第33話 汚染水は東京湾に

【安倍首相のIOC総会での演説】

「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。

「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされています」(2013年9月7日 ブエノスアイレス)


「あのさ、汚染水を海に放出しても人体や海洋生物に影響がないって言うんなら、福島じゃなくて東京湾でもいいわけよね」

唐突な提案に、広海も幹太も黙り込む。

「理論的には、チーちゃんの言う通りだね。否定できるだけの根拠はないと思う。間違いなく反対運動はおきるだろうけど、だったら放出に猛反対している福島の漁業関係者のことを『我慢しろよ』なんて誰も責められないよね」

「確かに」

「首都圏で使う電気を新潟や福島で発電するんじゃなく、関東に原発置いたら、っていうのと同じ発想ね」

「地産地消っていうわけだ」

耕作の説明にも誰も反対しない。

「でも、発想はともかく、物理的に無理なんじゃね。汚染水、どうやって運ぶわけ? タンクローリーやトラックじゃ、焼け石に水っていうか効率悪過ぎだし、福島から東京までまでパイプをつなぐのは現実的じゃないし…」

「一旦、水分を飛ばして濃縮できるんなら、タンカーで運ぶ手もあるんじゃないか。5年も6年も貯め込んできた汚染水を運ぶのには相当時間がかかるけど。どっちにしても、問題解決を後回しにしてきた政府の責任は免れないわけだ」

恭一は現実的に汚染水を東京湾に運ぶ案を示した。

「人体に影響がないって言われても、みんな、いざ自分の生活圏の問題になると話は別なんだよね。ほら、前に見た映画の「東京原発」と一緒よ」

「沖縄の基地問題も同じだな」

「北朝鮮に拉致されたままの被害者の救出も一緒」

「そして、核廃棄物の最終処分場の問題も一緒だな」

「結局、当事者にならないと、本当の痛みや苦しみが分からないってこと」

広海がまとめると、幹太が提案した。

「福島第一原発の汚染水問題も深刻なんだけど、まだ決まっていない核廃棄物の最終処分地の問題も深刻らしい。“課長”少し説明してくれる?」

「さわりだけなら」

原発などの施設から出て来る核廃棄物。青森・六ケ所村はあくまで中間貯蔵施設だ。「核のゴミ」とも呼ばれるそのゴミを半永久的に保管するための国内の最終処分地はまだ決まっていない。その選び方について政府は、従来の自治体応募型から、政府が直接候補地を選ぶ方式に変えた。

経済産業省は2017年、原子力発電に伴って発生する放射性廃棄物の最終処分地の候補地として、科学的条件が合致する地域を色分けした日本地図を公表した。全国1700を超える自治体のうち9割近い1500以上が候補地だ。一方で、地方自治体の中には核廃棄物の持ち込みや処理施設の設置を拒否する条例を制定する自治体も出てきた。

経産省によると、2013年3月末時点で、国内には1万7000トンの使用済み核燃料がある。各原発内の貯蔵施設に約1万4000トン、青森県六ヶ所村の再処理工場に約3000トンを保管している。東電と日本原電は使用済み核燃料を陸上に保管する中間貯蔵施設(5000トン分)を青森県むつ市に建設した。しかし、最終処分場も決まらない現状では、核燃サイクルそのものが成り立たず、中間貯蔵施設の先行きが懸念されている。

