今は無きスケッチブックのためのレクイエム

Fromm: southdakota lady

いつか約束の地で



+++ +++ +++



交差点で信号待ちしてたら、後ろからトラックにひかれた。

乗ってたYAMAHAは大破したけど、異世界に転生することなく……

僕は勤め先の軍病院に収容された。


「Boy! せっかくアメリカに住んでるんだから、次はHarleyに乗るんだな」


見舞いに来た大佐の勧め通り、退院と同時にハーレーを買ったけど。

重いは、うるさいは、遅いは……

本国にほんで大金叩いて、これに乗る奴の気がさっぱり理解できない。


基地ベースの住居から、その鈍牛ハーレーと、リハビリ師にいじめられたおかげでなんとか動き出した、左足の調子を見るために走り出したら。


店先に古い手書き用の製図台が飾ってある店を見つけた。素敵なことに、その横にはPepsiの自販機もある。


サウスダコタ特有の乾いた夏風と、まだ回復しきってない体力のせいで、僕の喉はカラカラだったし。

ハーレーの水温系も悲鳴を上げてたから、迷うことなく僕はバイクを止めた。


雲ひとつない青すぎる空を眺めながら、500mm缶のPepsiを一気飲みして、ついでに欲しかった画材がないか。 ――気になって店に入ると。


「あんた、ネイティブかい?」

すすれた銀髪の老女が話しかけてきた。


「いや、日本人だよ」って、答えたら……

そのドイツ系のおばあちゃんは目を、文字通り丸くして驚いた。


たまたま見つけた製図用のスケッチブックをレジまでもってったら、少し悩んで。

「12ドル25セント」

と、ぼそぼそと呟いて。また僕を無言でジーッと見詰めてきた。

――そんなに日本人が珍しいのだろうか?


このサイズのスケッチブックにしてはちょっと高かったけど。

まあこうゆう店だし。裏表紙にはドイツの有名製図メーカーのロゴが入っていたから。僕がしぶしぶお金を払って、店を出ようとしたら……


――いきなりぶっきらぼうに。

「今どきコンピュータを使わないのかい?

それは、手書き設計用のNotebookだよ」

そう聞いてきた。


「使うけど…… アイディアを出すときは、手書きの方がノリがよくって」

言い訳がましく、僕がそう返すと。


「I know You touched My heart」

と、ぼそぼそと。

その老女は、伝票を手書きでまとめながらそう呟いた。


不思議なことに、そのスケッチブックとは相性が良かったのか。

退院明けでいきなり参加させられたミッションの素案も。

暗礁に乗りかけてたプロジェクトの再設計も。


――そのスケッチブックを開くと、アイディアが自然と湧き出て。

なんとか乗り切ることができた。


「Boy、調子が良いな! やっぱりHarleyは最高だろう。

あいつに乗ってれば、自然と事が上手く行く。器械にも味ってやつが、ちゃんとあるんだ。お前もそれが分かるようになったのかもな」


再提出した企画案を見て、大佐が喜ぶ。

あの鈍牛の素晴らしさはまだ理解できなかったけど。


「YES Sir! 確かに物に対する接し方に対して、少し考え方が変わりました」

事故のせいか、スケッチブックのせいか。

人と、物と、大きな流れについて。今までと違う考えが出てきたのも事実だった。


例えるなら、それは『信頼』と言ってもいいかも知れない。

任せたから、ちゃんとやる。期待したら、その成果を上げてくれる。


人も物もそうじゃなくて。


任せたら、任せた人が上手く出来なくても、命令した人がちゃんと責任を取る。

期待したら、その期待以下の成果でも、その期待した人や物をちゃんといたわる。


それが『信頼』じゃないかって。


あのすぐ破れて、紙がリーフから良くズレ、すぐシワになってしまうくせに。最高にインクのノリが良くて、書いていていつもワクワクさせられる。あの不思議なスケッチブックを見るたびに、そう思い返すようになった。


