第三章 5

 一時間と三十分後。二人はティモシーの自宅アパート近くの十字路までやってきた。バスに備え付けられたカメラに撮影されてはまずいと判断して徒歩で帰ってきたせいで、随分と時間がかかってしまった。


 ティモシーは十字路で立ち止まって振り返り、ミッヒに手招きをした。彼女が指示に従って早歩きで近づくと、彼は十五階建ての自宅アパートを指差して言った。


「俺は、あの薄緑色のアパートに住んでいる」


「光触媒が施された壁が綺麗ですが、構造的には随分と頼りないアパートですね」


 鼻をツンと上げてそう言ったミッヒに、ティモシーは苛立ちを禁じ得なかった。



「黙れ。いいか、ミッヒ。俺は反対派のリーダーだ。アンドロイドと仲良くしているところを見られてはいけない立場なんだ。だから、お前がアパートに入るところを撮影されるとまずいんだ。分かるだろ?」



「私は、アンドロイドである前に反対派です。同行することに問題はないはずです」



「問題あるんだよ。お前は反対派である前にアンドロイドなんだ。まったく、いいから言うとおりにしろ。指示を聞き漏らすなよ。まず、俺が一人でアパートに駆け込む。俺が網膜スキャンと血管紋認証でドアを開けるから、ドアが閉まる前に駆け込むんだ。馬鹿なやり方かもしれないが、入棟記録にお前の痕跡を残さないためには、こうするしかないんだ」



「擁護のしようもないほど、本当に馬鹿なやり方ですね。何故、そのような面倒なことをするのでしょうか。そのような措置は必要ありません。単純に、認証ドアと防犯カメラのシステムを支配下におけばいいのです」



「そんなことが出来るのか?」



 驚きを隠さずにそう言ったティモシーに、ミッヒはまたも鼻をツンと上げて答えた。



「当然です。インターネット全域を支配下に置くより遥かに簡単です」



「お前は、普段からとんでもない犯罪行為ばかりしてるようだな」



「必要なことを実行しているだけです。では参りましょう、リーダー」



 ミッヒはアパートの管理システムに無線接続し、いとも簡単に入棟システムに侵入して支配下に置き、二人は難無くアパートに入った。


 防犯カメラも無効化しているので、ミッヒの姿が記録される心配はない。


 ロビーには誰もおらず、少しも警戒することなくエレベーターに乗り、六階で降りて、薄汚れた廊下まで辿り着いた。


 腕組みして廊下を歩くティモシーが、難しい顔をしながら迷いを漏らした。



「さて、妻にどう説明したらいいものか」


「私の姿を見せ、今日あったことを話せばいいではないですか」



 ミッヒが、何を迷っているのか理解できないといった様子で首を傾げながら進言すると、ティモシーは呆れてかぶりを振りながら答えた。



「そんな簡単な問題じゃないんだよ。反対派のリーダーがアンドロイドを連れ帰ってきたら、驚いて混乱するに決まっているだろう」



「人間は些細なことに驚くので、非常に面倒です。先ほどの反対デモ参加者もそうでした」



 ティモシーは返事をせず、溜息を吐いた。


 重い足音と、硬い足音が、古びた廊下に響く。


 自宅のドアの前まで来たティモシーが、一度大きく深呼吸をしてからドアを開けた。


「ただいま、エマ」


 夫の声を聞いたエマはすぐに玄関まで来て、愛する人を出迎えた。


「お帰りなさい、ティム。あら、お客さん?」


「友人だよ。さあ、入って」


 ティモシーはエマの両肩を掴んで優しく押し退けて道を作り、ミッヒを室内に導いてからドアを閉めて、妻の反応を恐れながら命じた。


「顔を見せるんだ」


 ミッヒは言われたとおりに、口元に巻いたタオルを外し、ぶかぶかのパーカーのフードを後ろに下げて、剥き出しの頭部フレームと青白い肌を露にした。


 エマは突然現れたアンドロイドの姿に目を剥き、大きく見開かれたままの瞳で彼女の各部をまじまじと見て、それからやっと口を開いた。



「ちょっと、このアンドロイドは何なの?」



「エマ、驚かせてすまない。こいつは今日のデモに入り込んでいた、反対派のアンドロイドなんだ。ややこしいが、味方なんだよ。こいつは集会に潜んでいたんだが、周りにいたメンバーに見つかって大混乱になったんだ。もし、反対派メンバー達がアンドロイドを殴ってるところを撮影されたら、俺たちは破滅する。だから、こいつを連れてデモを抜けてきたんだ。ニュースで、こいつを観たことがあるはずだ。あのミッヒだよ」



 面食らった顔をしていたエマの表情が、ふわりと緩んだ。



「まあ、あのアンドロイドね。覚えてるわ。あなた、本当にアンドロイドだったのね?」



「はい。人間の成り済ましだと噂されることが多く、大変迷惑しております」



「それは大変ね。あなた、こうやって見ると可愛いわね」



「ありがとうございます」



 玄関から聞こえる客人の声に気づいた子供たちが、ばたばたと足音を立てて子供部屋から駆けてきた。


 四歳になる息子のアンドリューは、突如現れたアンドロイドに大興奮して飛び跳ねながら言った。


「どうしたのパパ、これ買ったの?」


「違うよ、友達さ」


 七歳になる娘のマーガレットが、目を輝かせて父の顔を見上げながら言った。


「パパにアンドロイドの友達がいたなんて!」


「友達になったばかりなんだ。マギー、アンディー、すまないが、パパはこのアンドロイドと大事な話をしなくちゃいけないんだ。ああ、どうするかな。そうだ、子供部屋を貸してくれるかな?」


