第165話 奇跡の本質(上)
核爆発か大地震か。
人の抗えない規模の力を前にして、なぜ俺がどうにかできると思っているのか。
どうやって願いを叶えようというのか。
端的に言えば奇跡の力を頼る。
何も自暴自棄になっているわけではない。
確率として無視できるほど小さい何かに期待なんてしない。
俺がこんなことを言うのは、すでに奇跡が『起きている』からだ。
まず第一に、カイルのことがある。
俺の弟で勇者。
こいつのおかげで、俺は勇者という存在を荒唐無稽だと考えたり、お飾りの存在だと軽視したりせずに済んだ。
……当然、その対となるであろう魔王についてもだ。
世界のどこかに魔王が実在し、大切な家族が立ち向かおうとしている。
ならば、そんな存在を、無視しておくわけにはいかなくなった。
つまり、俺は魔王と対峙する状況をどこかで考え続けていたということだ。
そして、同時に勇者という存在と最も近くで半生を過ごしたことで、その特別さがどこから来るのか、つぶさに観察することができた。
地下に存在する。数多の命の終着点。
そこにおわす女神という『機構(システム)』が与える加護が、力を示す前と後を最も近くで見続けたのが俺だ。
加えて、魔術師である、という努力では得られなかった可能性のある類まれな才能と、前世の才人たちが歴史の中で培った科学的思考法、知識、そういったものがこのあまり大きいとは言えない脳髄に染み込んでいたことを、奇跡と言わずしてなんと言うか。
頭の中身以外の全てを失った俺にとって、この世界で最も大切なのは家族と仲間だ。
弟が、特殊な現象にあれば、その本質を知ろうとすることは本能と言っても良いことだった。
持ち得る技術を使い『勇者』とは何かを解明しようとした。
きっかけがつかめれば応用だって考えた。
すなわち、弟を勇者という『勝手な責務』から解き放つにはどうすれば良いかと。
自身の無力や諦観に打ちひしがれながらもずっと、心の片隅で考え続けていた。
その行動は、カイル本人の『自分の運命を選ぶ』という選択によって無意味なものにこそなったが、今、ここで奇跡の下準備を支えている。
二つ目に、俺は去年の騒動で魔術の本質を知った。
命が持ちうる原初の叫びと願い。
そういったものがこの世界で強い力を持ち、自然現象の一旦を担っていることを。
おかげで、相対的に見て俺は、かなり高度な魔術師となった。
フヨウのくれた杖を使い、聖女の御業を真似て魔力自身に希(こいねが)う技術を得た。
理解を得た。
この力は、南大陸の特異性、エンセッタという集落の神殿という施設の特別さから、『勇者』の存在を凌駕しうる何かがあることをかなり早い段階で俺に知らせていた。
だから仮説を立て続けた。
カイルの時のように恐らく無駄になるであろう予想を、ずっとしていた。
その中でも最も無意味に近かったのが、目の前に立ちはだかる『魔王』という機構(システム)だ。
……それでも、想定外ではなかった。
考えていたことが現実となった時、俺は少し早く色々なことを準備できた。
剣術の立ち合いで言えば一歩の踏み込み。
盤上遊戯(ボードゲーム)で言えば三手の得。
決定的な戦術的優位。
三つ目の奇跡は、たった今、目の前で揃った。
気を抜けば闇と毒の顕現に見えるような圧倒的悪意が人の形を成したもの。
これを信じ、あまつさえ命を投げ出して救おうとするフルーゼという存在。
これだけの闇に飲まれながらも他者を愛し、自身を擦り減らして嘘をついてでも救おうとする魔王。
二者の邂逅によって生まれた『人として生きたい』という魔王自身の本音。
これが明るみに出たことの意味は大きい。
魔王なのだ。闇、なのだ。
成すすべがないと思われる恐ろしい力の奔流の内側に、俺たちと考えを一つにする存在が浮き上がった。
暗く濁り偏っているとは言え、『想(ねが)いの力』の中心に。
ほんのひと時のことかもしれない。
しかし、揃った。
奇跡の鍵。
一つ一つがあり得ない確率の中で三つ同時に。
確率とは存在しうる割合いのことだ。
しかし欺瞞でもある。
どんなに壁に向かってボールを投げ続けてもそれが壁を通り抜けることは叶わない。
量子論上の確率としては歴然と存在するのに、無理な物は無理だとみんな知っている。
試行回数が圧倒的に足りないから。宇宙開闢から終焉までをかけてすら。
そんな無茶が目の前に揃ったのなら運命だ。
……カイルのこともあるから、俺はこの言葉が好きではないが、それでも都合が良ければ使って見せる。科学の徒はズルいものだからだ。
「フルーゼの、俺たちのことを最後まで信じろ。……できるな?」
さんざん魔王(アニエス)の振る舞いを疑った俺の言うことなのに、彼女はこくりと頷いた。
年相応よりもなお、幼い少女のように。
多少は聖女の立ち振る舞いを知っている俺には、それがとても変わったもののように感じる。
「フルーゼ、ここからは俺がやる。……もしかしたらちょっと力が足りないかもしれないから、その時は手伝ってくれ」
何を、とは言わなかった。
願いの力を使いこなした彼女なら、やって見せれば理解してくれる。
「フヨウ、メイリア、巻き込んでごめん。でも手伝って欲しい」
状況の変化を逃さず、抑制の魔力が弱まったことで上体を起こした二人にも伝える。
たぶん全員の力が要るから。
「手を伸ばしてくれ。俺のオドを君の中につなぐ」
そうして魔王(かのじょ)の手を取った。
躊躇は、しなかった。
燃え上がる氷を掴んだような。
大きな電位差の金属に触れるような。強烈な忌避感。
しかし、反射的に手を離すことはなかった。助かった。