「あの鈍牛ハーレーも、いつかちゃんと乗りこなして見せます!」

僕がそう言って、敬礼すると。


大佐はたくわえた髭を嬉しそうにさすりながら。

「うむ!」と、頷いた。



+++ +++ +++



あれ以来、何回かそこでスケッチブックを買ったけど。

おばあちゃんは「12ドル25セント」と。

ぼそぼそと、つまらなそうに言うだけだった。


僕以外の客は見たことがないし。Pepsiの自販機に補充にくるトラック以外、駐車場に止まっている車を見かけたこともない。


狭い店内には古いドイツ製の設計用具がキレイに並べられ。ホコリひとつ無いせいで、やたら静かに感じた。


まるで時間が止まった博物館に居るみたいで……

――今思うと、あの時間と場所は僕のお気に入りだったんだろう。


「この製図用具なんかは、マニアには高く売れるかもね。いっそのことインターネットのオークションに出品した方が儲かるんじゃない?」

「……」


「なんなら、手伝ってもいい。

ああ、僕は見ての通りベースの人間だから、アルバイトは禁止されてるし。

中間マージンなんか取らないから、安心してよ」

「……」


心配して何度か話しかけたけど、店主のおばあちゃんは困った孫を見るような目で微笑むだけだった。


ただ最後の方は、僕が店に入ると店の奥までスケッチブックを取りに行って「買うのかい?」って聞いて来たから、会話が2つに増えたけど。



そんな時間の止まった博物館も、無慈悲な時の流れの影響を受ける。


きっと、安らかな場所とそうじゃない場所が世界には混在していて。

僕たちはいつも、見えない何かにおびえながら暮らさなくちゃいけない運命を背負ってるんだろう。


だからだろうか? その無口なおばあちゃんと、おせっかいな孫の会話は半年で打ち切られた。



その手紙は僕の住居当てじゃなくて、ベースに直接送られてきた。

しかも20年以上会ってない姉は、返信の住所も書かないまま。

簡素に日本語で内容だけを伝えてきた。


「いつでも戻ってこい!

Boyが優秀なことは、このベースの誰もが知っている事実だ」


除隊願いを受け取った大佐は、既にその手紙の内容を知っていて。それ以上なにも言わず、僕を力いっぱい抱きしめてくれた。


――彼がゲイじゃないことを、今でも心から切に願っている。



帰国前にあの店によって事情を話して「明日の飛行機で帰る」と、言ったら。

おばあちゃんは、少し悩んで。


「私は日本に行ったことはないけれど、父は子供の頃日本にいたことがある。私たちが、あの地でヨーロッパで生きて行くには難しいい時代があったのさ。

――父たちユダヤ人は、心からあの日本人を尊敬していた。

でも、ヨーロッパも日本もアメリカも、そんなに変わりはしない。

約束の安らかな場所は、心の中にあるんだからね。

けど、寂しくなるねえ…… あなたの母さんが元気になることを心から祈るよ」


そして「I know You touched My heart」と、困った孫を見るような目で。

――彼女はそっと、そう呟いた。



+++ +++ +++



母の葬儀が終わって、日本で落ち着いてから。

このスケッチブックが既に製造してなくて、手書き製図ファンの間で数倍の価格で取引されてるって知った。


――何時だって、僕はバカだから後手後手にまわる。


転職先の契約で、何度か渡米はしたけど。なかなかタイミングが合わなくて、あの店には行けなかった。

しかも日本の職場はハードで、なかなかまとまった休日も取れない。


おばあちゃんと初めて長い会話をしてから1年後。

やっとあの店に行ったら……


更地になった店先に、ポツンとPepsiの自販機だけが置いてあった。


極端に乾いた喉を潤そうと、相変わらず青すぎるサウスダコタの空を見上げながら500mm缶を一気にあおり、僕は力いっぱいむせかえった。


どうしても涙が止まらなかったのは、きっとPepsiの炭酸のせいだろう。



――そう、後悔は何時だって先に立たない。

そして約束の場所は、いつだって遠い。



この小説は、そのスケッチブックで書いた。

そして先ほど、新作を書くために最後の1冊の封を切った。



まだまだ僕は、日本語が上手く綴れない。

「I know You touched My heart」

ただ日本語にすることは簡単だけど、それを正確に言葉にすることは難しい。

あの時のニュアンスを、未だに僕は上手く訳すことができない。



でも、伝えたい事がちゃんと伝えれるように。何時か誰かに届くように。そう願いながら…… 力いっぱい。

真新しいページに、小説のプロットをスタートさせる。



いつかどこかで、多くの人々が安心して信頼し合える……

――約束の場所に届くように。

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