耕作は、ホワイトボードに日本地図を描いてざっと説明した。


「オスプレイを配備する基地をどこにするかでも、すったもんだしてるでしょ」

核廃棄物以前に、自衛隊にも配備されるアメリカ製のオスプレイも、配備先を決められないと千穂。

「あれも最終的な自治体は、まだ決まってないんじゃないか?」

「事故が多い安全性の不安も問題だけど、昼夜を問わず住宅地の上空を飛ばないっていう約束を、米軍が守らないのはもっと大問題」

垂直に離着陸できるヘリコプター機能を持つ航空機という点が特徴だが、プロペラを垂直から並行に切り替える時のトラブルが多く指摘されている。

「海外を含め、何機墜落したことか」

「しかも、アメリカはその多くを『不時着』だって言い張る」

「機体が大破してるのにな」

幹太と耕作。米軍に偏見はないが、その対応に納得がいかない。

「不時着って、空港や基地じゃない場所に緊急着陸することでしょ」

「メンツがあるから、『墜落』って認めない。情けないことに日本政府も右倣え」

千穂の疑問には耕作が答えた。

「クルマだったら、即リコールものだぜ」

「日本の自動車に対しては、ちょっとでもトラブルが見つかるとすぐリコール要求するくせに」

幹太も広海も不公平感を隠さない。

「しかも、米軍が日本国内の基地の外で事故を起こしても、日本に調査する権限さえないしな」

恭一は彼ら以上に、米軍に関する日米の不条理な関係を見てきた。

「調査どころか、日本の警察は住民やマスコミが現場に近づくのを防ぐ役目さえ果たしているんだから。真逆の行為ですよね」

「何たって守っているのは、日本の国民じゃなくて米軍だから」

「チョコレートでももらってるのかしら」

広海は、男子たちの言葉に、戦後の占領時代を皮肉った。

「元凶は、日米地位協定でしょ」

あれって不平等条約だよ、完全に。敗戦国に突き付けた法律の生き残り。みんな知らないけど、日本と同じ敗戦国でもイタリアやドイツに対しては、もうそんな条約はないのにさ」

耕作は政府の弱腰と国民への説明責任にも触れた。

「核廃棄物も危険なモンスター・ヘリも『安全対策はしているから問題はない』って言い分」

「しかも日本政府は米側の言いなり。面と向かって批判もできないし。まるで何か弱みでも握られてるみたいで、頭が上がらない。情けないっていうか、恥ずかしいっていうか」

幹太の言いたいことは、広海にもよく分かる。

「『完全にコントロールされてる』っていう言い分も、IOC総会での総理の言葉とそっくりね」

広海は笑みさえ浮かべた総理の表情を忘れていない。

「似たような言葉、ほかにもどこかで聞いたことがあるような…」

「思い出した。豊洲市場だよ。都が隠していた盛り土の問題。安全対策として設計段階から予定していた盛り土のはずなのに、あってもなくても人体には影響はないって開き直ったような説明な」

「あー、それそれ。何であっちもこっちも同じような話になるかな」

「地位協定もオスプレイの配備も放っておけない問題だけど、今は汚染水対策。海洋放出にも踏み切れない問題が出てきたんだ」

と幹太。

「最近になってトリチウム以外に、ストロンチウムとかの放射性物質が除去できていないことが分かったのよね」

「チーちゃん、そこ大事なところ。分かったんじゃなくて、公表しただけ。つまり、東電は前々から他の有害物質が含まれていることを知っていたのに、隠していたわけ。これって罪大きいよ」

耕作は、東電の意図的な情報隠しを非難するように言った。

東京電力は2018年8月、福島第1原発の汚染水浄化後の処理水について、敷地内のタンクで保管する約89万トンのうち約8割の約75万トンで、トリチウム(三重水素)以外の放射性物質の濃度が国の排水基準値を上回っていたことを明らかにした。東電と政府はこれまで汚染水処理について、多核種除去設備「ALPS(アルプス)」でトリチウム以外の62種類の放射性物質を除去でき、基準値以下に浄化できると説明。性質が水に近いトリチウムだけは取り除けないが、薄めることで基準値未満にできるとして、汚染水浄化後の処理水の有力な処分方法に海洋放出を挙げてきた。

「除去できなかった理由も稚拙過ぎるな」

恭一は厳しく指摘した。

「除去装置の不具合とか、浄化のための吸着剤の交換時期が遅れたんじゃないんですか?」

「いいかい。新聞記事によると、89万トンの汚染水のうちトリチウム以外に基準値以上の放射性物質が含まれるのは75万トン。排出基準以内に収まっているのは僅か14万トンだけ。もし、浄化装置のトラブルが原因なら、数字は逆にならないとおかしい。トラブル処理までの期間、有害物質が除去されないのは分かる。でも浄化装置をメンテナンスすれば解決するはずだ。84パーセントも浄化されていないというのは完全に人為的なミス。一番大きな原因は機械の不具合じゃなく、不具合を放置したことさ」

恭一の説明で、3人は頭の中のモヤモヤが晴れたような気がした。

基準値超えの物質のひとつ、ストロンチウム90は半減期が約30年と長く、体内に入ると骨に蓄積しやすい。サンプル分析で基準値の約2万倍の1リットル当たり約60万ベクレルが検出された。東電は、トリチウム以外はALPSで除去できると説明してきたが、肝心のALPSを正常に稼働していなかったことになる。

「汚染水は今も毎日増え続けているのよね。でも高濃度の放射性物質が除去できていない現実。『0.3平方キロメートルに完全にコントロールされている』って豪語した総理はどうするつもりなのかしたら」

広海のつぶやきに、誰も答えられなかった。

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