第48話 強さの意味

 稽古をつけて欲しいという願いを叶えるのは別段難しいことではない。

 俺たちにとっては毎日行われる日常。

 そこに一人加わるだけだ。

 それが何を解決してくれるか、あるいは何も解決しないのかはわからなかったが、断る理由もなかった。

 アーダンへの滞在期間は短いので、さっそく今日のうちにやることにする。

 ジュークは遠征から戻って来たばっかりだが、それで構わないと言った。


 テッサの仕事上がりを待って近くの広場に移動する。

 テッサは状況が良くわからなかったようだがルイズがうまく説明したようだ。

 何を言ったんだろう……。

 一通りの型を通して体を温める。

 ジュークも慣れてはいないだろうが、そう難しいものは無いので俺たちの様子を見て合わせて型をなぞっていた。


 それが終われば試合形式の稽古だ。

 ジュークを入れて四人総当たりでやる。

 フヨウとテッサは見学だ。


 ジュークの最初の相手は俺だ。

 二人で向かい合うとお互いに間合いを計って打ち合う。

 ジュークは最初から自分の背の高さとリーチを活かした打ち込みを行ってきた。

 良い一刀だ。

 師匠の教えを守って愚直に素振りを続けてきたのだろう。

 ただ一太刀でそれが感じ取れた。

 しかし、甘い。

 ルイズや師匠のような化け物を相手に、バンさんたち大人の先輩複数人を相手に、稽古を続けてきた俺を驚かせるには値しない。

 たしかに俺はこの中では弱い方だが、それでも彼らと打ち合って生き残る術を鍛えてきたのだ。

 隙を見せずに守りに徹して攻める路を封じる。

 攻勢に出ているはずなのになぜか苦しくなっていくことに戸惑っているジュークに小さな斬撃を加えていく。

 同じ攻撃のようで歩法を使いわけた俺の攻めに対応できず、後ろに下がったジュークは自身の敗北を悟ったようだった。


「俺の負けだ……」


「一太刀一太刀が良い攻撃だった。今回の敗因はわかる?」


「見当もつかねぇ。タッパも足りねぇ、攻撃すらしてこねぇあんたに打ち込む場所が見つからなかった」


「それで正解。俺が打ち込ませないように立ち回ったんだ。ジュークの攻撃は魔物を相手に鍛えたものなんだろう。人間相手ならもっとずっと丁寧に間合いを計った方が良い。すり足で歩き方を工夫するんだ。ウルフ系の魔物なんかにもこの方法は有効だよ。あいつらは隙をつく攻撃を狙ってくるから」


