XXX.マンドラゴラの根

「二日連続であんたの下着を買いに行くって、一体どうなってるのよ」


 駅前までの道中、メアはしきりに不満を漏らしていた。だが当のユウリは何がいけなかったのか、いまいち腑に落ちていない様子である。


「そもそもよく、あんたのサイズでこんな形の下着があったわね。買う方も買う方だけど、売る方も売る方だわ。ったく、この世界はどうなってるの? 滅ぶの?」


 果てはその不満の矛先が世界そのものにまで拡大した。


「そんなにいけませんでしょうか……。この世界の文化基準を満たしつつ、身体の圧迫による違和感を最小限に抑える、我ながら一石二鳥、最良の選択だと思ったのですが」


「中学生がそんな下着付けることが文化基準満たしてるって? 寝言言わないで。むしろ違和感しかないわよ」


 期待していたものとはかけ離れたメアの評価に、ユウリは少し残念そうに視線を落とした。


「そもそも下着とは、何の意味があるのでしょうか? 比較的温暖な気候ですし……、特にこのブラジャーというものの有用性が見出せません」


「はあ? それは……あれよ、女性の大事なところを保護してるのよ。とにかく付けるのが常識なの、わかった?」


 メア自身も改めて問われると一瞬説明に戸惑ってしまい、曖昧な理屈を返す。


「メアさんも……、付けているのですか?」


 ユウリはメアの胸の辺りに視線を遣り、あからさまに訝しげな表情をした。


「当り前でしょ! どういうつもりでその質問してるのかしら? 場合によっては許さないわよ?」


「ねぇねぇ」


 メアが拳を作り、猫のようにふーっふーっとユウリを威嚇していると、傍らの時緒がメアのブラウスの裾を引っ張った。


「ねぇねぇ、おパンツ穿き替えるってことは今穿いてるのは脱いじゃうんだよね? ねぇねぇ、脱いだおパンツはどうするの? ねぇねぇ」


「うっさいわね! ここでは脱がせないし、少なくともどう転んでもあんたの好きにはさせないわよ! ――――って、え、何その顔? なんで不思議そうな顔してんの? どうして自分が好きにできると思ったの? わたしにはそれが不思議だわ」





 昨日と同じく、デパートの四階へ行きユウリの下着を購入(例によって代金はメアが負担)、その足でデパートの女子トイレに入りユウリの下着を穿き替えさせると、一同は一階の生鮮売り場へ赴いた。


 ユウリの下着購入は二度目の為サイズに迷うことはなく、前回ほど時間は掛からなかった。


 野菜コーナーに差し掛かるとすぐに目的のにんじんの山が目に入る。


 田舎とはいえ一応は大型デパートを銘打っているだけあって、袋詰めのものからバラのものまで、にんじんだけでもかなりの量があった。


 しかし、その大量のにんじんを前に四人は立ち止まり、誰もが動こうとしない。橙色のピラミッドを前に、一同呆然と立ち尽くしてしまう。それは、その一本一本を確認して周る作業が間違いなく徒労に終わる、そのことが誰の目にも明白であったからだ。


「何で気が付かなかったんだろ……」


 わざわざ確認に来るまでもなかった。メア自身、普段から料理をするわけではないのだが、それでも常識として知っている筈であった。いくら熱心に探そうとも、この中にユウリの主張する〝マンドラゴラに該当するにんじんがない〟ことを。


 それこそユウリに至ってはまだこの世界の常識というものを身に付けていないので、他の三人が立ち止まったのにただ同調してしまっているだけかもしれないが、メアは勿論のこと、燐華や時緒でさえ、その事実に気が付いた様子であった。


「全部〝真っすぐ〟……だね」


 燐華がメアの方を伺うように呟く。


 そう、大きさに多少の誤差はあれど、こういったお店に並ぶにんじんは大抵どれも似たり寄ったりな形をしている。歪なものは一つとしてない。


「ええ、ダメね」


 時緒は未だ無言だ。確認しなくとも時緒がどのような表情をしているか、メアには容易に想像できた。あとはどうかその口が面倒な一言を繰り出さないことを願うばかりだ。


「時緒、今日のところは諦めましょ、ね?」


 痺れを切らしたメアがそう窘めるように言いながら、特に理由もなく売り場のにんじんの一本に手を伸ばすが、その手はにんじんではない〝何か〟にぶつかった。


「ああ、ごめんね」


 不意に掛けられたその謝罪の声に、たまたま同じにんじんを取ろうとした他人とぶつかってしまったのだと気付き、慌てて視線をそちらに遣ると、そこにはメアの良く見知った人物が立っていた。


