第152話 地に光(下)
「おう、悪かったな。とりあえず座ってくれ。今、茶も出す。とはいっても旅の途中にいつも飲んでたやつだけどな」
集落内では大きくも小さくもない、日干し煉瓦の建物に入ると、ギース氏が言った。
仕事を依頼されたはずなのだが、のんびりしている。
「おはよう、昨日は大変だったわね。気分はどう?」
となりにはフィーアさんの姿。
エンセッタ到着以降、二人はずっと一緒にいるような気がする。
久しぶりに出会ったはずだが、長い間連れ会った、という言葉がぴったりの雰囲気だ。
どうやらここはフィーアさんの私邸らしい。
あまり物は多くないが瓶や製作中の保存食等生活感のあるものがちらほら見える。
「しっかり休みましたから。旅の疲れはないですよ。ただ、昨日のことを知りたいなとは思っています。本当に何が何やら」
結局、フルーゼは忙しさと様子がおかしいこともあって最後まで詳しい説明をしてくれなかった。
今日会った時も、時間が許さず質問ができないまま。
「そうね。あの時のことは全部説明してあげる。本当はそのつもりで呼んだから。手伝って欲しいお仕事があるのも嘘じゃないけれど、急ぐわけではないわ。そのかわりにいくつか質問に答えて欲しいのだけれど」
「質問?」
「ええ、私たちにもわからないことがあるから。まず、そこから説明するわね」
「昨日の輝く光、あれは魔術なのよね?」
「ええ、その通りです。そこまで難しいものではないのでフルーゼもすぐ使えるようになると思いますよ」
反応の制御についてはわからないが、炎に色を付けるだけなら魔力すら必要ない。
「そう……。この集落では魔術はちょっと特別なものなの。それは知っている?」
「昨日フルーゼと近況を話した時に、この大陸では魔術は一般的ではない、街道が封鎖されるまで集落内でも公にしなかった、という話は聞きました」
塩にせよ水にせよ、物資の問題を解決する手段としては必要不可欠だっただろうと思う。
「あの子と私たちが協力して広めたの。先の見えない塞いだ気持ちに、すがる物が欲しかったから、神殿の与えた恵みを受ける術(すべ)だって。神殿に残された壁画にも関係する言葉が残されているって。魔術のことは私にはわからないけれど、まったくの嘘ではないはずよ」
ここに来るまで、南大陸における宗教的権威について多少は学んだ。
イセリア教とは大きく異なる体制を敷いているが、代表者に求められる資質という点においては違いはない。精神的な充足を与えられるかどうかは重要なのだろう。
フルーゼにはいくつもの視点から、才能があったわけだ。
なんとなく、俺のデモンストレーションが目立ったせいであるということはわかったが、昨日の異変は挨拶の後に起こったような気がする。
「そして極めつけは『御使いの救い』ね」
「御使い?」
「簡単に言えば、今、あなた達はエンセッタで『天の御使い』として見られている。神殿に関わる物の中で最も高位の人格。北の大陸で言うならば教皇より上の立場ね」
……ちょっと想定を上回る説明だったが、少し流れが見えてきた。しかし、これは。
面食らいながらも教えてもらった流れはこうだ。
昨日の俺たち到着タイミング。まずこれが劇的だったのだという。
当然のことだが辛く厳しい日々に倦んだ人々。
少しでも風通しを良くしようと神殿より得られた知識をもとに分かち合いの儀式を行った翌日。
誰も期待をしていなかった街道解放の報せを持ってきた旅人。
正直、この時点でアイドル的というか、『人知を超える存在』なのではないかと考える人間は多かった。
とはいえ、旅人の中にはギース氏を始め、一部の人間と顔見知りも含まれており、おとぎ話の様な存在ではないことは証明されている。
喜ばしいことには違いないので祝いの席を用意した。
そこで俺がちょっとアピールしすぎたわけだ。
ただの手品が魔法に変わる演出となってしまった。
