魔女と呼ばれた少女

小暮悠斗

#1

 かつて中世ヨーロッパでは魔女狩りや魔女裁判なるものが行われた。

 魔女の定義は不明だが、人とは異質な存在を否定する。

 自分の物差しで測ることのできるものしか認めない。

 認めたくないのだ。

 逸脱した存在を認めてしまえば、その存在に続く第二の異質・逸脱したものが現われ、それらは次第に勢力を拡大。終いには多数派となり、それまで多数派だった存在が少数派になってしまうかもしれない。

 そうなれば、今まで迫害してきた自分たちが同じ目に遭う。そのように考えるのは自然なことだ。

 人は特別な何かを持った存在を容易には認めない。そのことを教えてくれたのは、僕の生まれ育った村と、「魔女」と呼ばれた一人の女の子だった。


   ***


 僕の生まれ育った村。魔女の村とでも呼ぶことにする。

 魔女の村はかなり辺鄙な場所にあり、わざわざ人が訊ねてくるような場所ではなかった。

 極めて閉鎖的で、村外からやって来る存在を煙たがっていた。

 今になって思い返せば、社会とのかかわり方を知らなかったのだろう。

 当時まだ子どもだった僕が、外の世界を知ることが出来たのはテレビの中だけだった。テレビのチャンネルは民放は三局しかなかった。当時はそれが少ないとは思いもしなかった。世間と隔たれた魔女の村では民放一局で娯楽は充分にまかなえた。

 加えて仲の良い友人にも恵まれた。

 友人は村の大人たちから「魔女」と呼ばれていた。

 僕は彼女の名前を知らない。

 村の大人たちは、彼女の名前を教えてはくれない。それどころか、僕が彼女と逢うことを快く思っていないようだった。

 母は魔女には逢うなと口うるさく言った。

 なんで大人たちが彼女を嫌うのか、僕にはまったく理解できなかった。

 確かに彼女は皆とは違った。目を開かなければ口も利かない。けれどもそれは彼女を否定することにはならない。少なくとも僕の中では些細なことでしかなかった。

 些細な違いなのに大人たちは騒ぎ立てる。

 彼女が大人たちにいったい何をしたというのだ。答えは何もしていない。そんなことは傍から見れば――客観的に見れば分かる事だ。それなのに大人たちは目の前の彼女を見て「気味が悪い」「恐ろしい」「化け物」そして「魔女」と呼ぶ。