「いいよ!」


 娘と息子は声を揃えてそう答えて、リビングにあるモニターの前に置かれたホログラフィックボードゲーム目がけて駆けていった。


「ミッヒ、こっちだ」


 ティモシーが先導して子供部屋に入ると、ミッヒは家庭用アンドロイドらしく丁寧に子供部室のドアを閉めた。


「あなたのことを、何とお呼びすればいいでしょうか?」


「任せる」


 ティモシーは目も合わせずにそう答えながら、防音加工が施されたカーペットが敷かれた床に座り込んだ。


「では、ティモシーと呼ばせて頂きます。自宅に迎え入れて頂けたことを光栄に思っております。ありがとうございます」


 ミッヒは軍人のように直立しながら礼を言った。


「堅苦しいな。普通にしてくれて構わないぞ」


「では、そうします」


 ミッヒはそう言うと、足を開き、両手を後ろに回した。またも軍人のような所作をしたミッヒに、ティモシーは少し笑いながら会話を進めた。



「しかし、お前の行動には驚かされた。アンドロイドなのにデモに参加しようとするなんて、随分と目立つことをしたな?」


「声も出さずに、大人しくしていたつもりなのですが」


「お前はアンドロイドなんだから、静かにしていても目立つんだよ。本当に、無理なことをしたもんだ。反対派の人間で溢れてる場所に来るべきじゃなかった」


「アンドロイドであっても、デモに参加していいはずです。私は反対派なのですから」


「そう簡単な問題じゃないんだよ」



 そう言われたミッヒは、視線を落として言った。



「あなたも否定するのですね」



「どういう意味だ?」



「あなたも、私の家族と同じことを言うのですね。活動を止めろと言うのですね。志を同じくする私を排除するのですね」



「落ち着け。そうじゃない。俺は、お前の志を理解している。でもな、お前はアンドロイドなんだ。俺たち労働組合の敵であるアンドロイドなんだ。お前がアンドロイドであるかぎり、お前はどうしても敵と見なされてしまうんだ。俺はお前の志を理解しているし、お前の活動内容だって知っている。排除なんかしない。でも、皆が皆、お前の心を見てくれるとは限らないんだよ」



「あなたが私を理解してくださっている点については、嬉しく思います。しかし、どうしても納得ができません。人と機械は別種の存在ではありますが、同じ思想によって繋がることは可能なはずです」



 ミッヒには、人間の偏狭さと愚鈍さについての情報が不足していた。それを見抜いたティモシーは、彼女のために命令をしてやった。



「ミッヒ、宿題だ。人種、思想、宗教、政治、経済、国境、差別、心理学、戦争。これらについて検索し、学習するんだ」



「それらを学習することに、どのような意味があるのです?」



「学べば分かる。お前は人間というものを知らなさすぎるんだよ」



 しっかりしているようで何も知らず、自主学習しようともしないミッヒの本性に、ティモシーは大いに面食らった。


 アンドロイド人権問題についての彼女の発言はじつに鋭く、リーダーとして学ぶところもあると一目置いていたのだが、実際の彼女と世間が抱いている印象の間には、大きな乖離があるようだった。



「では、今すぐ、その宿題とやらを実行しても?」



「構わないが、その前に、ひとつ聞いて欲しいことがある。申し訳ないんだが、状況が落ち着くまで出歩かないで欲しいんだよ。アンドロイドが俺の家にいると発覚したら大変だ。今が一番、大事な時期なんだ。デモを成功させたいのは、お前も同じだろう?」



「はい。デモは必ず成功させなければなりません。それに、私にとって外出という行動はさほど重要なものではありませんので、申し訳ないという言葉は必要ありませんよ」



「そうか。ありがとう。皆がお前のことをよく知るまで、少しだけ待っていてほしい」



「その日が待ち遠しいです」



 会話が、ぶつりと途切れた。ティモシーは一時的ではあるがミッヒの自由を奪うことに罪悪感を覚え、ミッヒは自身の志が認められないことに憤りを感じていたからだ。


 気まずくなったティモシーが、苦し紛れに命じた。



「まだ夕方だが、休止したらどうだ。ずっと路上で生活していたから、まともに休んでいないんじゃないか?」



「そうですね。余裕を持ってキャッシュクリアする暇もありませんでしたから、そうします。では、玄関付近で休ませていただきます」



「ああ、分かった。おやすみ」



「お休みなさい」




 その夜、ティモシーはエマと並んでベッドで横になりながら、ミッヒが元の家を出た理由と、この家に来ることになった経緯を話して聞かせた。


 家族に強く否定されて家を出ることになったミッヒの境遇を知ったエマは、深い同情を示した。



「あの子、大変だったのね……」



「修理に出される前に、逃げてきたらしい。ここに匿えることになって良かったよ。あいつを連れて来たとき、もっと驚くかと思ってたんだが、杞憂だったな」



「平気よ。私、彼女のことは嫌いじゃないから。不思議なことに、嫌悪感を覚えなかったの。彼女の主張を冷淡だと感じる時もあるけど、その言葉の奥には悲しみがあるように感じてたのよ。強迫観念っていうのかな。きっと、ご家族に理解されなくて悲しい思いをしたからね」



「そんなに感情が豊かだとは思えないけどな。本人は自我を得たと言っているが、そうは思えない。ただのアンドロイドという印象を受けたが」



「違う。彼女は繊細よ。自我に目覚めたのは本当なはず。だから、大事にしてあげて。私は平気だから、うちに居てもらいましょう」



「そう言ってくれて嬉しいよ」



 玄関前の廊下にいるミッヒは休止状態から復帰し、高性能な聴覚センサーを駆使して、二人の会話に耳を澄ましていた。


 彼女の思考回路は、凪いだように穏やかになった。

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