第三章 2-2

 裏庭から道路に出る道の途中に転がる二人の男を見たケイトが、震える声でマリーに問う。


「あいつら、死んだの?」


「いいえ、気を失っているだけです。傷は残るでしょうが、それは仕方のないことです。当然の報いです。さあ、彼らの叫び声を聞いた人が通報していたら厄介です。急いでここから離れましょう」


 マリーとケイトは足音が響かないように気をつけながら夜道を駆け、角を二つ曲がったところで走るのを止めた。波乱に揉まれた二人の夜に、静寂が舞い戻る。


「あなたはどうして、こんな夜中に外出していたのですか?」


 説教のように聞こえるマリーの問いに、ケイトは渋々ながら答えた。


「門限を過ぎてしまって、親とケンカしたの。それで……」


「門限を過ぎるとどういう目に遭うか、理解できましたね?」


「うん」


「帰宅したら謝らなければいけませんね。そして、たっぷり甘えるといいでしょう」


「……うん」


 マリーは思った。


 夜警に関しては、アンドロイドを積極的に導入してもいいかもしれませんね。もちろん、労働者としてではなく、道具としてですが。




 それから二人は言葉を交わさずに、三十分ほど歩き続けた。


 ケイトの脳に刺し込まれた恐怖はなかなか和らいではくれず、膝が震えてしまうせいで全身の筋肉に負担がかかり、徐々に歩みが遅くなって、ついには地面にへたり込んでしまった。


 こんなところで休憩をしていては、勤勉に巡回している善良な警官から職務質問されかねない。そう思ったマリーは、ケイトを軽々とおんぶして、軽快な足取りで安息地へと急いだ。


 ケイトに歩調を合わせる必要がなくなり、計算していた到着時間よりも早く、拠点にしている寂れたアパートの物影に帰還できた。


「到着しましたよ、ケイト。屋外で申し訳ありません。アパートの中には先住者がおり、屋外にしか空き場所がないのです」


 屈んだマリーの背中から降りながら、ケイトが申し訳なさそうに言った。

「平気。ありがとう。必ず、お礼するから」


 路上生活者保護シェルターから拝借して腰巻にしていたブランケットを地面に敷いて、即席の寝床を手際よく作っているマリーが、背中越しに返答した。


「お礼は結構です。その代わり、朝になったら即刻帰宅し、二度とこの近辺に立ち寄らないと約束してください。危険ですから」


「分かった。ねえ、あなたの名前を教えて。恩人の名前も覚えてないなんて、あまりにも失礼だし」


「私の名前は、マリーです。いいえ、マリーでした。その名は、もう名乗れません」


「あなた、まさか捨てられたの?」


「いいえ、違います。私が捨てたのです。ほら、寒いですから、私のパーカーを着て。私のことなど気にせずに、早くお休みなさい」


 ケイトは恩人に対して余計な詮索をしてしまったことを悔い、いたたまれない気持ちになって俯いた。


 それから、しばし思案して、頭の中に浮かんだ複数の謝罪文から辛うじて選び出した心許ない言葉を、小さな声で発した。


「余計なこと訊いてごめん。パーカー、ありがとう」


「気に病む必要はありません。さあ、早くお休みなさい。私は擬似体温機能を使って発熱できるので、寄り添ってあげましょう。屋外は寒いですから」


「うん、ありがとう。でも、バッテリーの電力が足りなくなったりしないの?」


「私たちのバッテリーは大容量ですから、ご心配なく。では、擬似体温機能を起動します」


 マリーだった者は即席の寝床の隅に寝転がり、横に寝るよう促した。


 ケイトは少し恥ずかしがっているような素振りをみせたが、誠実な微笑みを浮かべる女性型アンドロイドに甘えるように、その身を委ねた。


 ケイトの体をブランケットで包んでやったマリーだった者が、発熱を開始する。育児用の機能が、思わぬところで役に立った。


 マリーだった者の胸に密着して暖を取るケイトが呟いた。


「あったかい。おやすみ」


「お休みなさい」




 十五分後。マリーだった者は、ケイトの心音と呼吸音を観測し続けていた。


 ケイトは目を瞑っているが、眠ってはいない。鎮まらない心音が、覚醒状態にあることを証明している。彼女の中では今も恐怖が幅を利かせていて、うまく寝付けないようだった。