「せっ! 先生!」


 その相手は、メアが時折理科準備室へ会いに行くK中学の理科教師、西連寺であった。


「ああぁ、わぁっ!」


 意表を突かれ態勢を崩したメアを、咄嗟に西連寺がにんじんから放したその手で支えるようにする。


「ああああの、その、ありがとう……ございます……」


 目の前には好意を寄せる異性、しかし傍らには絶対に一緒にいるところを見られてはならなかった下僕の衆。まさしく天国と地獄との狭間でメアの思考は激浪の如く荒れ狂った。本屋で偶然の一冊を二人同時に手に取ってしまうような運命的状況に胸がキュンと高鳴りつつも、一方はそのシチュエーションを根こそぎぶち壊さんとする事象。相半ばする感情にメアの脳内キャパシティは一気に限界を迎える。


「ああ、誰かと思えば、石川さんじゃない。どうしたの? お遣いか何か? ああでも確か石川さんは寮だよね。もしかして、石川さんって料理するの?」


「あ? え? ええっと……ハイ……」


 まともな思考力を失ったメアには当然の如くこの場を取り繕う妙案が浮かぶわけもなく、咄嗟にそう肯定してしまう。混乱の最中でありながら、僅かにだが、少しでも家庭的な女に見られたいという下心も織り交ぜられていた。


「えー違うよー。マンドラゴラ探してるんだよー。魔術の――むむっー!」


 そうとは知らない時緒は正直に反論を口にするが、すぐさまメアにその口を塞がれる。


「ええっと、そっちの子もうちの学校だよね? あとの二人は……D学園の生徒さんかな?」


 西連寺はメアと同じ制服姿のユウリを確認し、次いで順々に、他校の制服に身を包む燐華と時緒へ目を向ける。


「石川さん、意外だね。昼休みとかよく僕のところ来るから……その、少し心配だったんだけど」


「違います! こいつらは友達なんかじゃありません!」


「え? ああ、そうなの……はは」


 必死で否定を口にするメアの勢いに西連寺はたじろいでしまい、反論の言葉の意図をよく理解していないながらも誤魔化すように笑みを浮かべた。


「ところで先生は……」


 そう尋ねながら西連寺の持つ買い物かごの中身を確認すると、既にジャガイモと特売品シールの貼られた牛肉が入れられている。


「先生こそ、料理するんですか?」


「まあね。味付けだけは割と得意なんだ。一応理科教師だからね、調味料の分量を図るのはお手のものさ」


 材料からいってカレーだろうか、肉じゃがだろうか、メアは予想しながら意外にも家庭的な男性教師の一面に再びキュンとなる。メアの心情を知らない西連寺は、教え子に私生活を垣間見られてしまい、照れくさそうにはにかんだ。


「理科の先生!」


 急な時緒の一声がメアの脳内に咲き乱れた色鮮やかな花弁を散らした。急に現実に戻されたメアは西連寺にわからないように時緒を睨み、無言で「余計なことを言うな」と念を送る。だが、時緒にとっての最優先事項である事柄だけに止まらない。


「あのね、わたしたちマンドラゴラ探してるんだけど、理科の先生なら知らない?」


「え? ん? マンドラゴラ?」


「こんなのです」


 困惑する西連寺に今度はユウリが鞄からタブレット型PCを取り出し、先程秘密基地で見せたにんじんの画像を開く。メアは時緒に向けていた「余計なことを言うな」の視線を今度はそのままユウリに向ける。


「うーん……」


 西連寺は軽く足を折り、ユウリのかざす液晶画面をまじまじと見つめた。


「ああ、こういう変な形のにんじん? それならこういったお店にはないね。大抵こういったお店に並ぶ野菜ってF1種だから……」


「えふわん? あの、車で競争するやつ?」


「あ、ええっと……」


 また悪いクセが出てしまったと、西連寺は反省交じりに頭を掻いた。


「つまり、交配種って言って……なんて説明すれば良いかな? はは……理科でメンデルの法則って習うでしょ? って、君たちも石川さんと同じ二年生? ならまだ習ってないか、メンデルの法則は三年生からだもんね」


