第163話 再会の先

 マリオン・オーディアール。

 エトアを守護する聖人。救国の聖女。

 この人物について俺が知っていることは少ない。


 公にされている聖女としての彼女以外の部分は、ほとんどカイルやルイズの口から語られた素顔。そして短い時間歓談したときの印象だけだ。

 兄が一人おり、今は二人そろってカイルたちと北大陸の人々を、魔王と戦うためにまとめ上げようとしているはず。

 間違っても、この地で地底湖から病人の様な顔で現れる状況ではない。

 ならば目の前の人物は誰なのか。


 丁寧に彼女を観察してみる。

 長くこの地底にいたはずだが、薄汚れた印象はない。

 エンセッタで見たような飾り気のない貫頭衣に身を包み、力を感じさせない姿勢で地面に身を投げ出している。

 体に強張りや震えがみられない点から、苦痛や緊張にさらされているわけではないと考えられる。

 ……服装を考えれば、やはりエンセッタの住人、アニエスさんその人なのだろう。

 この驚きはメイリアと俺だけのもので、聖女と直接対面したことのないフヨウは俺たちのことを訝しがっている。

 フルーゼにいたっては、彼女がこの見た目をしていることが当然という雰囲気で、こちらには気が付いてすらいない様子だ。


 結論を言えば、この膨大な魔力を秘めた少女は聖女とは別人だ。

 そして、そういった視点で彼女を見ればいくつか外見的な違いにも気が付いた。

 最も目立つのは右目の上、額の片隅に見られる隆起。

 この地下洞には天然のものとは思えない明かりが各所にあるが、それでも全体を考えれば薄暗い場所だ。そのため色ははっきりわからないものの肌よりも黒に近いと思う。

 端的に言って短めの角に見える。

 また、俺の知る聖女様の印象は、エトアを訪れる道中で出会ったときのもの、あるいはエルトレア滞在中の彼女だ。

 彼女は俺たちと同年代で、成長期の真っただ中。

 あの頃と比較すればもう少し大人びていてもいいように思う。

 事実、ロムスで少し会った時には多少は見た目も変化していたと思うのだ。


 この少女は、現在の聖女様と比較すると多少幼い。

 また、暗がりであることを考慮しても肌がちょっと浅黒い気がする。


「この子は、マリオン様じゃない」


「……ええ、その様ですね」


 そうと決まれば、喫緊(きっきん)でない話は一度頭から締め出す。

 現在もこの子が恐ろしいオドを秘めている点に変わりはない。


 フルーゼは、首元に巻いていた布をほどくと、周囲にふんだんにある湿気を集めて濡れ布巾を作ったようだった。それをアニエスさんの額、角のとなりあたりに充てていると程なくして彼女は目を開いた。

 赤い瞳。魔力の奔流で爛々と輝いているかのように錯覚する。やはり聖女様とは異なる。

 覚醒が契機となったのか、俺たちの心中をかきむしるような負の魔力は随分と緩和された。

 膨大な魔力量に変化はなくとも一息つくことはできる。正直助かった。

 しかし、彼女は、これだけの魔力を部分的にでも制御できているのか……。


「……やっぱりフルーゼ。来てしまったのね」


 あまりにも普通の少女のような語り口。

 見た目相応の言動なのに違和感を覚える。

 どうやら現状をそれなりに把握できているらしい。

 やはり上の方の神殿の機構をこの中で操作していたのは彼女なのだろうか。


「……当たり前でしょう。説明、不足、なの、よ」


 旧知の仲らしく自然に始まった二人の会話は、フルーゼの言葉の途中でとぎれとぎれになる。それは涙のせい。

 必死に嗚咽をこらえて絞り出されたそれをアニエスさんは一言一句もらさないように聞いている。


「必要なことは話したつもりだったんだけど、なぁ」


 いっそ舌足らずにすら感じる話し方で続けるアニエスさんは、自分に零れ落ちてくる涙に困り顔だった。


「私ね。あれからずっと寝てたの。あの中で」


 柱の方を力なく指さして言う。


「色々なことは角が教えてくれるから、本当に必要な時だけ目が覚めるようにして。そうしたら神殿に誰か入ってきて。『まだ』私は考えることができるから、追い出そうとしたんだけど、それがフルーゼだなんて。マナを感じた時は寝ぼけて夢でも見ているんだと思った」


「……やっぱり、神殿を動かしていたのはあなただったの?」


 もっと話したいことがあるのだと思う。

 なのに、実務的なことを聞いてしまうのは、フルーゼなりに気持ちを整理しきれていないからなのだろう。


「……うん、まあね。でも本当は神殿は私のものじゃないの。だからちょっとうまくできなくて。危ない目にあわせてごめんなさい……。無事でよかった」


「うん、みんながいてくれてから。私は何もできなかったけど」


 そこでやっとここにいる俺たちの方を向く。


「……フルーゼ、仲間がいるのね。こんな所にいっしょにやってくるくらい信頼できる。良かった、なら大丈夫」


 内容とは裏腹に、とても寂しそうな表情をしたが、それもすぐに収まった。


「ありがとう。フルーゼを守ってくれて。『我(わたし)』を前にしても平静を保ってくれて。今だって苦しい思いをしているはずなのに、何も言わずにいてくれる。きっと良い人たち。そんな優しいあなたたちに一つお願いがあるの。そんなに難しいことじゃない。報酬も準備できる」


