そしてうまれる

おかみ

 世にあるものにはすべて魔力がかよっている。人間、植物、動物、大地、空、すべてに魔力は含まれ、それによって生き、動いているとされる。そのすべての源である魔力がなんなのかを解き明かすのがわたしの仕事、わたしの生きるすべて。「わたし」という存在がこの世に生まれ落ちたその瞬間に理解することだ。

 


 目を覚ますと世界は暗い。外から少しだけ届いた光が、真夜中よりもわずかに部屋を明るくしている。日はのぼったばかりだ。あくびをするとくちから白い気泡があふれて、天井までゆらゆらしながらあがっていった。

 体を起こして伸びをする。眠気はない。両手を合わせて力をこめると、指のあいだから光がもれた。そっと手を開くと、ひらべったい、楕円形の水の塊がやわらかい光をこぼしている。今日はすこし力みすぎたみたいだ。

 口をつけて息を吹き込むと、ぽつ、と息が水を割る音がして楕円の内側に空気が入り込んだ。割れたところを親指で撫で、明かりがきれいな球体になったのを確認して、指先ではじくようにして上に放る。明かりはいつもより少し速くのぼっていき、天井に張り付いて部屋を照らした。歩くたびにふわふわとゆれる髪を手で押さえつける。この部屋で髪を梳いても意味がない。

 いつもの服を着て、机に腰掛けて研究日記を手に取る。昨日はなぜ水媒体から熱が生まれるかを考えていた。日記はもうすぐ頁がなくなるところまで書き込んでしまって、開くのがすこし難しくなっている。そろそろ新しいのを見繕わないといけない。

 両手で日記を閉じたとき、ちょうど呼び鈴が鳴った。何度も何度もベルが揺れる、子供たちの音だ。

 研究日記を水で包み、天井に張り付けた明かりをそっと引き寄せる。ゆらゆらとしながら手元まで降りてきた明かりは、しかしてのひらに乗ると同時にひび割れて砕けた。かけらが光の残滓をまとって手元を照らす。あとから空気を入れるとどうしてももろくなってしまう。宙に舞ったかけらを手で払うと、すぐに水に溶けて消えた。

部屋を出て階段を上がっていく。地上に近付くにつれ世界は明るくなってわたしを包んだ。周りを満たすのが水から空気に変わる。水面で屈折してわたしに届いていた日の光が、直接肌の表面を温めていく。

研究室までくると、空いた机に日記を置いて、手早く上着をまとって帽子をかぶった。部屋は何もかもが昨日のままだ。

丸い瓶のなかで研究の残骸が日の光を拡散している。なんとなしに触れてみると、昨日よりも熱が強まっている気がした。日に当てると温度があがるのだろうか。新しく浮かんだ疑問を頭に留め置いた。

玄関を開けると、強い風が吹いた。髪が引っ張られるようになびく。帽子を飛ばされそうになって思わず頭を押さえた。

荒れた水面を追いながら視線を伸ばすと、大人の男女が小舟にへばりついていた。この強い風のせいでたくさん呼び鈴を鳴らしてしまったようだ。小舟を水で支え、周りを囲うように壁を作ると、彼らの場所だけがしずかになった。

 水面に足をつけると揺れるそれの振動がこちらにまで伝わる。歩きづらい。足元の水だけを固め、帽子を押さえながら小走りに小舟に近付いた。わたしをじっと見ていたふたりは、わたしが水の壁の中に入ったのを見るとこわばっていた顔を緩めて笑った。

「魔女様。お気遣いありがとうございます」

「今日は風が強いですね。黄緑の魔女様が気を荒らしていらっしゃるのかしら」

そういって女は、わたしの髪に手を伸ばした。頬と髪のあいだに指を通し、軽く払ってから撫でるように触れる。手はわたしの上着のすそを軽くひっぱってから、女の膝の上に戻っていった。

 ふたりの要望は男の傷の修理だった。漁をしているときに網で腕をおおきく切ってしまったのだそうだ。男の右腕には緑の街から取り寄せてある薬草が包帯で固定されてあった。

わたしの視線が腕に移ったのに気付いた男が眉尻を下げる。女が彼の背中をさすった。

「早ければ十日ほどで治ると医者に言われたのですが、そんなに仕事を休むわけにはいきません。妻にも、子供たちにも必要以上の負担をかけてしまいます」

力なく船底に指をつける男の腕に触れる。手首を両手でもち、胸の高さまで上げると、わたしとは違う温度を持った肌がぴくりと動いた。

媒体がふわりと宙を舞って、わたしの手と彼の腕の傷口までを覆った。包帯と薬草がゆるんで水中に浮かぶ。わたしの手くらいの大きさの切り傷があらわになり、血が水中にじわりとにじむ。

