ここにある言葉は全部小説に変換して盛り込んでるんだけれど、何か勿体無いからそのままの状態で書いたものを残しておいた。

木元宗

あんまり本気過ぎると燃え過ぎて、再起に手間取りますよねって気分を上げようとしているメモ(?)です。


 懸命に生きていれば、結果が伴わない人生だったとしても、掛け替えの無い毎日を送れる。それはきっと何よりも、美しい事だ。結果が全てでも無いけれど、だから誰しも惰性を嫌い、実りのある日々を選び取ろうとする。努力とは素晴らしい。目標を掲げ生きるとは美しい。懸命とはただそれだけでああ何と、尊く気高い事だろう。


 なのだけれど、私は言いたい。


 その美しさは危険だと。


 その気高さは純粋であるが故に、どうしようもなく儚くもあるのだと。


 本当に、本当に、心の底から必死に生きて来た私には、怠惰を切り取った日々とは如何程に、人生を輝かせるものになるかを知っている。なのだけれど、その中を過ごしている真っ只中は、どこもかしこも地獄だった。


 今日、今、この一瞬だけでいい。まさにこの時だけを、生きていられるならそれでいい。口にすれば大袈裟なと笑われただろういやそれでも、私はその時さえ生きられるならば、死んでもいいと本気で思っていた。今でも思う。最高の死に場所は、あの場所だったと。


 全てを懸けるとはその場所を、心に永遠に刻み付けるという事だ。

 過ぎ去っていく日々を、褪せる事の無い輝きへと変えるという事だ。

 死ぬまでその栄光を、青々しさを、忘れられないものにするという事だ。


 私は今、その輝きを乗り越えられるだろうかと、戦いている。


 十代の私を、この先の私は、果たして本当に、越えられるのだろうかと。

 あの頃のように全てを懸けて、果たして本当に生きられる瞬間が、この先の人生でもう一度、あるのだろうかと。


 それ程に青く、激しい青春だった。


 十代の輝きというものを、全て十代の内に使い切った。


 悔いなど無い。失敗はあっても。


 きっと人生が二度あっても、私は同じ道を、もう一度歩む。


 苦痛の中でしか、本当の充実とは出会えない。

 地獄の中でしか、本物の幸せとは出会えない。


 私はそれを、知っている。


 この、燃え尽きた灰に埋もれ続けているような私でも、もう一度あの頃のように、十代の私に叱られないように、火を灯す事は出来るだろうか。


 きっとその火種は、この中に残っている。


 墓場に行こうと焼き尽くされ、肉と内臓と、神経が失せようと、決して灰にならないこの真白の中に。


 骨のように、私を支える芯の奥。まだそこでぎらぎらと、輝いて見えるものが映るのだ。


 私を燃やして初めて残る、骨のような信念が。



 書くぞ。何度でも。


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