「確かにあいつらはやりにくいな。さっきのあれはそういうことか」


 ジュークは稽古を自分の経験と照らし合わせていく。

 たった一戦でも学ぶことはあったようだ。

 我流だけでここまで来ただけのことはある。


 しばらく感想戦をしてから、相手を変えてまた立ち会う。

 今度はジュークとカイル、俺とルイズだ。

 この試合、ジュークの結果を見ている余裕はない。

 俺の相手がルイズだからだ。

 この五年間、ルイズは克技館に在籍することで常に王都有数の達人たちと立ち会いを経験し続けてきた。

 その全てを強さへの糧とした今の彼女はこの国全体を見ても勝てる人間が数えるほどしかいない剣豪へと育っている。

 それでもルイズに慢心はない。

 常に彼女には師匠が立ちはだかり、後ろからはカイルが追いすがるからだ。

 そして今、そうして鍛え上げられた一本の剣が俺の前にまっすぐと向けられていた。


 その立ち合いはジュークと俺のものと一見良く似ていた。

 ただし追い詰められるのは俺だ。

 俺にはもはや剣術でルイズに有効打を与える方法はない。

 俺のどのような渾身の一撃にも、ルイズの後の先が勝る。

 二人の差はそこまで開いていた。

 それでも打ちひしがれている間は無い。

 これは日常なのだ。

 持ちうる経験を全て活かしてどれだけ時間を稼げるか。

 それがこの試合の主題だ。


 そうして一瞬を積み重ねた防衛戦の敗北の先、かかった時間以上に疲弊した俺がルイズと試合の採点をしていると、ジュークとカイルの試合も終わったようだった。

 俺に勝てなかったジュークは必然、カイルにも勝てない。

 それでもカイルの感想を聞くに先ほどより良い立ち回りをしたようだった。


 息を整えた俺たちは今日最後の試合に臨む。

 今度の俺にはジュークとルイズの立ち合いを見届けることができた。

 それはカイルとの試合なら俺に余裕があるという意味ではない。

 俺たちの立ち合いが始まる前にジュークが敗れたからだ。

 その様子が俺の位置からはよく見えた。

 ルイズはジュークの最も得意とする初撃の一刀。

 それをそのまま真似た。

 循環も使わない彼女の筋力とバランス感覚からのみ放たれたそれは、遥かにリーチの勝るジュークの振り下ろしをものの見事に断ち切った。

 先に放たれたはずの攻撃はルイズに届くことなく地を叩く。

 一方でルイズの打ち込みはジュークの眉間に触れるか触れないかのところで止まっていた。

 誰が見てもどちらの勝ちかわかる状況だ。

 最も得意とする攻撃を同じ攻撃で破られる。

 この敗北は重い。

 ジュークの心中は察してあまりあるが、俺だってカイルとの立ち合いの最中だ。

 心を乱して勝負ができる相手ではない。

 これまでの試合で最も時間をかけた末にカイルに敗れた俺は、それぞれ気になった点の指摘を手短(てみじか)に終えた。

 これで試合は取り組みが終わったので一度集合だ。


「練習に参加してどうだった?」


「……こんなに差があったんだな。前にさ、あんたたちの師匠に毎日素振りをしろって言われて、その通りやって。自分がどれだけ足りてないか分かったつもりになった。そうしてそれを認めればまだ強くなれるって思ったよ。あれから何年も鍛えて、実戦だってやった。体もでかくなった。これならあの時の子どもくらいとなら戦えるんじゃないかって。そしたらこれだ。俺たちの間にはもう絶対追いつけない開きがあるんだって知った。身の程知らずだったんだな」


 最後のルイズとの戦いがよほどこたえたらしい。

 その気持ちは理解できる。

 慰めの言葉としてではなく事実として。

 彼女と立ち会った同世代の人間は、それまで積み上げたものが大きければ大きい程、同じ絶望を感じてきた。

 ルイズの才能はそれだけのものだ。

 気持ちがわかるからこそかけられる言葉が無い。


 ジュークは後ろに倒れこんで言った。


「俺は怖い。前よりちょっとマシになって一人くらいなら、テッサくらいなら守れるようになったんじゃないかってそう思ってた。それが勘違いだってわかった。お前を守り切れないのが怖いよ。なあ、テッサ。見てただろ。今日は全部負けた。俺はお前が言ってくれるみたいに強くないんだ。お前を守ってやるのに充分じゃないんだよ。それでもお前には才能があるだろう。それがあればみんなに守ってもらえる。なあ、王都に、王都に行ってくれないか……」


 あれから初めてテッサにかけられた言葉はあまりにも悲しい理由で発せられたものだった。

 しかし、彼女の顔には失望と悲観の表情はない。


「……兄ちゃん。私には兄ちゃんが一番だよ。一番強い。あの時寒くてお腹が空いてお腹が空いて、もうお腹が空いたってわからなくなってたときにわたしに声をかけてくれたのは兄ちゃんだけ。それができたのは兄ちゃんだけだったよ。そんなの剣とか関係無いの。一番強くないとできないことなの」


 自分に絶望しても人のことを考えられる。

 そんな人間が弱いわけがない。

 そのことがジュークのことを見続けていたテッサにはわかっていた。

 それにフヨウが続ける。


「テッサがお前を信用しているのは、喧嘩に勝てる強さがあったからじゃないだろう。見ず知らずのこの子を家族と呼んで、その約束を守るために自分の弱さを認めることができる。そういうところだ。この子はお前の知ってるお前の弱さを知らないんじゃない。お前の知らないお前の強さを知っているんだ。だから、こんな風に負けたところを見せたくらいじゃあ揺らいだりしない」


