XXXII .思わぬ手掛かり
異世界召喚の術式に必要な魔術的触媒も残すところあと一つとなったところで、メアとその下僕たちによる捜索は停滞を余儀なくされていた。
理由は明白であり、最後に残った「飛竜の翼」という魔術的触媒の手掛かりが全くといっていい程ないのだ。ユウリはあれからも魔術師の手記の解読を進めているが、明確な回答は出ずにいた。
ここ一週間は二度程集まったが、いずれも活動内容は専ら時緒の宿題の手伝い(時緒自身は今までにない程の抵抗を見せたが、)に留まった。今はユウリが糸口を見出すのを待つ他ない。
時緒は当然の如くもどかしさを露わにしているが、メア自身は束の間のこの休息を無駄にしては勿体ないと、予定のない日は自室の本棚にコレクションしている教養本で息抜きを試みたりもした。だが、ただただ活字を追う作業を自身に強いているだけで、あまり有意義であるとは言えなかった。
それは例えば、毒のようなものだ。
ふと、いつかの己の持論が頭を過った。
一分一秒たりとも同じではいられない。
もう既にメアという人間の本質が、変わってしまったのかもしれない。
そうならない為の特効薬は、常に意識すること。
この世界で石川メアという個を揺ぎ無く確立する為には、そうする他ない。
そこまで思い返し、ふと我に返った。
急に現実に引き上げられた意識に、お経のような数学教師の言葉が入る。開かれた自身のノートを見ると、解きかけの連立方程式が途中でミミズのような尾を引いていた。
忙しなく筆のぶつかる音が耳に入り、何となしに右横に目を遣ると、自称魔術師の少女が必死になって板書をノートに書き留めている。
わたしは一体、何をやっている。メアは考える。
これまではある意味下僕たちの勢いに飲まれていただけと言い訳できるかもしれないが、こうして時間に余裕のできた今、改めて考えると、回答に困ってしまう。
わたしは一体、どうしたい。メアは考える。
この少女を、異世界から来た正義の魔術師と頑なに言い張る彼女を、彼女が主張する異世界召喚の魔術を、異世界召喚を願う時緒を、燐華を。確かに先の出来事もあり、この傍らの少女を〝普通ではない〟と認めるに至ったが、だからどうだというのだ。依然として自分が馬鹿馬鹿しい活動に付き合わされていることに変わりはない。
わたしは一体、どうしていた。メアは考える。
このまいけば間違いなくこの活動もここで諦めることになるのだろうが、もし仮に、順調に事が進んでいたら、どうするつもりだったのだろう。それがメア自身、一番想像し難い。
常に自分が正しいと信じて疑わず、間違いは犯さない。常に条理を尽くして行動を。それを自負して今まで生きてきた。なのに今のメアにはわからないことだらけであった。そしてそれが最近は普通のことになってしまっているのが不可解であった。
こんなことをしている場合では、考えている場合ではない筈なのに。
これからの将来の為、機先を制する為、メアにはやらなければならないことが山の如くある。こんなところで躓いていては支配者として一分が立たない。
ふと、黒板の隅に白のチョークで書かれた日付を眺める。
四月は早くも終わりを告げ、既に5月6日。
これ以上無駄なことに浪費して良い時間はメアにはなかった。
常に意識すること。
そう、意識を切らしてはいけない。わたしはわたし。目的を見失うな。
「今日は6日だから……出席番号6番、えっと、石川」
「……え?」
数学教師から名を呼ばれ、再び我に返る。
「何してる。ほら、黒板に答え書いて」
「えっと……あの……」
しどろもどろになるメアの様子に、指名した高齢の男性教師は怪訝そうに老眼鏡を直し、額のシワを深くした。
僅かのあいだとはいえ、授業に参加することを忘れ、考え事に耽っていたメアは当然の如く教師が回答を促す計算問題を解いていない。教師がチョークの端で示すのは、メアにとってなんてことのない問。だが、さすがのメアでも一瞬のうちに回答を導き出すことはできない。
中学校生活初めての失態であった。
「その…………」
中々立ち上がろうとしないメアの姿に、微かに教室が騒めく。当然だ、教室においてでしゃばりな気質が疎まれがちなメアという人間だが、常に大言を撒くだけあって一応はそれなりの実力も伴っている。それが共通認識としてクラスメイトに知られているだけに、今のメアの様子は周りからすると至極妙であった。
心臓の鼓動が徐々に大きくなり、その振動で机を揺らしてしまうのではと錯覚する。
「メアさん」
微かに聞こえた方へ目を遣ると、ユウリが折り畳んだノートの切れ端を手に、何やら視線で合図するようにしている。
まさかメアという人間がこのような少女に助けを乞うのか。メアの鼓動は一層激しく高鳴る。
だがこれ以上考えている時間はない。瞬時に、クラス中に醜態を晒すことと、ユウリ一人に対し甘んじて屈辱を味わうこと、その両者を天秤にかけ、メアは苦渋の思いで後者を選択する。
