XXXⅨ.倉間麗奈の仕事⑥-Ⅰ

「なんつったか? そのグループのリーダー」


「だから久世、久世翼っすよ、正木さん。あんの悪ガキ、しょっ引く度に署内の婦警ナンパすんだもんなぁ。このあいだなんか俺に捕まって逆に喜んでやがった」


 正木は署へ出勤すると普段の日課として自販機で購入した缶コーヒーを片手に、一階にある喫煙所へ赴いた。


 年々喫煙者への風当たりが厳しくなる世の中で、それは警察官においても例外ではないらしく、来年には室内の喫煙所が廃止され行き場を失う灰皿は、終には署の外へ追いやられることになるらしい。


 こうして室内のベンチに腰掛けながら一服できる喜びを噛みしめていたところ、喫煙室へ入って来た後輩の佐伯さえきと出くわした。


 石川県警の交通指導課に所属する佐伯は28と若いながらも署内での人望は厚く、だがそれは彼の仕事における成果というよりもその人柄によるところが大きかった。こと職務においては彼自身の軽率な言動や判断が時に失敗を招くことも珍しくなく、しかしそんな彼の性質を正木は嫌いになれなかった。「憎めない奴」とはこのような男のことを言うのだと正木は思っていた。職場の中において気遣い抜きでそれこそ男友達のように接することのできる数少ない同僚でもある。


「おもしれーやつじゃねぇか」


「ジョーダンじゃないすよー。正木さん、他人事だから言えるっすよぉ……。まったく懲りるってことを知らねぇ。ほんと、いつか泣きながら詫び入れさせてやる」


 そう言うと佐伯は狭い室内の壁に貼られた禁煙を勧めるポスターへ向かって勢いよく煙を吹き付ける。


 佐伯の所属する交通指導課は、少年たちによる道路上の迷惑行為、すなわち暴走族のような集団への対処も主な職務に含まれる。


 佐伯たちが管轄するこの地は他の酷い地域に比べるとまだマシな方とはいえ、特に手を焼く集団がいるらしかった。最近はそのグループへの愚痴が多い。この佐伯をここまで往生させる少年ならそれはそれで大したものだと感じながらも、正木は労いを込めて佐伯の肩をポンと叩く。


「つってもなぁー、確かにうちの署、わりと美人多いからなぁ」


「その点には同意っす。警察学校時代は警察官ってもっと男臭い仕事場だと思ってたっすからラッキーでしたわ。やっぱり男たるもの、それがどんな仕事であれ職場に華がねーとイケない。どうしても士気に関わるってもんっす」


「まあな、違いない。――っと、言ってるそばから早速麗しき我が署の華が一輪、お出ましだぞ」


 正木は喫煙室の扉のガラス窓の先にとある人物を見つけ、トントンと扉をノックしその人物へ合図を送る。


 その音にやや遅れ気味の反応速度で気付き、正木が呼び止めた相手、倉間は喫煙所へ入った。


 相変わらずびしっとしたパンツスーツ姿の出で立ちで、姿勢も特段普段とは変化ないが、心なしかその表情には疲労の色が伺えた。目元も薄っすらと隈が浮いている。緩慢な動作でベンチに腰掛けると倉間は手にしていたミネラルウォーターに口を付けた。


「倉間、終わったのか?」


「ええ……、一通りは、とりあえず」


「そうか、当番明けお疲れさん」


 倉間や正木のような刑事は、普段の勤務時間は交番勤務と違い、会社務めのような概ね決まった終業時刻の中で職務をこなす。だが、週に一度程度は当番勤務があり、夜通し職務に従事する必要があるのだ。当然、規定により途中に十分な休憩と仮眠の時間が与えられているのだが、倉間の様子からその時間が有効活用されていないことは明白であった。


「それはそうと、言ってるだろ? 当番中はしっかり仮眠とっておけって」


「眠くならないんです、仕事中は」


「お前なぁ……」


「そっすよー、美人が台無しっすよ? 倉間先輩は我が署の華なんすから」


「…………。佐伯くん、いたの?」


「いたっすよっ! ずっとぉ! ってか先輩、その眠たそうな顔で『何でいるの?』的な目付きするのやめて頂けます? 先輩普段から目付きキツイんすから、余計に本気っぽくて地味に傷付くっすよぉ」


「正木さん、例の取り調べの件ですが――」


「おう、どんな感じだ?」


 倉間は当番勤務の最後の仕事として、本日早朝に例の未成年少女を欲望を満たす商品として大人たちに斡旋していた大元の被疑者を逮捕し、先程最初の取り調べを終えたところであった。「ついに無視っすかぁー!」と項垂れる佐伯を横目に正木は倉間に先を促す。


「子供ですね」


 まずはそう一言、吐き捨てるようにして言葉を区切る。


「被疑者の歳は正木さんも知っての通りですが、思考回路は子供も同然でした。はっきり言って幼稚です。ホントにもう、要領を得ない取り調べ程ストレスが溜まるものはありません」


 被疑者は30歳無職の男で、外見は年相応の大人であったが、話し方を含めその所作の端々からは、まともな社会経験を送っているとは評し難いと言わざるを得ないものが常に垣間見えていた。その実、その男は定職に就いたことがなく、ネットを利用した様々な方法で僅かな収入を得る他、その歳にもなって未だに両親から毎月一定の仕送りを受けて生計を立てていたことがわかっている。