「ねぇ、兄ちゃん。兄ちゃんが自分の剣で足りないと思うなら、私が戦うよ。私戦えるよ、兄ちゃんのためなら。本当は兄ちゃんと離れたくなんてないけど、兄ちゃんが私を家族だって忘れないでくれるなら、私のことを必要だって言ってくれるなら。私が戦う。王都に行ってその方法を勉強する。兄ちゃんが強さを信じられるように。二人で一番強くなれるように」


 その言葉は見当違いのことを言っているようで、ことの本質を突いているいるような気がした。

 二人とも、独りの自分が不安だったのだ。

 ただ、それぞれの立場でその不安と戦っていただけ。


「テッサ……。そうか……、お前は元々俺なんかよりずっと強かったんだな。それがわかっていなかったから俺は」


 二人の結論が出たのだろう。

 だからここからの話は俺たちのための、私欲にまみれた提案だ。


「なあ、ジューク。ひとつ相談があるんだけどさ。良かったら俺たちの仕事を手伝ってくれないか?」


 テッサが魔術院に行くときに、ジュークが一緒に王都で暮らすと言えなかったのにはいくつか理由がある。

 一つは住居費が高いこと。

 王都に住むのはこの大陸で一番金がかかるのだ。

 駆け出し冒険者の収入だと郊外の農家の納屋クラスでもそれなりに出費が痛い。

 そして能力の問題だ。

 王都には世界中から冒険者が集まってくるので、仕事の倍率が高い。

 ただ剣の腕がそこそこ、というレベルだとまともな仕事にありつけない可能性が高い。

 読み書きであったり楽器が弾けるとか何か特技がないと雑用くらいしかありつけないのだ。

 それでは生活費すら怪しくなる。

 後ろ盾の無いジュークに自信が無いのは順当なことだ。

 向こう見ずにやって見せると言わないところはジュークの思慮深さと言える。

 それなら安定した就職先があったらどうだろうか。

 フヨウが橘花香で働いたように職場があったら?


「前にも話したけどさ、俺たちは王都とロムスの間で行商の仕事をしてる。それで剣の腕があって馬車を扱える人間を探してるんだよ」


 馬車の設計が固まれば運行本数を増やしていくつもりだ。

 需要は見込めるので収益を上げるためにも必要な措置だった。

 そのためには信用が出来て旅慣れた強い人材が必要だった。

 ただ強い人間なら募集は簡単だが信用はそうはいかない。

 高速馬車は単価の高い商品を中心に運行するのでこれを軽視するわけにはいかなかった。

 ジュークが信用できる人材かどうかは判断が分かれるところだろうが、これまでの経緯を見ている俺たちは大丈夫だと判断した。


「ずっと滞在ってわけには行かないけど、月に十日くらいは王都での仕事になる。その間は結構時間もとれるから、テッサと会うこともできると思うんだ」


 御者の仕事は往復の間拘束時間が長いので、合間の休みは長めにする予定だ。

 収入もそこそこ保証できると思う。

 俺の話の内容が二人の頭に染み込んでいくのにしばらく時間がかかった。


「……俺なんかでいいのか?」


「もちろん、適正が無さそうだったら雇えないよ。それにいつも王都でテッサの面倒を見るってわけには行かないから希望にあってるかわからないけどね。剣の腕は見せてもらったから、あとは馬の扱いかな」


「テッサ……」


「うん」


「俺、こいつのところで働こうと思う」


「うん」


「今までみたいに一緒にいられないけど。もっとずっと長い間お前と一緒にいたいから。家族だって胸を張りたいから」


「うんっ」


「ちょっと離れる時間が長くなるけどいいか?」


「……うんっ。私も頑張る。いっぱい勉強する。今までだって兄ちゃんと別々の仕事はあったでしょ。それがちょっと長くなるだけだから。だから……」


 こうして、ずっと同じ方向を向いていた二人の仲違いは一応の決着を見せた。


 俺たちが魔術の適正を教えなければこのケンカは無かった。

 俺たちが口を出さなくても二人は仲直りをしただろう。

 でも、この結果は悪くないと思う。

 この結果で良かったと言えるようにしたいと思う。

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