 大人たちが彼女に向ける視線は常に脅えを含んでおり、決して視線を合わそうとはしない。

 彼女は目を閉ざしているのだから、視線が合う筈もないのに畏れる。

 目を閉ざし、言葉を口にしないだけで、彼女は普通の女の子なのに。

 彼女は物置蔵のような場所に押し込められていた。

 僕は毎日のように彼女の下へと通った。

 とりとめのない僕の話を彼女は黙って聞いていた。

 僕は彼女の声が聴きたくて色々な話をした。自分の家族の話、友達の話、テレビの話、それらの話すべてに相槌を打ちながら口元を僅かに綻ばせる。

 僕の話はある程度彼女を楽しませた。

 しかしながら、彼女は声を上げて笑うことはない。

 少し不安になり「つまらない?」と訊ねると、大きく頭を振って否定する。

 きっと普通ではない日常を僕と彼女は過ごしていた。そしてその日々はいつまでも続くものだと思っていた。


   ***


 ある日、村に外から人がやってきた。男だった。

 ズボンのポケットに両手を突っ込み、ゆったりとした足取りで値踏みでもするように村の様子を見て回っていた。

 男は、無駄のない引き締まった体躯をしており、頭もきちんと整えられていた。身なりの良さは村の中では一際浮いていた。

 ズボンのポケットから手を抜くと、手には煙草が握られていた。煙草を一本を口にくわえたまま、上着のポケットを探り始める。そして見つけ出したライターで火をつけた。

 煙草を燻らせながら、気怠そうに地面にしゃがみ込んだ。

 すると男と視線が合った。

 村に外から人がやってくることなんて滅多にないから物珍しかったのか、僕は男に近づき「なにしにきたの?」と在り来たりな問いをした。

 男は煙草を口から離して、


「魔女の調査」


 口の端を歪めながら言った。

 不快な笑みだと思った。寒くもないのに鳥肌が一斉に立った。

 踵を地面から離すことなく、一歩後退した。


「冗談だよ」


 笑う男の言葉を信じることは出来なかった。

 だってこの村には「魔女」と呼ばれる彼女がいるのだから。

 魔女狩りという言葉は聞いたことが無かったが、言葉の響きから楽しいことでない事だけは分かった。

 だから僕は男から逃げるようにその場を立ち去った。


 僕は彼女が心配になって彼女の下へと向かった。

 ところが彼女の下へと向かう道中、僕は母に呼び止められた。

 母は僕の手をつかんで離さない。

 けれども僕は彼女に逢うという一心でその手を振り払う。

 振り払って駆け出してもすぐに捕まってしまう。そして先程以上の力で腕を掴む。

 腕にはくっきりと母の手の痕が残る。

 痛いと叫ぶと母は、自分が掴んでいる息子の腕を見て、自分が付けた痕に驚き力を緩める。その隙に腕を振りひどいて、石垣を飛び越える。大人は子供には出来ないことが出来る。その反対に子どもができることが不得手だ。

 母が石垣を飛び越えられないであろうことは予測できた。

 案の定、母は石垣を飛び越えようと試みて諦め、大きく迂回して追跡を再開する。

 懸命に腕を振って走る。

 途中何度か転んだが、既に痛覚はその機能を放棄していた。膝が擦り剥け、赤い血液が脚を伝ってゆく。伝った血液は靴下に堰き止められて赤い染みを作る。

 走っているうちに血液は固まり、足を動かすたびにパラパラと粉々になった血液が宙に舞った。

 人だかりができている。

 大人たちは彼女を取り囲むようにして、各々好き勝手に喚いていた。

 その中心には彼女と先程の男とが居た。


「やっぱり君はこの子の友達だったんだね」


 口の端を歪めた男の口から歯が覗く。煙草のヤニで黄色く染まった歯は、男の不気味さに拍車をかけていた。


「先生。早くこの子の呪いを解いてくだせぇ」

「おねげぇします」

「そんなに脅えなくても大丈夫ですよ。呪いだなんて有り得ませんよ。僕はそのことを証明をするためにこの子を探してたんです」

「この子は本当に呪われてるんだ! 今は目を閉ざしているが、この子は目が見えないわけじゃねぇ、喋ることだってできる。ただこの子と目が合った者、口を利いた者は死ぬ。それは確かだ!」


 先生と呼ばれた男は彼女を一瞥して「魔女なんていない」と断言した。


「呪いなんてものがあるなら、ぜひとも私にかけてもらいたいものだね」


 男が迷信だと鼻で笑った瞬間――。


「魔女がぁあああああああ――!?」


 彼女の目が開いた。

 大人たちは我を忘れたように発狂している。

 初めてみた彼女の瞳は澄んでいて、大人たちの穢れを目にしないために今まで彼女の目は閉じられていたのではないかと僕は思った。

 狂乱の坩堝るつぼの中、彼女が口を開く。


「……――」


 彼女の声は、大人たちのけたたましい叫びによってかき消さた。

 彼女の声を聞くことは叶わなかった。

 僕はその場から脱兎の如く逃げ出した。


 ――直後。


 視界が揺れた。

 僕は振り返る。

 物置蔵が倒壊。集まっていた大人たちは皆その下敷きに、そして彼女も一緒に下敷きになった。


 彼女は呪われてなどいない。

 最後に彼女は確かに言った。


「逃げて」と。


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