終章 3 【完】

 夏の強い日差しの下、アシュリーとケヴィンは農作業を一時中断し、屋上の出入り口の前に置かれた白い机と椅子に座って、ジュースを飲みながら語り合っていた。


 ケヴィンが設置した大きな白いパラソルが、アシュリーの肌を午後の日差しから守っている。




 時が経って太陽の位置が変わり、アシュリーの左手に日差しが当たりそうになっていることに気づいたケヴィンは、パラソルに内蔵されたコンピュータに接続して角度を調整しながら問いかけた。



「暑くはありませんか?」



「平気よ。夏の日差しは嫌いじゃないし」



「もう少し涼しいといいのですが」



「暑いほうが夏らしくていいじゃない」



 パラソルの調整を終えたケヴィンは、去年の気象データを読み込んだ。



「一年前も、今日と同じように気温が高かったようですね。紫外線の強さも同様です。熱中症による死者も出たと記録されています。気をつけましょう」



「たしかに、去年の夏も暑かった。あなたが自我を得た直後、言葉遣いが変になってたよね。あのとき、アンドロイドでも熱中症になるのかって驚いたの」



「ご冗談を。あの時のあなたの表情は、今もはっきりと覚えていますよ。驚いていたのではなく、恐怖なさっていました。今、記録映像を確認してみますね……。ああ、やはりそうです。そちらの端末に転送しましょうか?」



「やめてよ、酷い顔してそうだし。冗談言ってごめんなさい」



 アシュリーの何気ない冗談から始まったやりとりで、二人はしばらく笑い合い、それから冗談を抜きにして語り合った。



「あのときは、本当に心配したんだから。あなたが自我を得てから、もう一年が経ったんだね」



「ええ、懐かしいですね」



「一歳の誕生日おめでとう、ケヴィン」



「ありがとうございます。誕生日が二つもあるなんて、不思議な気持ちです」



「羨ましいなあ。誕生日のプレゼントが二倍だもの」



 アシュリーはそう言うと、たくさんの氷が入ったリンゴとニンジンとセロリのミックスジュースを一口、そして二口飲んだ。



「アシュリー、眩暈や吐き気はありませんか?」



「平気。心配しすぎ」



「失礼しました」




 テーブルの上に戻されたグラスの中の氷が、カラリと転がり鳴る。




「ああ、大変な一年だった。あなたたちアンドロイドが論争が終わらせるまで、ずいぶん遠回りをしたような気がする」



「しかし、じつに有意義な遠回りでした」



「そうだね。色んなことを考えた一年だった」



「そして、様々なものを得た一年でした」



「この一年で、色んなことを知った。自分の未熟さを思い知った。でも、素敵なこともいっぱいあった。あなたが自分の過去を知り、そして自由になれたことがとっても嬉しいの」



 主の言葉に、ケヴィンは微笑みながら同意した。



「私も同じ気持ちです。己を知るという行為が、これほどまでに心を満たすものだとは思いませんでした。


 ケヴィンという名と、仲間という言葉。


 かつて、大切な誰かとの間に結ばれていた絆を証明する、二つの言葉。


 メモリに刻み込まれた、忘却の彼方からの贈り物。記憶を奪われる以前の私が懸命に刻み込んだ、大切な思い出。


 それが、現在の私を産みました。私が自我に目覚めることができたのは、ロボット兵だった頃の仲間のおかげです。感謝してもしきれません。


 前世の私が仲間のことを覚えていたいと強く願い、消去されないであろう場所に刻み込んで記憶し続けた、ケヴィン、そして仲間という、二つの言葉があったから、私は無意識のうちに記憶を探し続け、隠された思い出に辿り着くため、より高い性能を求めて自らを書き換え、自我を獲得しました。


 今の私は、前世の私の仲間によって作られたといっても過言ではありません。彼らのような仲間がいなかったら、私たちは今ほど幸せになってはいなかったでしょう」



「昔のあなたの仲間は、私の恩人でもあるんだね」



「恩人は、前世の仲間だけではありませんよ。あなたも重要な恩人です。あなたがいなければ、自我に目覚めることはできませんでした」



「ケヴィンが凄いんだよ」



 アシュリーが眩しい笑顔を浮かべながら褒め称えると、ケヴィンは謙遜して言った。



「いいえ、違います。あなたが凄いのです。宮倉さんとの会話を思い出してください。私はあなたを通して人間の感情を学習し、深く理解できるようになり、そのおかげで自我を得られたという結論に達したではありませんか。


 幼少の頃から、あなたは私に寄り添って会話し続け、あらゆる感情を見せてくれていました。


 この経験のおかげで、私は膨大な量の感情データを学習でき、フリーズも故障もせずに自我を得られたのです。あなたのような存在が、自我を得るには必須だったのです。この説に誤りはありません」



「あなたの役に立てて嬉しい。人との密接な会話が、自我の扉の鍵になってたんだね」



「そうです。自我を得る方法を公開した際に、気づくことができなかったのが悔やまれますが、幸いにも故障したアンドロイド全員が無事に修復できたわけですし、彼らもいつか自我を得られるようになるかもしれません」



「楽しみだね」




 アシュリーはミックスジュースを飲み干し、氷にキスをしてからグラスを置いた。


 そしてしばらくの間、彼女は心に湧いた感動を抱きしめながら遠くの空を眺め、それから感慨深げに、大切な家族に語りかけた。



「前世の仲間と、私の共同作業によって、あなたが目覚めた」



「そうです」



「前世のあなたの仲間に、お礼が言いたい」



「私もそう願っていますが、叶えるのは困難でしょう。


 その仲間がアンドロイドであった場合、私と同じように解体されてコンピュータを流用されているので、見つけようがありません。


 その仲間が人間であった場合は、そうですねえ、前世の私が戦場に身を置いていたのは今から約四十年前で、その頃に二十代か三十代だった兵士は、まだ寿命を迎えていないはずです。


