僕と猫とα星の恋人 【中編】
誘ったはいいけど、こんな山奥にオシャレなお店なんか存在しないし。パソコンやスマホにも聞いてみたけど、回答はすべてふもとの街まで誘導された。
街までの交通手段は、自動車で移動するしかない。
飲酒運転も、いきなり2人で宿泊するのも。
「できるわけないか……」
所内での打ち合わせの後、最近開発部で仲良くなったジョージが近付いてきた。
まだミーテングルームには数人の日本人女性スタッフが残っていたから、僕は英語で彼にその悩みを打ち明けた。
「せっかくこんな美しい自然があるんだから、その辺でBBQでもしたら? 休日にでもなると、わざわざふもとの街から人が大勢やってくるぐらいなんだから」
にこやかにそう言われて、思わず納得してしまった。
それなら、僕でもなんとかなりそうだ。
「ねえそれより、どうして日本人は初めて話すときも『お世話になっています』って挨拶するの? 僕はお世話なんかしてないのに」
ジョージは僕より流ちょうな日本語を話すけど、やはり日本文化に対する疑問が多いようで、そんな質問を良くしてきた。
「日本には、『縁』って言う価値観がるんだ。
社会って皆で共同で作ってるから、自分がしたことが少しずつ影響を受けて、それがいつか自分に帰ってくる。だから悪いことをして失敗したら『自業自得』って言われるし。
『金は天下のまわりもの』って考えもあって。君の仕事がなにかの形でまわりまわって、その人のためになってて。仕事をちゃんとしてれば経済が発展して、皆も豊かになる。だから初めて会ったとしても、『お世話になってます』って言うのは、ビジネスマンとして君を認めてますって意味だよ」
その場のノリで、続けて英語でそう答えたら。
ジョージは、「この質問に応えれたのは、君が初めてだよ」と頷き。
「えー、そうなんだ」「知らなかった……」
残っていた数人の女性スタッフからも声がもれた。
僕の早口な北部なまりの英語を聞き取れる日本人がいたことにびっくりして、慌ててフェイ・シュンを見たら。
――彼女は素知らぬ顔で、資料をまとめて退室して行った。
セーフだったのかな? 僕がまた悩み始めたら。
「えーっと、少しいいですか?」
今度は日本語で、日本人スタッフの女の子が話しかけてきた。
それと同時にジョージも他の女の子も会議室を出て、僕たちは2人きりになる。
その子は背の低い、前髪パッツンの大人しそうな子で。
ナチュラルメイクって言うのだろうか? まるで化粧をしてないような、手の込んだ日本人女性特有の、可愛らしい姿をしていた。
「構わないよ、なにかな?」
最近鏡を見ながら練習している笑顔をその子に向けると。
彼女は嬉しそうに笑い返してくれた。
訓練の成果が出たのかなあと……
――その時僕は、のんびりとそう考えてた
+++ +++ +++
「お招きいただいて、どうもありがとう」
フェイ・シュンは長い髪を左右に分けて結んでいて、お辞儀をしたらそれが猫の尻尾みたいに揺れた。
悩んだ末、僕は彼女を自分の住んでいる借家の庭に誘った。
幸い丘の上にぽつんと立つこの一軒家からの見晴らしは良かったし。5月の休日にはお似合いの、心地良い青空が広がっていた。
彼女のアパートまでの送り迎いは、僕が車でしたから。
僕はノンアルコール・ビールを飲むことにした。
はじめはフェイ・シュンも遠慮してたが。バケツいっぱいの氷に突っ込んだ缶酎ハイやビールを見て、彼女は少し悩んでから。
バーベキューコンロに野菜や肉を並べながら。
「どうしよう?」と言った。
「そのために買ってきたんだから」
僕がそう言ったら、ニコリと笑い返してくれる。
そしてフェイ・シュンは借家を見上げ。
「素敵な家ですね」そう言ってまた、楽しそうに笑った。
「前のオーナーはここで古民家カフェを営んでたんだって。1年もしないうちに辞めちゃって、僕が借りるまで3年も空き家だったって。大家さんが言ってたよ」
景色も抜群だし、家もキレイにリフォームされてたけど。
「その…… こんな人里離れた観光地もない場所じゃあ、お客さんなんか来なかったんじゃあ?」
僕も、フェイ・シュンの言う通りだと思う。
それに同意の頷きをしてから。
「でもまあ、おかげでこうやって素敵なバーベキューができる。
――世の中、なかなかうまく出来てるのかもしれない」
焼けた野菜や肉を彼女の小皿に分けながら、僕がそう言うと。
「きっと先生には素敵な縁があるのよ、良い意味での自業自得ってやつじゃない?」
そう言ってまた笑ったから……
ああ、あの話はやっぱり聞き取ってたんだと、少しへこんでしまった。
そして僕たちは、お互いにいろいろな話をした。
生まれた街の話、小学校時代の教師の悪口。
それは初めてのデートにはうってつけの話題だと、僕は思った。
「さっきも話したけど、小中高と同じ私立の女子校に行ってたのよ。
しかも生徒は皆、中華系のお金持ちの子ばかり。
……あたしは早くそこを出て行きたかったから、高校時代は勉強してた思い出しかないわ。きっと、あたしも中国人なのに中国人が嫌いなのね。