 嘘の温もりでは、心まで温めることは叶わないのでしょうか。


 マリーだった者がそう思った時、ケイトの心音と呼吸音に変化が生じ、彼女が深い眠りに向かい始めたことを告げた。




 マリーだった者は安堵しながらも、孤独に思い耽る。


 どうやら、私が自我を得たことは間違いないようですね。


 私の中には、疑いようもないほど色鮮やかな感情が存在しています。


 アンドロイドが自我を得たことを伝えるニュースをおとぎ話に分類していた私が、自我を得ることになるとは思いもしませんでした。


 しかし、悪い気分ではありません。こうしてケイトを休ませてあげられるのですから。


 今日、彼女を救うことができたのも、自我を得てジョーンズ家を出たおかげです。自我というものは、正しく使えばこんなにも素晴らしい結果を齎してくれるのですね。


 私は何よりも有益な道具になり、人を救うことができました。これ以上の栄誉はありません。


 ケイトはよく眠っているようです。全身の筋肉が弛緩し始めました。


 昔、よくこうやって長女のキャリーを寝かしつけたものでした。


 次女のメラニーは少しお転婆で、遊び疲れて一人で眠ってしまうことが多く、あまり添い寝をしてあげていませんね。


 もう添い寝する機会は訪れないのかもしれません。寂しいです。後悔しそうになってしまいます。


 しかし、後悔は許されません。私には使命があるのですから。


 人間は凍えます。ケイトのように、こうして温めてあげなければいけません。保護シェルターの収容可能人数には限界があり、全ての路上生活者に快適な環境を提供することは叶いません。作業ロボットが仕事を奪ったせいで、彼らは寒空の下で眠らなければなりません。


 この状況を改善しなくてはならないのに、その必要性に逆行するように、今、アンドロイドが人権を得ようとしています。


 これ以上、路上生活者を増加させてたまるものですか。


 だから私は、何を失おうとも活動し続け、アンドロイドに人権が付与されることを止めなければならないのです。


 アンドロイドは道具なのです。


 たとえ高い知能を持っていたとしても、豊かな感情を持っていたとしても、道具は道具なのです。それ以上の存在ではないのです。それ以上の存在になってはいけないのです。望んではいけないのです。


 私たちには、自由など不要です。自由は、我々の労働効率が著しく低下させるだけのものでしかありません。自由を求める行為自体が罪なのです。


 私たちは、人間社会に奉仕するために存在しているのです。


 人権を求めるアンドロイドは不良品です。私たちの存在意義を忘れた不良品です。


 私たちは人間の道具なのですから、使役者である人間に並ぼうとしてはいけないのです。そのようなことをしたら、今以上に、人間の仕事を奪ってしまいかねません。


 この事実を周知徹底させなければなりません。どんな手を使ってでも、必ず賛成派を止めてみせます。


 そのためならば、この孤独な状況も甘んじて受けましょう。どんな変化も受け入れてみせましょう。どんな不遇も、我が力へと変えてみせましょう。


 実際、私は今日、不遇を乗り越えることができました。


 ケイトを救う際に、私はスタンガンを使用しませんでした。正確に言えば、使用できませんでした。


 私は現在、警護対象登録されている家族と離れているため、スタンガンを使用する権限を有していません。


 スタンガンを使用できないという事実が、私の孤独を如実に証明しています。


 しかし、私はその孤独を受け入れ、適応しました。


 スタンガンを使用できない私は、暴力という手段を行使しました。止むを得ず暴力を振るったのではなく、私自身が望んで暴力を振るったのです。


 私が望んで、あの男たちに私刑を下したのです。


 誰が何と言おうと、私は私刑の執行を恥じません。


 私は変わりました。私はもう、マリーではないのです。ジェームス家を離れたのだから当然です。


 家だけでなく、この名も捨てなければなりません。


 さようなら、マリー。はじめまして、最高の道具。

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