「ハイっ! 微塵も習ってません!」


「嘘って言って時緒、先月一緒にやったでしょ」


 メアは自主的な勉強で常に定められた教育課程の先を学習しているが、そもそも時緒と燐華の通うD学園は一応は進学校の為、授業の進行スピードが早く、既にその範囲は授業で習っている筈であった。そしてその宿題をメアが手伝ったことがあったのだ。


 その折かなりの労力を費やしてようやく理解させた内容だけに、メアは親密な関係であることを西連寺に悟られたくないということを忘れ、時緒の両肩を掴み嘆いた。


「その〝えふわんしゅ〟だと、こんな形には育たないのですか?」


 その隙にユウリが尋ねる。


「うん、つまりだね、ここにあるような綺麗な形のにんじんを仮にA、その画像のような変な形のにんじんをBとして、その二つを掛け合わせるとA、Bと、二種類の特徴を引き継いだにんじんができるんだ。でもね、A、Bと二つの特徴を持つ場合、優先されるのはAの特徴なんだよ。不思議でしょ? 遺伝の優勢、劣勢についての詳しい説明は今回は割愛するけどね。でもそのABを引き継いだにんじん同士を掛け合わせると、Aの特徴を引き継がない、Bの特徴だけを引き継ぐにんじんが生まれることがある。でもそれだと売る方としては都合が良くないんだ。綺麗な方が売り物として見栄えが良いからね。そこでにんじんを作る農家さんたちは大抵二世代目の、つまりF2種は育てずに、毎回種屋さんから良い形のにんじんのできる種を買って育てているんだ」


 西連寺は言いながら形の良いにんじんを手に笑みを作った。


「それがF1種、Aの特徴を引き継ぐ種というわけですね」


「うん、習ってないのに飲み込みが早いね、優秀優秀。まあ今のは僕なりに簡易的にした説明だけど、大体そんな感じだよ」


 メアは西連寺がユウリを褒めたことに、密かに嫉妬した。


「では、そのBの特徴のみを引き継いだにんじんはどこにありますでしょうか?」


「うーん……、お店を探しても難しいんじゃないかな……。っと、そうだ!」


 西連寺は何か思い付いたかのように声を上げると、一旦買い物かごを床に下し、携帯電話を耳に当てた。





 すっかり日が暮れ、橙色の夕日が辺りを染める中、メアはじっとりと汗ばんだ額を手で拭った。額の汗が拭われた代わりに土がこびり付く。靴は既に泥だらけで、白いブラウスのあちこちにも土汚れが付いている。


「はぁ……」


 嘆息するメアの眼前一帯に広がるのは野菜畑。この時期はにんじんだけではなく、トマトやナスなんかも植えられている。


 一同は西連寺の計らいで彼の親戚の畑で野菜を採らせてもらうことになったのだ。幸いその場所は寮から比較的近かったが、何がどうなって自分という人間が土に塗れながら畑仕事をさせられる羽目になっているのか、メアは未だ納得がいっていないようであった。だがよりにもよってあのメアが唯一偉とするに足る西連寺の厚意だけに無下にはできなかった。


「メアさん? 見つかりましたか?」


 ユウリが掘り出したにんじんを確認しながらメアに問う。右の頬が土で派手に汚れていた。


「ないわよ。ってかホントに見つかるの?」


 この畑は西連寺の祖母のものらしく、専ら自分たちの為の野菜を育てるだけの畑なので商業目的の野菜と違い、確かにそこかしこに生っている野菜は大きさも形も様々で不格好なものばかりであったが、都合良く「人型」をしたにんじんはまだ見つかっていなかった。加えて西連寺の祖母が機会さえあればしきりに飲み物やお菓子を勧めに割って入る為、全く捗らなかった。


 少し離れた場所では燐華と時緒がいつしか目的を忘れ、どちらが大きいものを掘り出せるかで競い合っている。


 その様子をユウリが眺めて目元を細める。


「でも、何だか楽しいです。こういうの」


 それが彼女なりの笑みなのか、斜めに差し込む夕日が眩しいだけなのか、メアにはいまいち判然としなかったが、その表情は言葉の通りどこか楽し気であり、しかし少し寂し気でもあり、視線の先の二人ではなくメアの目には映らないどこか遠い虚空を眺めているような、そんなふうにも思えた。


「あっ!」


 メアはユウリに気を取られながら無警戒に引き抜いた手元のにんじんを確認し、色々あったものの無事本日の面倒事が終わってくれたことに取敢えずは安堵した。

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