包帯と薬草を取り出してそのあたりに放置して、触れた場所から体内に、細い糸を入れ込むような感覚で、すこしの魔力を流す。傷を修理するときはなかに魔力を流してやるのが一番早い。それと同時に、外から縫い合わせると傷はなくなる。

体のなかに魔力を傷口のまわりにためた。割れた皮膚と皮膚を合わせて結ぶように、媒体を細く細くとがらせて刺していく。内側から魔力を染み込ませる。両端からつながっていった肌は、一筋の痕を残してあふれていた血を止めた。腕を包んでいた水を捨て、新しいそれで痕を撫でる。あとはあてがわれた薬を飲めば元通りになる。

 男はなくなった傷口を指の腹で触れ、右手を開いたり閉じたり動かして具合を確かめる。不具合があればすぐに手直しするためだ。男の表情はみるみる緩み、わたしに向かって笑った。

「ありがとうございます。これで漁を続けることができます」

 手直しの必要はないらしい。女が体の力がぬけたように男に手を置き、傷口を撫でる。彼女もまた笑っていた。

 風がやむ気配はなかった。水で遮られたわたしたちの外で、水しぶきが飛び散り、丸太でつながった橋を波打たせる。いつもは干された服がなびいている建物と建物のあいだも、張られた紐がただ強い抵抗に耐えているのみだった。

 ふたりがしずかになって、外のありさまを不安そうに見た。

 つま先を水面に浸した。わたしの意思は魔力を流れ、頭で浮かべた光景そのままを水が形作っていく。だんだんと水位が下がって、代わりに風がどんどん弱まった。わたしたちの周りにあった壁をとりはらう。水面が揺れることはなかった。

 ふたりはなくなった風に目を見開いて、あたりを見渡した。それから街の外側に何かを、きっとさきほどまで自分たちの周りにあった水の壁をみつけて、いまの状況を理解したようだった。

 男はほう、と息をついて、女は胸に手を当てて眉を下げた。

「すみません、魔女様。お気を使わせてしまって」

「なにからなにまでありがとうございます。これ、どうぞ召し上がってください」

 女が船底から持ち手のついた籠を取り出した。水仕事ですこし荒れた肌がわたしの腕にそっと触れる。甲を向けていた手を裏返して、四つ並んだ指に籠の持ち手を握らせた。

 必要ない。女に付き返そうとしたが、上から手を重ねられ、逆に強く握らされる。そのうえにさらに男が手を乗せた。

「うちの子供が手伝ってくれたんです」

「お口にあいますように」

女はそう言って私のぼうしを撫で、ゆったりと手を振った。男がすっかり動くようになった腕で櫂をつかむ。水の壁で一時的に静かになった水面のうえを、小舟は危なげなく進んでいった。

持たされた籠を見る。布を持ち上げてみれば、パンにハムや、野菜や、調味料が挟まれたものが詰まっていた。食べなくったって死なないのに。魔女が死ぬのは媒体に侵食されたときのみだというのは、魔女のいる街に住んでいるなら誰でも知っている。なのに彼らは、わたしが施しをしたあと、かならず何かを持ってくる。花飾りだったり、実験につかえそうな容器だったり、いまみたいなたべものだったりする。

椅子を作って座り、かごの中のひとつを指でつまんだ。茶色い部分は固く、けれど白い部分はふわふわやわらかい。口に入れてみると、ぱり、と乾いた音がして歯がパンの皮を破った。具のなかで一番早く舌に乗ったハムは、塩が多くてぴりぴりした。


   ***


家に帰って最後のひとつを食べていると、ばちばち、と激しくはじける音がした。同時に視界の端で黄色く光る。顔をあげると、窓の外で小さな稲妻が不規則に形を変えていた。わたしのまわりではまず見ない色、黄色の魔女の色だった。

食べ物を口の中に放り込み、実験していた手を止めて窓をすこしだけ開ける。わずかなすきまだったが、風はすばやくなかに入り込み、わたしの髪を激しくもてあそんだ。紙が飛び散る音が聞こえ、遠くで何かが割れた。稲妻が吸い込まれるように家に入ってくる。すぐに窓を閉めた。