「そいつはまた、ご苦労だったな」


 普段からポーカーフェイスを貫く倉間にしては珍しい愚痴交じりの言葉に、夜勤明けの疲労がそうさせているのだろうと正木は結論付ける。


「で、動機は?」


「〝単純な金儲け〟と、あとは〝復讐〟、だそうです」


「復讐?」


「ええ、被疑者の経歴は中卒で高校へは進学していないのですが、中学の頃にクラスでイジメにあっていた過去があったらしいです。イジメている側の生徒は男子だけでなく女子も一緒になって、だとか。その当時の屈辱が今もなお彼の中に根強く残っていて、そんな中例のアングラサイトに出会い、女子中学生を利用して金儲けをしてやろうと始めたのがキッカケだったようです。最初は心神喪失でも装おうとしたのか、迷える少女たちの為に〝異世界という未知への扉を開いてあげていた〟というわけのわからない言い草でしたが、問い詰めていくうちに事件内容的に無理があるとわかったのか、観念してからは比較的素直になりました。まあ、ここまで聞き出すのに無駄な時間が掛かったのに変わりありませんが」


 殺人のような犯罪と違って継続的に営利目的の犯罪に手を染めていたのだから心神喪失を主張するのは確かに無理がある。故にそこを突くのは容易かった。


「そりゃぁ、余計に疲れるのも無理はねぇわな。まあでも、そいつの動機辺りは普通の感覚の持ち主で何よりだな。ま、理解は、到底できねーが。犯罪者は俺ら一般人と感覚が遠ければ遠いほど厄介なことになる」


 犯罪を犯す者の中には正木たち常人の常識では推し量れない思考や心情で以て事を起こす輩もいる。正木は刑事という仕事の中でそれを嫌という程経験してきた。


 それらに比べればその被疑者の主張する動機は正木の想像の範囲から逸脱しないとという点において、「普通」と言って差し支えなかった。


「俺が今担当してる殺しの被疑者がそいつとおんなじことのたまった日にゃあ、俺ぁそいつを本当に異世界送りにしちまいそうだ」


「それを言うなら地獄送りっすよ」


 二人の会話を黙って聞いていた佐伯はそう口を挟んだ。


「でもあとは残党狩りだろ?」


「ええ、今回の主犯格のPC履歴や通話履歴から判明したものに関しては既に後藤と佐々木が指揮を執って動いています」


「これでようやく一件落着だな」


「ええ、概ねは。しかしそうも上手くはいかないようです。むしろその残党の方が問題でして」


「どういうことだ?」


 正木は二本目のタバコに火を付けながら問う。


「今回の被疑者は確かに幼稚でした。ですが、その残党の中に少しばかり頭の切れる者がいたらしく、被疑者に対して逆に別の方法での取引を持ち掛けていたようです」


「ほう」


 そう相槌を打つ正木であったが、意味を掴みかねている様子だ。特に言及せず倉間の言葉の先を待つ。


「検索エンジン等で皆さんが普段普通に使用している某大手のポータルサイト、そのサイトに会員登録をするとフリーのメールが使用できるのですが、その会員情報を取引する二人のあいだで共有し、メールの下書き機能を使用してやり取りを行っていたようです。一方が下書きに書いた文面は送信することなく、もう一方が同じIDでログインして確認、その後消してしまえば履歴も残りません」


「ぽーたるさいと、って何だ?」


「…………」


 残念ながら、正木にとっては「普段普通に使用している」ものではなかった。


「正木さぁん。ダメっすよぉ今時インターネットのことくらい少しは勉強しておかないとぉ。捜査って口実でお姉ちゃんのいる店ばっか行ってるからー」


「うっせぇ!」


 説明に困っている倉間をよそに、正木は茶化す佐伯に向かって一喝した。


「おい倉間、気にしないで続けろ」


「はい、そして面倒なことに、そこで学んだ方法を今度はまた別の取引相手に対しても使用していたとのこと。まったくもって飽きれたものです。彼は単なる受け売りにも関わらず、声高らかに、それこそ武勇伝でも聞かせるように説明してくれましたよ。アメリカ合衆国ではFBIの目を逃れる為に大統領がやっていた方法だというふうに。真偽のほどは、わかりかねますが」


 当然、そのアカウントの下書きは全て削除済みであり、現状被疑者の供述だけが手掛かりとなるが、その方法で取引をした人間の数は被疑者の口から出た者だけで少なくとも三名はいることになる。


「これからその大手ポータルサイトを運営する国内企業に問い合わせて過去の保存記録およびログイン記録の開示を請求する運びとなるところですが、わたし自身も専門外ですので、それですんなりと行くのかどうか……現状何とも判断しかねます」


「そうか、俺はもう何も言えん。まあ、とりあえずだな倉間、今日はしっかり休め」


 正木は倉間の説明を理解しようと努めたが、やはり無理であったようだ。とうとう開き直ってそう締め括りの言葉送った。


「ええ、そうさせて頂きます」


 そこでようやく倉間は重い腰を上げた。


「倉間先輩! 大丈夫っすよ! 先輩なら無事事件解決できるっす! 子供たちの安全を守ることが我々警察官の使命でもあるっすから! 先輩は子供たちからすれば〝正義のミカタ〟なんすから自信持ってくださいよ!」


 喫煙室を出ようとする倉間の背中に佐伯はそう声援を送る。


「佐伯くん…………」


 そこでようやく倉間は佐伯と目を合わせる。佐伯はようやく倉間という人間と気持ちが通じ合えた気がして、キリと表情を固くした。


「まだいたの?」


「だからいるっすよぉー!! 何なんすか? そのしきりに俺の存在消してるやつー。 邪魔っすか? お邪魔でしたか!?」


 「じゃああとは若いお二人でごゆっくり!」と三人の中で一番若い佐伯は、何故か目元に涙を溜めながら倉間を追い抜く形で喫煙所を飛び出して行った。


「倉間」


「何です?」


「電車、寝過ごすなよ」


「子供じゃないんですから……、やめてください」


 そう言って、倉間も続いて喫煙所を後にした。

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