふやなものを疑い続けた上で、信じ続けるわ」


 この数回のやりとりだけで、懐疑論のスタートラインに立つとは、やはり、アンス王女の思考力には、毎回驚かされる。


「僕個人の考えでは、『この世界』には、神と呼ばれる存在はいると考えております。何せ、『魔法』と呼ばれる学問すらあるのですから」


 そう、地球とイデアの一番の違いは、『魔法学』の存在だろう。


「まるで、他の世界を見たことのあるような言い方をするのね。まぁ、確かに魔法の存在は精巧に作られ過ぎているし、魔法陣や魔法式がもたらす因果は、あまりにも人類に都合が良すぎるものね。それもまた、人類を超越した設計者の存在を自明的に証明してしまっているわけね」


「まさにその通りです。流石はアンス王女」


 僕が心のままに、彼女を褒めると、照れ笑いを噛み殺すようにして、アンス王女はこう言った。


「ふん、当然よ!」


 頬を染める鮮やかな朱色が、彼女がまだ十二歳の少女であることを何よりも雄弁に物語っているように感じた。

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