最後に挨拶に現れた人物は集落の長老(の一人)。
感極まって御使いを称える文言と共に感謝の言葉を口にしたのだという。『天よ、あなたは我らを見放さなかった』と。
完全に人違いである。
「なんでそんな大ごとになるんです?」
「? だってあなた達が先に答えたんじゃない。『天より地に光あらんや』っていう問いかけに対して『然り』って」
んー!? ちょっと待って、ちょっと。落ち着いて考えろ。
あの時雰囲気が変わったのは確か。
「……それって『エルート』ってやつですか?』
「もしかして知らずに言ったの? なんで?」
ここに来るまでに会った子との話をする。
「おい、そんなこと、俺も聞いていないぞ」
ギース氏とは再会する前だったからな。
どうやら文言自体は広く普及したものらしい。
宣託を賜る際の枕詞。
信仰上の敬意を表して『ユルウラーサ』と問いかけるのだが、かならずしも『エルート』と答える必要はない。
それは上位者であることを明確に意思表示することになるから。
最初に出会った子たちはそこまで知らなかったのだろう。お祭りか何かで見たものを見様見真似で教えてくれたとか。
運の悪いことにもう一つルールがある。
神殿のお膝元であるエンセッタにおいてこの返礼は特別な意味を持ち、実質誰も使わないらしいのだ、すぐそこに本物の天の言葉が遺されているから。
歴史上でも片手の指で足りる程度の人数に俺たちは加わってしまった。
……めちゃくちゃ恥ずかしい。
しかも今回は事前に使用した魔術が意味深な内容となってしまった。ただの花火なのに。
「つまり全部偶然だったというわけね……」
難しい顔だが、どこか安心したという雰囲気でフィーアさんが言った。
「……昔面倒を見た子が大きくなってるっていうだけで驚いたのに、それが御使い様だっていうからもうどうしようって思っていたけど……」
彼女なりの不安があったらしい。時間が過ぎれば成長するのは当たり前だと思うのだが……。
「言ったろう。こいつらは埒外ではあるが、普通の子どもなんだよ。フルーゼと何も変わらん」
「……そうね。普通の子。そして特別。エンセッタが今も残ってるのはあの子のお陰」
ここ数年で彼女が成し遂げた偉業の数々を聞く。
母親の視点からなので、逆の意味で贔屓目があるにせよ、俺が今回やったことなんかよりずっと神殿の遣いらしい偉業だった。
そうだよな、塩にせよ、食べ物にせよ。みんなの命を救ったのは明白だ。
「子どもなりに上手く立ち回って目立たないようにしているつもりみたいだけれど、鈍い人でなければ気が付いているわ。あの子が特別だって」
そこで一つ深呼吸をしてから続ける。
「その特別の発端はあなた、いいえ、あなたたちよね。全ての始まりは十年前の出会い」
フルーゼの人生に大きな影響を与えたという実感はある。
「その責任、取ってもらえないかしら」
「!?」
急な言葉に咽(むせ)てお茶を吹いたのは俺、ではなくフィーアさんの隣にいたギース氏である。
「おい、何の話をしているんだ急に!」
「あの子の話よ。もう、そこまで取り乱さなくても良いでしょう」
諭されて、ひとり取り乱した自分が恥ずかしくなったのか、ギース氏は声を控えて続ける。
「……そんな話をするなんて聞いてなかったぞ」
「あら、言ってなかったかしら。でも、こんな場所でする話なんだから集落の事かあの子の事以外にないでしょう」
長年の連れ合いだからといって意思疎通が万全というわけではなかったようだ。
一方で、俺だって面食らっている。フィーアさんの意図が知りたい。
「もう少し具体的に説明して下さい」
魚を捌く時に入れる包丁の様に、慎重に、しかしはっきりと質問する。
「言葉の通り。あの子に期待させたことを最後までやり遂げて欲しい。あの子の問題はまだ全部解決していないから」
心当たりはあった。
今日、ここに来るまで、一緒に過ごしたフルーゼは、ずっと『責任を果たす』という意志を内面から滲ませ続けていた。
