第一章 9

 アンドロイドに人権を。


 そう叫びながら街を練り歩くデモ隊の様子を報じるニュースが、フットボールの試合開始を待ちわびる人々で溢れるバーのテレビモニターに映し出されている。


 ほとんどの客が、そのニュースを気にも留めずに選手のプレイ内容やライバルチームの動向についてやかましく談論するなか、店の隅にあるテーブルに座っている建設労働者の一団だけは、ただ静かに、蔑んだ目でモニターを睨んでいた。




 仕事帰りに初めて立ち寄った小奇麗なバーの店内で、粉っぽく薄汚れた彼らの服装は浮いて見えた。


 だが、彼らを追い出そうとしたり、からかったりするような者はいなかった。


 彼らが纏う衣服よりも、彼らが纏う憤怒の影のほうがより強く人々の注意を引き、威圧感を与えていたからだ。




 五人の建設労働者は、聡明さを感じさせる笑顔が印象的なラテン系の女性店員がビールを運んできた時を除き、一言も言葉を交わさずにモニターを睨みつけている。


 口火を切ったのは、怒りに拳を握り、黒光りする筋骨隆々の前腕を膨らませているシドニーだった。


「あいつら、何を考えてやがる。道具に人権をやれ、だって?」


 あどけなさが残る顔立ちをした下っ端のエディーが、兄貴分の言葉に同意する。


「あいつら、どうかしてますよ」


 四十五歳を越えた古参のバーンが、テーブルを殴るか蹴るかしたい気持ちを懸命に抑えながら、呻くように言う。


「まったくだ。機械野郎は、家で便所掃除だけしてりゃいいんだ」


 差別的で不快な台詞だったが、それを咎める者はいなかった。


 シドニーが眉間に皺を寄せて、正面に座るティモシーの顔を覗き込みながら問う。


「おい、ティム。なんか言えよ。まさか、お前もガラクタに人権をやれって思ってんのか?」


 そう問われたティモシーは、短く刈り込んである頭の横で力無く中指を立てて見せながら、吐き捨てるように答えた。


「勘弁してくれよ、兄弟。俺も、お前と同じ気持ちだよ」


「それならいいんだけどよ。お前、今日はずいぶんと静かじゃねえか。ねえ、ボス?」


 怒れる四人のボスであるディラン・リンチが、うるさいシドニーに対して鬱陶しそうに答えた。


「そんな日もあるだろうよ。この世がどうなろうと、俺たちはビル建てて、家建てて、内装を仕上げて、酒飲むしかねえんだ。今日の仕事は終わったんだ、楽しくやろうや。さあ、全員飲め」


 ボスであるデュランの号令で、彼が経営する工務店に勤める面々は、デモ隊への怒りで熱くなった体にビールを流し込んだ。アイルランド気質溢れるディランは、酒の優しさをよく知っている。




 真っ先にマグをからにしたのは、ボスと同じくアイルランド人の血を引くバーンだった。残りの四人も、少し遅れてビールを飲み干す。


 しかし、彼らの気分は晴れなかった。


 アンドロイドに人権を与えるべきだ、などという馬鹿げたデモを報じるニュースを見せられてしまっては、気持ちよく酔えるわけがなかった。


 何故なら、アンドロイドは彼らの天敵だからだ。


 第三次世界大戦後、迎撃し損なった多弾頭水爆弾道ミサイルや、宇宙から打ち込まれた質量兵器によって、多くの人々の命が失われた。


 労働力を確保するため、ロボット兵のコンピュータを流用された建設作業用アンドロイドが、戦後復興限定で土木作業要員として配属された。


 そのおかげで想定していたよりも早く復興が進み、人々が未来を見据え始めた頃のことだった。建設作業用アンドロイドに、人間の仕事が奪われていることが問題視され始めたのだ。


 アメリカ合衆国政府は人々の雇用を守るため、アンドロイドの使用に制限をかけた。


 アンドロイドの使用は、核融合発電所の整備や核物質の取り扱いなどのような生命の危険を伴う作業に限定され、一般的な建築作業や土木作業でのアンドロイドの使用と派遣を法律で禁じた。


 労働者たちは安堵したが、それが一時的な安寧であることも理解していた。法律が盾となっただけで、天敵そのものが消え失せたわけではないからだ。


 実際に、一部の途上国では、現在もアンドロイド作業員の使用が認められており、失業率の高さが社会問題化している。


 敵はアンドロイドだけではない。食品加工や組み立て作業に導入されている固定式作業ロボットは規制されておらず、大昔から人々の職を奪い、多くの路上生活者を生み出してきた。


 ほとんどの作業をロボットが独占してしまっているのだ。それは今も続いていて、これからもずっと続く。


 労働者にとって、ロボットは現在進行形の脅威なのだ。


 アンドロイドが人権を得て、彼らの要求どおりに規制法が解かれたら、現在とは比べ物にならない規模の失業問題が発生するだろう。


 労働者の生活は根底から破壊され、解体現場のようになってしまう。


 彼らのように建設業に携わる者は、常に脅かされ続けてきた。


 いつかアンドロイドが自分たちの仕事を奪うのではないかと、雇用法と派遣業法を注視してきた。


 アンドロイドが人間社会に溶け込んでくるのを、ずっと危険視してきた。


 その危惧が今、実体を伴って襲い掛かってきているのだ。




 飲んでも、飲んでも、飲んでも飲んでも飲んでも、フットボールの試合が始まっても、贔屓のチームが得点しても、ティモシー達の気分が上向くことはなかった。


 憂鬱な酒盛りが続く。


 応援している地元チームが、二十二メートルラインの前でタックルを決めると、店内に歓喜の声が響いた。暗然としているティモシー達も、これには笑みを浮かべずにはいられなかった。


