チェイン・ソウル

@fujioka_okafuji

第1話 鋼鉄の方舟


「こいつはいよいよヤバいな。早く引き揚げなくちゃ。」


額にじんわりと滲む汗を革のグローブで拭い、エレンは足を速める。

轟いた雷鳴は半刻前よりも随分と近づき、嵐が近いことを告げていた。

辺り一面は瓦礫とスクラップの山で空を仰げば僅かに光が漏れている程度でほとんど洞窟のようだ。差し込んでいた一条の光も分厚く、どす黒い雲が覆いかぶさり消えてしまった。

視界が悪くなって足元が覚束なくなったため腰に下げていた携帯型ランタンに灯を点し先を急ぐ。この辺りは何度も通っているし来た路を覚えてはいたが、どのくらい近くまで嵐は来ているのか確かめたくなって、好奇心に負けたエレンは表層まで続く長い梯子を駆け上った。


表層から見える景色はくず鉄やむき出しの電子基板、壊れた家電等が雑然と積み上げられてできている山がどこまでも続いている灰色の世界で、地平線などはこれっぽっちも見えない。この山の向こうにはどんな世界が広がっているのかと、外から来た旅人や行商人に尋ね、写真や本などでは見聞きしたことはあるが未だにその地を踏んだことはなかった。東の空に見える暗雲が何層にも絡み合いその中を幾度も雷光が行き来している様は、宛ら龍が猛ってとぐろを巻いているかのようである。この世のものとは思えぬ異様さに全身の鳥肌が立っているのを感じながら、エレンはその中に違う光を見た。


「鳥…?」

防塵ゴーグルを外し目を瞠ってその影が雲から飛び出るところを捉えた。

ずんぐりとした機体が傾きながら姿を現す。片翼のターボプロップエンジンから火が出ている様子は遠くからでもはっきりと見えた。


「鳥なんかじゃない!アレはガレミア公国の輸送機だ!」

輸送機はどうやら不時着の体制を取らんとしていたが出力が足りないのか大きく左に傾いて高度を急激に落としていた。


―あのままでは墜ちてしまう。皆に知らせなくては。

目の前で起こっている非日常とこれから起こるであろう惨劇とが同時に脳裏を過った。先ほど拭ったはずの額には脂汗が滲んでいる。


エレンはこの巨大なスクラップヤードの地下に暮らす若者だ。

塵の中から使える物を収集して売ったり、修理をすることを生業にしている。

雨風を凌げる地下深くにアリの巣のように広がるぽっかりと空いた巨大な空洞に他の住民と共に生活しており、その村は「ガルバ」と呼ばれていた。作物が育ちにくいガルバにはそれ単体で自給自足をすることはできず、近隣の集落や国と交易をすることで飢えを凌いでいた。


―あの輸送機が墜ちて爆発でもしたらガルバの天井が崩れ、皆が下敷きになって死ぬか生き埋めになるかもしれない。

心臓は痛いほどに早鐘を打ち、今すぐ行動を起こさねばならぬことを悟った。


咄嗟に獲物袋から発光器を取り出す。行商人から買った本に回光通信について書いてあったことを思い出し必死に今にも墜ちようとする輸送機のコックピット目掛け信号を3度送った。


ツ・ミ・ニ・ヲ・ス・テ・ロ


ややあって、輸送機の後部ハッチが開き、大小様々なコンテナや木箱が棄てられていくのが見えた。その中で一つだけ異様に落下速度が遅い箱があることをエレンは不思議に思ったが、今はそれどころではなかった。


棄て終わって高度が落ちる速度は緩慢になったが尚も機体は下降していた。最早滑空しているような軌道を描いている。


輸送機の底面がエレンの真横に聳え立つ山の頂を掠めて過ぎ去っていく。

傾いて下がっていた左翼がさらに奥の山に直撃し完全に翼が折れ、遂に輸送機は真っ二つになり、エレンから500フィルトほど離れたところに墜落した。


視界が真っ白になったのと同時にけたたましい爆音が、爆風がエレンを襲った。

吹き飛ばされ、無重力の世界に包まれる。視界は空を捉え、時間は不思議なほどにゆっくりと流れていた。地の底へと落ちていくのを感じたのを最後に視界は闇に包まれ意識も深い闇の底へと沈んでいった―――。

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