自身の解放を手放しに喜んでばかりというわけではないのは一目瞭然だ。
ただみんなの命を背負うという重責が理由であれば、もう少し晴れやかでも良かったはずだ。
「あの子は、自分で何でもできるから、自分だけで解決しようとする悪い癖があるの。悔しいけれど、私やこの人ではそれを止めることができなかった。けれどね、大人な私たちはもう少しズルくて適当。他にやれる人がいるならなりふり構わず頼ることもできる。例えそれが、もう返せないような恩を持った相手でも」
俺たちのことを言っているのだろうか。
言い返したいことはいくらでもあったが、まだ話は続くらしかった。
「フルーゼには頼りあう友達が必要よ。でも頑固なあの子は誰とでも友達になれるほどは器用じゃなかった。だから、聞いて。あの子の最初の友達であるあなたにお願いする。私の娘を、助けて欲しい」
なんのことはない。元々の目的と何も変わらない。
だからほとんど間をおかずに答えることができた。
「お願いされるまでもないです。困っている友達をそのままにしておくことなんてできません」
「ありがとう。私たちもあまり断られるとは思っていなかったのが本当のところ。でもね、こういう話はちゃんと最後まで聞いてから答えた方が良いわ。それくらい、大変なことだから」
――フルーゼが対面しているもの。
それを説明してもらうまでの間に、淹れてもらったお茶が冷めるほどの時間がかかった。
「――人探しですか?」
「……厳密に言えば、それをしようとするあの子と一緒にいてあげて欲しいの。集落を守るためにアニエスは神殿に身を捧げた。魔物が退けられ、砂嵐も収まっているように見える今、フルーゼは必ず動こうとする。……もしかしたら命の危険があったとしても」
消えた友人の捜索。
入れ子の様に、ついこの間までの俺とフルーゼの状況がここにもある。だから彼女が何をしようとするかも、確かにわかった。
気になるのはフィーアさんの言葉の端々に、フルーゼが無為な行動をとろうとしているというニュアンスがあることだ。
確かにこんな砂漠の孤立した地域で年単位でいなくなった人間なら普通は死んでいる。
あるいは全然別の地域に移動しているはずだ。だから気持ちは理解できる。
しかし、フルーゼだってそんなことはわかっているはずなのだ。
その上で勝算があるから諦めていないのではないか。
恐らく、フルーゼしか知らない理由がある。
『願いの力』である魔力が関わっている、そんな理由が。
南大陸への旅や、怪物退治の時の様に入念な準備も難しそうだ。
できることがあるかどうかなんてわからない。
だが、何を言われたところで、俺がやるべきことは変わらない。
「友達が困っていそうだから助ける。そのために俺は今、ここにいるんですよ」
ブランクこそあるが、昔馴染みのこの人たちには自然と思っていることがそのまま口をついた出た。
「……そうね。ところで私が最初に行ったお願い、ちゃんと覚えているかしら?」
フルーゼを助けてくれ、とは違う話だろうか? そんなことがあったかな。
「目の前が真っ暗になるほど追い詰められた人はね、運よく助けてくれる人がいたりしたらそれがまぶしくてたまらなくなるの。何年たってもずっとね。心の形が変わってしまう」
目線をとなりのギース氏に向けた。
本人はそれには気が付かずになんだか別の理由でもじもじしている。
「例え助ける側が気軽にやったことだとしても関係ないわ。覚えておいて」
概念的な話になってしまって曖昧に頷くしかない。
どうやらギース氏とフィーアさんの関係を言っているらしいのだが、惚気られてしまったということだろうか。
これがいわゆる犬も食わないなんとやらなのか。ご馳走様という他なかった。
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