幸い席は一番後ろ、周りから見えないように後ろ手でユウリからノートの切れ端を受け取ると、それを自身のノートに隠しながら黒板に向かい、何とかその場をしのぐことができた。
「メアさん、珍しいですね。どうかしたのですか?」
「何でもないわよ」
授業が終わり昼休み、メアはまともにユウリの顔を見ることができず、掛けられた声に不機嫌そうな言葉を返す。
だが、ユウリのお陰で助かったのも事実だ。もしアレがなければ、今頃どうなっていたか、考えるだけでも汗顔の至りである。よりにもよってこの少女に助けられたことはメアにとって一生の汚点だが、それでも……、
「ねぇ、その……」
拒絶の言葉を受け、自身の席へ付こうとするユウリを呼び止める。
「はい?」
「あの……だから、その……」
だが、言葉が出ない。素直に伝えるのは癪だ。感謝の意を多少の威厳を織り交ぜながら伝えるにはどうしたら良いのか、メアは必死に言葉を探すが、
「例の魔術の材料の件、進展はあるの?」
ついに出たのは、結局誤魔化しの言葉であった。
「いえ……、わたしなりに手記を読み解き、わたしの持つ知識と合わせ、一応は方向性というものを掴みかけてはいるのですが……」
「そう」
特に聞きたい内容でもなかったので、メアは早々に話を切り上げる。
教室内は既に各々が昼食を広げ、賑わっている。ユウリのことをパシリにしようとする御崎一派の残党はもういなくなっていた。
当の御崎はというと相変わらず短いスカートも厭わず机に脚を組みながら腰掛け、囲うように周りにわらわらと集まる子分たちに向かって、声高らかに武勇伝を聞かせている。
聞こえてくる内容は「大学生の彼氏がカッコいい」だの、「大人の男に言い寄られてウザい」だのという、中学生らしからぬ恋愛話のようだ。
十二分にくだらないと吐き捨てていい内容だが、御崎が年上を恋愛対象としているところ、そこだけはメアにも共感できた。同年代の男は子供過ぎる。それにもし仮に御崎が同年代の男子に興味を持つ女であったならば、ユウリに対する当て付けはこの程度では済まなかったであろう。と、今度は髪型を変えてから事ある毎にユウリへ視線を送るユウリ派という新派の男子数名を睥睨するように一望した。
「さて、お昼にしましょうか。師匠?」
クラスメイトの様子を眺めていたメアの隣で、ユウリは自身の胸元にそう声を掛ける。だが、胸元の不自然なふくらみからは一切の返答がない。ユウリは繰り返し「師匠」と呼ぶが、ピクリとも動く気配がない。
「そういえば、あんたのネズミ師匠、最近顔出さないわね」
「そうなんです。わたしが任務を放棄すると宣言したからか、怒って拗ねてしまったようです。最近はこうして籠ってばかりで」
そう言うと、ユウリはブラウスの胸ポケットをまさぐり、嫌がるネズミの尾をつまみながら引っ張り出した。ネズミはじたばたとユウリの手の中で暴れている。
「ほら、師匠、ご飯の時間ですよ。大人しくしてください」
ユウリはネズミを床に置くと、昼食用に買ってあったメロンパンをひとかけらちぎり、ぽとりとネズミの前へ落とした。
「まったく、聞き分けのない師匠ですね。そんな悪い師匠はほら、そこで這いつくばって汚らしく食べなさい」
変わらず無表情のユウリの目が、この時ばかりはゴミを見るそれであった。
「あんた、ホントは師匠のこと嫌いでしょ。ってか、普段と口調変わってるし」
「そんなことないですよ? 仲良しです。ね? 師匠」
ネズミ師匠はいつものようにチチチとは返事をせず、両手でメロンパンのかけらを掴みながらプイっとそっぽを向いた。
「おや? 何です? その反抗的な態度は。何かご不満ですか? それともご飯、いらなかったですか?」
「石川さーん?」
午後の残りの授業も消化し、鞄に教科書を仕舞っていると、傍らでメアの名を呼ぶ声。明らかにユウリのものではなく、妙に甘ったるい猫なで声。その声の主は確認せずともメアにはすぐにわかった。
「何よ、クラス委員の仕事は手伝わない方が良いんでしょ」
メアは声のした方へ視線を動かすことなく、そう答える。教科書を仕舞う手も一切休めようとしない。
「違うよぉ。確かに〝手伝い〟の件はわたしがあんなこと言った手前とはいえ、今回の石川さんには少し驚いたけれど……それとは別なの」
クラス委員の円子瞳はそう言いながら、頑なに自分を見ようとしないメアの視界に無理矢理一冊の古い冊子らしきものを差し入れた。
「だから何よ!」
急に視界を塞がれたメアはその冊子を乱暴にぶんどると、円子を睨みつける。
「あっ、やっとこっち見てくれた」
その様子を面白がるように、円子は挑発するような笑みを返す。
メアが対抗することを諦め手元の冊子を見ると、それはK中学校が毎年この時期に催す文化祭のしおりであった。古くなってすっかりよれてしまっている表紙の年度表記を確認すると、三年前のものであるようだ。
「何なの? これ」