すこし遠くに飛ばされていたらしい。ふらふらしながらわたしの前にやってきた稲妻はくるりと回って見せた。ばち、とひときわ大きくはじけて、一枚の紙になる。手紙だ。ときおり黄色い光を走らせながらひらひらと落ちる。直接触れないように媒体で受け止めた。いちど手で触れて、体の芯までしびれたことがある。

紙一面におおきく書かれた文字に目を通した。

『雨をください! 雷をあげる!』

簡潔でわかりやすい。手紙を筒状にしているあいだに、棚から大きな瓶をとりだした。黄色の魔女からもらうものを入れるためのものだ。棚のなかで黄色がはじけるのを見ながらふたを開け手紙を入れる。互いに作用しあってさらに明るくはじけた。

部屋の端にあけてある穴から水に潜った。すう、と吸い込まれる感覚がして、からだが水の温度に慣れて冷える。服にふくまれていた空気がごぼりと音を立てて出て行った。風で水面からだんだん青を深くしていく水底ははっきりと見える。風に左右されない水中はおだやかだ。屈折した日の光が揺れながら岩や砂に模様を作っていた。魚たちが心地よさそうに泳いでいる。

水から出てたちあがると、強い風が髪や服を強くなびかせた。自分の周りに大きく壁を作る。風が完全に断たれてから、つま先で媒体をすくって蹴り上げた。宙に浮いた水はしずく同士でつながりあい、わたしの身長を超える長さの三叉槍になる。掴む。柄の表面とわたしの手のひらとがひとつになったような心地がした。

三叉槍の、切先や柄にいたるまですべてに魔力を詰める。あの街にしっかり届いて、たくさん降るように。黄色の魔女は、街が洪水になるくらいの雨量がすきだ。だからほかの街よりもたくさん力を詰めないといけない。両手を空へ持ち上げて三叉槍を回す。はしまで魔力がいきわたるように、たくさん詰められるように回す。三叉槍は指の上をすべるようにして勢いを増していく。日の光がきらきらと三叉槍の表面を輝かせた。ときおりしずくが飛び散って、水面に小さな円を作る。

力がめいっぱいに詰まると、三叉槍がわたしの手を離れた。切っ先が向くのは黄色の街の方角、真っ黒な雲がいつも浮かんでいる空だ。右手をぐっと握りしめて持ち上げ、少し振りかぶる。同じように三叉槍も少し後ろにさがった。魔力が手にたまっていくのを感じる。目の前の壁だけを取り払った。風によって生まれる小さな波が足に伝わると同時に、一歩踏み出す。体重を前にかけ、力いっぱい腕を振り下ろした。魔力がするりと手から抜けていった。

槍が起こした風が真横から吹き付けた。分け目の変わった髪を戻しながら顔をあげると、三叉槍が狙ったところに向かって空をとんでいる。暴風などには干渉されない。目視できなくなるまで見送って、その場で水の大玉を作る。両手が届かないくらいの大きさにして、わたしのいる場所に浮かせる。わたしのあたまと並ぶくらいの高さだ。

ぴり、と少しだけ腕がしびれたような感じがした。三叉槍が黄色の街にたどり着いたのだ。遠くに見える黒い雲はみるみるうちに発達し、横に範囲を広げて緑の街や、黄緑の街や、赤の街にまでうすく手を伸ばす。ゆっくりと瞼を閉じると、最初の粒が黄色の街に落ちたのがわかった。

お腹の底を揺らすような低い音が耳を打った。黄色の街にはあふれるほどの豪雨が、ほかの街には水を補給できる程度の小雨が降っているのを感じる。うまく調整できた。

黄色の街には、ガラスがたたき割られたような激しい音を立てながら、黒い雲からのびた帯がたくさん落ちている。そのうちの、ひときわ大きいひとつが雲から直接こちらに向かってきた。雷は時折するどく蛇行しながら投げた三叉槍よりもはやくわたしのところまでやってきて、準備していた大玉に突っ込んだ。玉はばちりと黄色を走らせながらも貫かれることなく雷を閉じ込める。

大玉の周りを一周して、すべて吸収しきったのを確認する。不用意に近付かないように気を付けながら、波を作って移動を始める。行先までの通り道すべてに壁を作るのを忘れない。雷を長く閉じ込めておくことは難しい。手早く保管庫まで行かなければ。波から波を渡り走っていると、大玉のなかではじける雷がうっすらと人型になり、なかに沿うようにして宙返りした。

『雨ありがとー!』

今回の雨量も、黄色の魔女を満足させられたらしい。

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