どうやら生理現象は魔王との触れ合いを想定して作られてはいないようだ。
もし、ここで手を離してアニエスの信用を損なえば、それだけ魔術の成功から遠ざかることになる。それは避けたい。
長く続ければ自分の本質が蝕まれてしまうような魔王のオド。
これをあえて自分のか細いオドとつなぎ合わせる。
この時、接続と同時に記憶に対するプロテクトが必要だ。
女神の加護を受けたカイルは、地脈を流れる膨大な魔力から大きな加護を得ても、人格という本質を守ることができるように、長い時間をかけて『調整』されていた。
それが、あいつが過ごした『お膝元』での時間の目的だ。
それを真似る。
付け焼刃ではあるが、短い時間だけなら形をつくることができる。
俺だって、カイルと同じ時間を過ごしているから。
全てを破壊したいという衝動、こんなことが成功するわけがないという諦観。
そういったものと、魔術を行使する論理プロセスを分離し、何がなんでも、最後までこの工程をすすめるという純粋な意志を守る。
これで第一段階は終了だ。
現状を把握しているアニエスは目を見開いてこちらを見ている。
そこに不敵に笑いかけてみせた。……笑えているよな。
それが上手くいったのかどうかはわからないが、相手を多少驚かせることには成功したようだ。
どうだ、不可能を可能にする。いけそうな気がしてきただろう。
現時点では俺は大陸中から集まった負の魔力の中心にある集約装置、魔王に引っかかっただけの点だ。
魔王自身も、高度な処理能力でこの魔力を操っているが、機構的には一個の生き物として俺と大差はない。それを別つもの。
負の魔力との接続点が存在する。
こうして触れればすぐにわかる。右の額にある黒い角。
この部位こそが彼女を魔王としている象徴と機能そのものだ。
ここから接続を切り離す。
「フルーゼ、みんなも、今から俺のやろうとすることが叶うように願ってくれ。オドを循環させて、周囲のマナに干渉しながら」
あとは俺がそれを一か所に集める。
内側から魔力にメスを入れる。
返事はなかったが反応は早かった。
言うことを聞かない部屋のマナ、魔王のオドに一筋の方向性ができた。
これを集約して俺の魔術として一点にぶち込む。躊躇してはいけない。
一歩間違えれば二度と戻れない深淵の化け物を産んでしまう。
何も合図はしなかった。
覚悟をして硬直するよりも、みんなの意志が一つになった自然体の今が好機だ。
焼き切るように角と繋がった魔力を最大の出力で一瞬だけ取り外した。
「っっっ!!!」
焼きごてでも当てられたかのように、左手で角を抑えるアニエス。額からは一筋の血。
魔術的な処置が生体に影響を与えている。
しかし、俺とつないだ右手は離さなかった。お陰でこのまま魔術を行使できる。
本来なら彼女に励ましの言葉でも掛けたいところだ。
しかし今の俺には慮(おもんぱか)っている余裕がない。
ここから行う工程がもっとも恐ろしく不安がある部分だから。
角の切り離された魔力は方向性を失ったりはしなかった。
全体の量から考えれば円錐の先に針でもあるかのように集約され、その切っ先が『魔王』という意志を求めて今この時も蠢(うごめ)いている。
その頂点を俺自身に向ける。俺の魂に繋げる。
カイルが受けている『女神の加護』には接続部がある。
多くの人を観察したわけではないが、他にこれを持つ人物には会ったことがない。
魂の特異点。恐らくこれこそが『勇者の資格』なのだろう。
たった今、俺は会ったことがないと言ったが、他に特異点を観察したことがないわけではない。それは、他ならぬ俺の魔術的な中心に、同様の部分が存在するから。
いっしょに生きてきたからなのか、元々一つの細胞(そんざい)から分かたれたからなのか、巻き込まれるように『女神の膝元』を訪れたことがあるからなのか。
とにかく『形だけの勇者の証』がここにあり、それは『魔王の証明』である角と似た機能を持っている。
ここに、目の前で暴れる魔力をつなげる。俺自身が疑似的な魔王になる。
こうしなければ、何度でもアニエスの元にこの力が向かおうとするだろうから。
「アニエス! 呆けている暇はないぞ! 今なら少しは頭が働くだろう! 今のうちに魔術を使え! 抗うんだ! 二度と魔王の力なんて要らないってオドに刻み込むんだ!」
振り絞るように伝える。
早くも頭の中で暴れる破壊衝動は、いら立ちを行動に移せとうるさい。
俺の意志に反して言葉が荒くなっていく。長くは持ちそうにない。
「……どう、やって」
気丈にも猛烈な痛みに耐えて答えたのかもしれない。
しかし俺にはもう説明することもできない。
「アニエス、私が教える。私がやる! 手を出して! そして思い出して! 何のためにがんばっていたのか。これから何をしたいのか。それが力になるから!」
最も近くにいたフルーゼが答える。
角を押さえていたアニエスの左手をとると、そこにオドを流し込んで魔術を行使した。
俺の使ってきた魔術と比較しても小規模な術。
魔王を形作る恐ろしい量と質の怨嗟を前にすればいっそ滑稽なほどの矮小さ。
しかしそれで十分だった。
この魔術に力の強さが関係するのは角からの切り離しの時だけだ。
大切なのは本質。闇の魔力の中で信じるに足る光。
掛け値のないその力は魔王を構成する魔力の中の『無念』に強く働きかけた。
何かを守ろうとして、達成しようとして力尽きた全ての命がアニエスとフルーゼの願いに応える。
今度こそ、やり遂げると。
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