「いいプレイだ。よく止めたな」


 シドニーに続き、ティモシーも賞賛を送る。


「ああ、フェイントを見抜いていたな。綺麗に決まった」


 口ではそう言ったが、頭の中では今もなお、アンドロイドに人権を与えようとする連中への怒りと未来への不安が、新人バーテンダーが注ぐビールの泡のように、ぶくぶくと膨れ上がっていた。


 背もたれに寄り掛かり、頭の後ろで手を組みながら試合を観ているシドニーが言った。


「なあ、ティモシー。フットボール選手はいいよな。試合中なら、むかつく相手をぶっ倒しても文句を言われねえんだ。しかも、皆から褒められるし、金だって貰えるんだぜ?」


 ティモシーは身を乗り出し、両肘をテーブルに突いて答えた。


「最高だな。代わってほしいもんだ。でも、選手たちはそんな気持ちでプレイしてないだろう。自分の全てをぶつけて、勝負しているだけだ」


 すっかり酒が回ったバーンが、にやにやしながらティモシーに絡み始めた。


「どうした、お前。真面目なこと言いやがって。真面目はつまらん。もっと飲め。酔いが足りねえから、そんなつまんねえことを言っちまうんだ」


「俺だって、たっぷり飲んで酔ってるよ。酔ってるからこそ、ちょっと気取ったことを言ってしまったんだ。よく見てくれよ、バーン。一番飲んでないのはエディーだって」


「俺だって飲んでますよ!」


 そう叫んだエディーだったが、遅かった。


 バーンはいつものように、彼にしつこく絡み始めた。これからバーンは、いつものように説教をしたり、腕相撲を強要したり、忘れた頃にまた同じことを言ったりする。


 下っ端のエディーは、バーンのお守りを毎回押し付けられるのだった。


 四人のボスであるディランが、事務的に注意を促す。


「ほどほどにしておけよ、バーン」


「はいよ、ボス」


 バーンは同僚が何を言っても聞かないが、ディランの言葉だけは、どんなに酔っていても聞き入れる。


 バーンは手加減し、理性的に絡み始めた。しかし、それはあくまでもバーンの主観による手加減であって、エディーの苦痛が軽減するわけではない。


 バーンとエディーをよそ目に、ティモシーとシドニーとディランは、運ばれてきた追加のビールマグを手に取った。


 マグを打ち鳴らし合う前に、ティモシーは冷めた表情で呟いた。


「人権は、俺たちだけのものだ」


「急にどうしたんだよ、兄弟」


 シドニーは少し怪訝に思いながらも、面白がって笑みを浮かべながら言った。しかし、ティモシーは表情を変えない。


「宣言したんだ。あのデモの連中は間違ってる。だから言ってやった」


「熱いな、酔っ払いティム。面白れえ。その意気だ」


 ディランが、熱くなり過ぎている部下たちをたしなめる。


「お前ら、変なこと言ってんじゃねえぞ。酒は楽しむためにあるんだ。ほら、乾杯だ」


 ボスが音頭を取って、三人はマグを打ち鳴らした。


 その音は、いつもより重く響いた。固く握られたティモシーの拳が、打ち鳴らされたマグの振動を捻じ伏せ、鳴るはずの高音を握り潰していたからだ。




 ディランは、一見冷静に見えるティモシーの顔を横目でちらりと見て思った。


 ティムは頭が切れる。俺が知る男の中で、一番だ。


 新人が入っても偉そうにしないし、ギャンブルもしなけりゃ、酒に飲まれることもない。嫁さん以外の女に手を出すこともない。


 派手を気取っているが、温厚な善人だ。


 そんな男が、らしくない目つきで何かを考えてやがる。ガキの頃にドキュメンタリー番組で観た、反政府ゲリラの頭領みてえな目だ。


 俺の気のせいであればいいんだが、俺の勘は、嫌なときほど当たっちまう。何かをやらかす気がしてならねえ。釘を刺しておくか。


「おい、ティム。あまり物騒なことを言うんじゃねえぞ?」


「何を心配してるんですか、ボス。俺は、人権は人間のためにあるもので、人間にのみ与えられていると言っただけですよ。当たり前のことを述べただけです」


 笑うティモシーの真っ当な返答に、ディランは杞憂だったかと恥じながら言った。


「お前が熱くなってるのを久々に見たからよ、なだめてやっただけだ。若造だった頃みたいに熱くなってんじゃねえよ、まったく」


「あの頃の俺は、もういないですよ。ご心配なく」


「なら、いいんだ」



 もう二度と、あんな目つきをするんじゃねえぞ。お前にも家族がいるんだからな。



 ボスは珍しく摯実しじつな表情を浮かべ、静かに、しかし勢いよくビールを煽り、一抹の不安を腹の奥に流し込んだ。


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