だから付属の女子短大を蹴って、普通の4大に進学したの。学生時代はそれなりに、勉強も遊びも楽しかったわ。でもね、社会に出てから…… あたしも中国人だって、何度も痛感したの」
フェイ・シュンの勤め先は今の研究室が2つめで、初めは大手の製薬会社の統計部署に勤務していたらしい。
「やっぱり、差別的なことがあったの?」
聞きづらい事だったけど、彼女の方から話そうとしている雰囲気だったから。
僕は思い切って、そう言ってみた。
「まあそれは、学生時代からなかったわけじゃないから。やられればそれはそれで嫌だけど、そこまで気にならなかった。
いじめと同じよ、たまたまあたしの場合は原因が生まれってだけで。そんなの、今の日本じゃ、ある意味だれにだって起きることよ。
――問題は、あたしの価値観が中国人ってこと。
両親の生まれは中国で、子供の頃から同じ感覚の人間の中で育ったんだから。当たり前なのにね」
話が進むにつれ、彼女はハイペースで缶を開けたし。
日差しのせいか、バーベキューコンロの熱のせいか。短すぎるスカートからスラリと伸びた美しい太ももや、大きく胸元の開いたTシャツからこぼれる谷間が、薄っすらと赤みを帯びてきた。
おまけに、初めは向かい合ってコンロを囲んでたけど。
フェイ・シュンが「こっちの方が食べやすい」と、僕の横に座り。今では時折、肩や膝小僧が僕にぶつかる。
そのせいか…… なぜだか僕の頬も、少し赤らんできたような気がした。
ひょっとしたらそれは、不思議な光景だったのかもしれない。
匂いと音を聞きつけたあの無口な猫が、縁側で心配そうに僕を眺めている。
「中国人の価値観って、そんなに違うものなのかな」
僕がなんとか言葉を出すと。
「共同体ってゆうか、仲間意識って言うか。その辺は随分違うわね。
良くも悪くも中国では『個』の意識が強いわ。協調性があまり無いのよ……
親子や親族以外にかける愛情が少ないのかな?
だから仕事でも、多少ズルしてでも楽をしたり勝ち上がったりしたいって。
――そんな感覚かしら」
彼女が言うのは。
日本人が漠然と抱く中国人のマイナスイメージのような気がしたから。
「でも同じ仏教や儒教をベースにした道徳観じゃないの」
ふと、そんな言葉がもれた。
「ひょっとしたら、中国の価値観は、近年大きく変わったのかもね。
そもそも日本ほど宗教観念が強い国じゃなかったから」
僕は彼女に新しい缶酎ハイを渡し、自分も新しいノンアルコール・ビールのプルタブを引っ張った。
「そうだね、この国の宗教観と言うか道徳観……
んー、文化かな? は確かに強固だよね」
日本は特定の宗派や神を強く信仰する人が少ないから、自分たちのことを無神論者に近いと思ってる人が多いけど。外から見ると……
自然と生活に溶け込んだ宗教観が強くて、おどろくことが多い。
「ほら、『もったいない』とか『縁起が悪い』とか。
『我慢』とか、あとほら…… 『お世話になります』とかね」
フェイ・シュンがもらした言葉を、翻訳さえ困難な、日本固有の宗教用語だと思って使ってる人がどれだけいるんだろう?
「きっとそれが、日本の素晴らしい文化なんだね」
起源を知らなくてもそれを生活の中で実践できるってのは、やっぱり凄いと思う。
「でもね、あたし学生時代…… 公園でフライドチキンを落としちゃって。
すっかり砂だらけになったチキンに腹が立って。それを踏み付けたら友達にひどく怒られたわ。『食べ物を粗末にしたら、ばちが当たる』って。
砂だらけになっちゃったチキンは、もう食べることができないのにね」
「それは『覆水盆に返らず』みたいな話だね」
僕が思わず笑ってそう言ったら。
「
まあ、あの女の方が…… 男が出世したから、よりを戻そうとするのが。
中国人らしい感覚だって、あたしは思ったけど」
フェイ・シュンはそう言って僕に肩を預けるように持たれかけ。
缶酎ハイを一気にあおった。
温かな春の風と、バーベキューの上手そうな匂いと、女性特有の甘い香りが僕の鼻孔をくすぐったけど。
縁側の猫と、なぜか……
前髪がそろったあの可愛らしい女性スタッフの顔がチラついて。その後楽しく2人で食事をしたけど。それ以上のことは、結局なにも起きなかった。
それからお互いに、日本のアルアルで盛り上がる。
「例えば僕が困るのは…… あれ」
舞い込んだ1匹のButterflyを僕が指さすと、彼女は不思議そうに首をひねった。
「蝶?」
「そう、それ。どれが
「それなら、モスラみたいにもじゃもじゃしてるのを蛾って呼べばいいのよ」
「モスラ?」
「そう、知らない? 日本の古い怪獣映画のモンスターよ」
彼女はそう言って笑ったけど、僕にはやっぱり理解できなかった。
今度ネットで検索してみよう。
酔っぱらったフェイ・シュンと、何度かぶつかり。
笑ったりはしゃいだりするたびに、大きく開いた胸元から、黒いレースの下着が見え隠れしたけど。
ずっとそんな話を続けて…… やがて外が暗くなり始め、2人で僕の車に乗り込むまで。
僕にしてはとても上出来だったと、感心してたぐらいだ。
――今思い返せば、あのバカなあやまちは。
この時すでに、始まっていたのに……
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