 初めて自分に向けられたその声にはおかしな部分があった。

 声に言葉以外の意味があるような、音自体に力が感じられるような。

 ただ話しかけられるだけで萎縮してしまいそうなそれに必死で抗う。


「言ってみてくれ。内容を聞かないとわからないから」


「……本当に優しいのね。簡単よ。ここに来るまでに正室を通ったでしょう。そこまで連れて行って欲しい。この神殿はそこにあるはずの指輪で制御されているけれど、様子がおかしい。何かがあったことは分かっても、詳しいことがわからなくて……」


 どうせ帰り道だから、それくらいはお安い御用ではある。しかし、連れて行って、か……。


「……うん、一緒に帰ろう。そのために私たちここまで来たの!」


 考え事をしているうちにフルーゼが答えた。

 彼女らしくないと言えるほどに短慮な答えだとは思ったが、一方でこの答えこそが彼女の追い求めていたものなのだとも思う。


 ……自分が何を知っていて、何を知らないか。どうしたくて、どうしたくないか。

 そういったことを表情に出さないように整理しながらこの流れに乗ることにした。

 俺の迷いはマナにのり、フヨウや、もしかしたらアニエスさんにも伝わってるかもしれない。しかし、現状に困惑していること自体は不自然ではないはずだ。


「……わかった。様子がおかしいってことは、何か困ったことがあるのか?」


 少しでも情報を引き出したくて訊いてみる。


「いいえ、困ってはいないわ。指輪の力が、とても『強く』なっている。私にとっては助かることだけれど、理由がわからないのは不安でしょう」


 この答えから得られる情報は沢山あるが……、まずはそのことか。


「……先輩、それって」


 脂汗を流しながら話を聞いていたメイリアが話に入って来た。

 アニエスさんの覚醒によって魔力が抑えられてちょっと余裕が出たのかもしれない。


「ああ、例のペンダントのことかもしれないな」


「ペンダント?」


「そう、昔私がアインにあげたペンダント。あれのお陰でここまで来れたの!」


 興奮した様子でフルーゼが伝える。

 それでも要点を手短に教えられるあたり頭の回転の速い子だ。

 ほどなく、上であったことはアニエスさんの知るところになった。


「……そんなことがあったのね。……フルーゼ、本当にありがとう。あなたがいてくれてよかった」


「友達なんだから当たり前でしょう! 私だってここまでアインたちに頼り切りで……」


「……みんな、自分がやりたくてやっているんだ。感謝している、っていうなら俺だってメイリアやフヨウにしている」


 それに送り出してくれたロムスのみんな、数え上げたらきりがない。


「とりあえず今は用事があるんだろう。まだ明るい時間だけど、遅くならない方が良い」


 少し強引に話を切って先を促すことにした。


「……ええ、そうね。正室まで、よろしくね……」


 ありとあらゆる不思議をこの地底湖に置き去りにしたまま帰り路を進むことになった。

 でも、目の前の少女。この子がいるだけでわかることが山ほどある。


 それを上手く組み立てて、出来ることを、やり遂げなければならない。





 病人然としていたアニエスさんがいるので、ゆっくり昇ることになるかと思った長い螺旋階段だが、思ったほど苦労させられることはなかった。

 彼女の体調が概ね回復して見えることと、オドの循環を行えることが理由だ。

 魔術が使用できれば体力的な懸念はない。

 急いだというわけでもないがペースを気にする必要はなかった。


 道中はフルーゼがずっと喋っていた。

 これまでどんなことがあったか、ゴーレムとの戦いがいかなるものだったか。

 その一つ一つを大真面目に聞くアニエスさんとの様子は本当に仲の良い友人、あるいは姉妹のように見える。

 道というものは、知らない場所なら遠く感じても、一度通ればすぐ慣れるものだ。

 会話を弾ませているうちに大きな問題は起こらずに正室まで戻ることに成功する。

 これまでの雑談で、俺の身内、カイルについて話が及ぶことはなかった。


「これが、フルーゼのペンダント……」


「アニエスが戻って来たからまたアインの物だけどね」


 石像の様子を確認したアニエスさんの緊張がわずかに増す。

 今もなおマナが抑制されたこの部屋でも、彼女の異常なオドは健在だ。

 超自然的にこの地に眠る魔力と繋がったまま、一人の人間とは思えない力を示し続けている。

 こんな状態の『人』を俺は良く知っている。

 力の性質や大きさは異なるが、自身のものではない大きな力を一身に背負わされている様子を。


「……本当にありがとう。ここまで連れてきてくれて。ペンダントを持ち込んでくれて」


 改めて俺たちに向けられた感謝の言葉は、その意味ほど暖かなものではなかった。

 まるで氷の壁のように、自身に寄せ付けない拒絶の力を持った発言。


「でも、ここまで。もう正室には入らないでね。今度こそ、この場所を守らないと」


 遅れて裏付けるように続けられるその言葉とともに、暴力的なオドが解放された。

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