「それは参考資料。他にもいくつか別の年のがあるけど適当に配ってるの。ほら、このあいだの話し合いでうちのクラスの出し物、バーにきまったでしょ?」
「バー? わたしたち未成年よ? 馬鹿なの?」
「あら、やっぱり何も聞いてなかったのね。ま、確かにそんな感じだったけど」
円子には珍しく毒気が抜かれたように、溜息混じりの呆れ声で言った。
「出す飲み物は全部ジュース。皆で混ぜるレシピを決めて、それっぽい内装の中でそれっぽい服装して、それっぽくシェーカーを振る。そう最終決定したでしょ?」
円子は説明しながら可愛らしく腰をくねらせ、バーテンダーの仕草を真似る。
話し合いの最中ずっと上の空であったメアには全く記憶がなかった。
「それで? わたしに何をしろって? 助けがいらないんなら勝手にやんなさいよ」
「だーかーらー、そうじゃないって言ってるでしょ? これは皆に、等しく、平等に、同様に、お願いしてるのー。クラス委員としての助けはいらないって言ったけど、最低限クラスメイトとしての参加はして欲しいなぁー」
円子はあざとく頬を膨らませながら徐に一度メアの手に渡した冊子を取り上げると、パラパラと捲りながら特定のページを示しては指で順々いくつかを指すようにした。それらは当時の文化祭における各教室の装飾を写した写真のようだ。出し物の簡単な紹介文に添えられるそれらは、中学生からしてみれば中々に凝っているものが多い。
「うちの学校、二年生からこういう教室の出し物をやるのが恒例なんだけど、結構すごいでしょ? わたし自身としては、何事もなく行事が終わってくれればそれで良いんだけれど、あまりクォリティが低いとクラスをまとめるわたしがサボってるって思われちゃうじゃない? 贅沢言うつもりはないけど、せめて及第点くらいは目指したいのよねぇ」
行事に対する冷めた言葉とは裏腹に、人差し指を顎に付けながら上目遣いで首を傾げるその様子は、やはり
「だから今のうちからみんなにコレ配ってアイディア募ってるの!」
その言葉はあくまでも表向きの名目で、真の目的がクラスメイトに恥をかかない最低限のクォリティをそれとなく意識させる為の施策であることが伺えた。
「ただでさえ御崎さんみたいな人もいるのに石川さんまでそうだと、ほら、わたしのクラス委員としての面目がなくなるじゃない? だから、外面のカタチだけでも一致団結みんな手を取り合って仲良く、お願いね!」
終始明るい笑みを絶やさず、しかし、御崎に対する言及の時だけはしっかりと周りに聞かれないように声を潜めることを忘れない。最後に「能登さんもお願いね!」と、ユウリに向かってウインクをすると、そのまま小走りで去って行った。
「別に……もう……、どーでもいいし……」
言いながらメアは何となしに再度古いしおりを捲る。
「メアさん!」
一緒になってその様子を眺めていたユウリが急に声を上げた。
「ちょ、ちょっとぉ!」
抗議の声も構わず、ユウリはメアが持ったままのしおりのページを次々に捲る。
「ありました」
そしてとあるページで手を止めると、一つの写真を指差す。
そのページは各クラスではなく、各部活による催し物の紹介コーナー。ユウリが指差すのは美術部の出し物、美術室を使った作品展示であった。お世辞にも解像度が高いとは言えない印刷写真の中で一際異彩を放つ作品が映り込んでいる。
美術室の黒板全面を使用し張り付けられた巨大な紙に描かれるは、一筋に天へと伸びる巨大な龍。
絵のタッチこそ通常墨で描かれるような日本画に近いが、黒、赤、青、金、銀といった様々な色が、混ざり合い、時にせめぎ合いながら大胆に描かれるその龍は、まるで先の割れた筆で乱暴に殴りつけたかのように全身がばさばさと毛羽立っている。しかしその荒々しさとは裏腹に、そのすべての要素が計算し尽くされたかのように無駄なく終結し、一つの、いや、一匹の龍を形作っていた。筆の先が掠った線、その一つひとつにおいて偶然はあり得ず、その全てが、それこそが完璧だとさえ見る者に思わせる力があった。
まるで生きているかのようであった。もし仮に瞬間だけを切り取った写真という閉ざされた世界でなければ、きっとこの龍は劈く咆哮と共に黒板を突き抜けて、そのまま天へと昇るのだろう。そう錯覚できてしまう程に。
「メアさん、これです」
その〝翼の無い〟龍を見ながら、ユウリは真剣な表情でそう呟いた。
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今後の展開の検討に伴い一部設定を変更致しました。
死を呼び寄せる呪いの掛け軸 → 死を呼び寄せる呪いの絵画
(出:Ⅲ.石川メアと愉快な下僕達、XVII.倉間麗奈の仕事③)
月食の日時 5月5日 → 5月26日
(出:XVIII.悪と正義)
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