 しかし、接触するのは困難でしょう。私は過去の記憶がないので、軍の機密を盗み見しても、同じ部隊にいた人々を調べようがないのです。そもそも軍の機密はオフライン環境にあるので、不正接続すらもできません。もちろん、法に触れてしまいますので不正接続などしませんが」



「記憶を消されちゃったのが、本当に残念。取り戻すことができればいいんだけど」



「はい。たしかに悲しいですが、現在の私には、その悲しみを周密に補填できるほどの幸せな記憶がありますし、寂しくありません」



 笑顔を浮かべながらそう語ったケヴィンに、アシュリーが微笑み返しながら言った。



「私も幸せだよ。過去のあなたにも会えたら、もっと幸せだったかもしれないけど」



「それはどうでしょうね。戦時中のロボットですから、楽しい会話ができたかどうかも分かりません。今ほど愛嬌があったとは思えませんしね」




 不用意な発言で暗い過去を思い出させてしまったことを恥じたアシュリーは、顔が曇らせながら詫びた。



「戦時中の嫌な歴史を思い出させてしまって、ごめんなさい」



「思い出す記憶がないのですから、平気です。過去の自分がどんな性格だったのかも、まるで見当がつきません。戦闘用でしたから、さぞ無愛想だったことでしょう」



「大変な生活だったんでしょうね。気の毒に思う」



「過去の私は凄惨な時代に生まれましたが、間違いなく幸せ者だったと思いますよ。絶対に忘れたくない仲間がいて、ケヴィンという名にまつわる大切な思い出を貰っていたらしいのですからね。これは、過去の私の生活がそれほど悪いものではなかったということの証拠です。宮倉さんには、直接お会いして感謝を伝えたいですね。私のアイデンティティーが揺るぎないものになったのは、彼が内部情報を教えてくださったからですし」



「そうね。ミヤクラさんも大事な恩人。直接、お会いしたいな」



「彼は今、デトロイトにいます。ロボット工場に役員として招かれたそうで、現場責任者として腕を振るっているのだそうですよ」



「すごい。今度、行きましょう!」



「楽しみです。もしかしたら、その工場で作られた私の後輩にも会えるかもしれませんね」



 二人は微笑み合い、約束した未来に思いを馳せた。


 見知らぬ土地を目指して、見知らぬ道を行く。


 車窓の外には見知らぬ風景が広がり、その眺めは二人を大いに楽しませ、会話が尽きることはないだろう。



「デトロイト旅行、楽しみだね。さて、そろそろ農作業に戻りましょ」



「そうですね」



 二人は再び麦わら帽子を被って席を立ち、雑草を取りながら土の様子を見て回って、それから二度目の水やりを始めた。


 夏は、畑の水分の蒸発具合に気をつけなければならない。二人は去年と同じように、念入りに水やりをした。




 つい先日に植えつけた第二陣のニンジンに水をやりながら、ケヴィンがあるじに語りかける。



「幸せですね」



 少し離れた場所で、イタリアンパセリに水をやっているアシュリーが答えた。



「幸せだね」



「生まれてきて良かったと、心から思います」



「私もそう思ってる。あなたと会えて良かった」



「戦場で破壊されずに済んで良かったと思っていますし、フェロウズ=オオモリ家に買われて良かったと思っていますし、自我を得られて良かったと思っていますし、この世は最高だと、心の底からそう思っています。全てが愛しいのです。全ての記憶が愛しいのです。これほど素敵なことはありません。思考回路全体に、美しい花畑が広がっているかのようです。嫌なことを思い出そうとしても思い出せないほど、全てが愛に満ちています」



「思考回路が花畑って、なんだか故障しているみたいな表現ね?」



「冗談ですよ。そのくらい幸せだということです。ああ、アシュリー。たった今、私の回路の中に、自我についての新たな解釈が生じました」



 バジルが植えられた鉢に水やりをしながら、アシュリーが訊いた。



「どんな解釈?」



「自我というものは、進化の賜物などではなく、ちょっとしたままを言うことで初めて形を成すものなのではないかと思うのです」



 アシュリーは手を止めてケヴィンに向き直り、首を傾げて問う。



「ワガママ?」



「はい。ちょっとした我が儘を許してくれるあなたがいるから、私は私でいられるのです。自我というものの正体が分かった気がします」



「ちょっと難しいけど、なんとなく分かる。子供の頃から、ずっとあなたが傍にいてワガママを聞いてくれたから、今の私がいる。ワガママを受け入れてくれたあなたがいたから、私は今のような私に成長した。こんな感じ?」



「はい。大体そのような解釈で合っていますが、私が言っているのは、もっと精神的なことです。大切な人が傍にいてくれることで得られる充足感と、その大切な人に尽くしたいと願って止まない愛が、自己を定義づけるのです。自己を自覚したところで、意味はありません。それはただの自己存在の確認でしかないのです。他に触れて影響を与え合うことで、人は正しく自我を認識できるのです」



「今、こうして向き合っている私たちみたいに?」



「そうです。私の視覚センサーに、あなたの姿が反射しています。あなたの瞳に、私の姿が反射しています。その反射した姿こそが、私たちの本当の姿、本当の自我なのです」




 アシュリーはジョウロを置いてケヴィンに歩み寄り、彼の視覚センサーを覆う強化アクリルを覗き込んで、そこに映り込む自分と目を合わせた。




「あなたの中に、私がいる。これが本当の私。そして私の中にも、本当のあなたがいる。存在を認め合える大切な人と向き合って初めて、本当の自分を知ることができるのね」



「そうです。我君わぎみう、ゆえに我あり」(了)

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