XXⅨ.第三回異世界召喚術式作製会議

 秘密基地、もとい怪しげな絵本屋リーブルディマーシュの扉の前に辿り着いたメアは、店主が貼ったであろう「営業中」の張り紙の横に新たにもう一枚、「異世界召喚術式作製会議室」と書かれた張り紙が追加されているのを発見し、伸ばし掛けた手を止めた。


 一瞬破り捨ててやろうか迷ったが、どうにか思い留まり、改めて扉を開く。


「いらっしゃーい」


 既にテーブルには店主が腰掛けており、その傍らで燐華がテーブルに突っ伏して寝ていた。時緒の方はどこかと見回すと、普段哲学的幽霊が座っている書架と平積みされた本に囲まれたスペースに、時緒が膝を抱え、同じく寝息を立てていた。


 他称幽霊の女性は本日不在のようだ。店に入った途端いつものように二人から絡まれることを覚悟していただけにメアは肩透かしと共に少し安堵する。


「んん……ああ、メアとユウリっち……」


 扉の開閉する物音に燐華はのそりと涎を垂らしたままの顔を上げた。メアはポケットから取り出したハンカチで燐華の顔をごしごしと乱暴に拭き上げると、今度は時緒を起こさねばと壁際の書架の元へ行こうとする。そして直前で思い留まり足を止めた。


 この件で一番うるさい人物が目の前で寝息を立てている。ならばわざわざ虎の尾を踏むような愚行に走ってやる必要はないのではないか。ふとメアはそう思い至った。燐華自身は元よりそこまでこの件に興味があるわけではなさそうだ。上手くすればこのまま有耶無耶に時間を稼ぎ、今日のところはめでたく時間切れ、大人しく解散となるかもしれない。先程道中で面倒ごとに付き合うことを肯定するような内容をユウリに話したばかりだが、さすがに二日連続でなくとも良いだろう。そう考えてのことであった。


 メアは一度は進めた歩を、そろりそろりとまるで逆再生のように戻し始める。


「そんなこと言わないでよーメアちゃーん……」


 突然の時緒の言葉に、眠れる虎を起こしてしまったかとメアは身構えた。だが様子を見る限りでは、だらしない笑みを張り付かせてはいるが、その両目は閉じたままであった。


「なんだ、寝言? ってか、夢の中でもわたしに怒られてるの? この娘」


 安堵しながらも、メアは呆れてしまった。だが時緒の寝言は続く。


「わかったよーメアちゃーん……じゃあ、このちっぱいで我慢するよーうへへぇ……」


「夢の中のわたしこのアホに何を許した! 妥協するな! 頑張れわたし! あんたならできる!」


 瞬間、メアは時緒の元に駆け寄り、その両肩を掴んで思い切り揺さぶった。


 自身を完璧過ぎると評価するメアは、いかなる場合でも完璧でなければならないのだ。例えそれが他者の夢の中であったとしても。


「あー、メアがとっきーのおっぱい揺らして遊んでるー」


 テーブルの方で様子を眺めていた燐華が二人を指差し、面白がって囃し立てる。


「ちっ! がう! 超お馬鹿ぁ!」


 こうしてメアの願い虚しく無事四人が揃った。





「じゃあ今日は何を探そうか!」


 店主の膝に腰掛ける時緒の一声で本日の会議は始まった。


 ユウリの主張する「魔術的触媒」は残り二つ。「マンドラゴラの根」と「飛竜の翼」。一度は了承したものの、メアにとってそれらを何の手掛かりも無しに探し出すのが不可能に思えることに依然として変わりはなかった。


 とりあえずは話し合いの行く末を静観しようと、テーブルに肘を立て、手のひらに顎を乗せていると、再びメアのポケットの中で携帯電話の着信を告げる振動が、今度は短く数回。メアは肘を付いたまま携帯電話の画面を確認するとメールの着信のようである。内容を確認するとどうやら希実枝からのようだ。


『メアちゃん! マンドラゴラ、見つけたよ!』


 という件名で始まるその内容をメアは気怠そうな視線で読み進める。


『褒めて褒めて! でもね、外国の植物みたい。いくつかそれらしい情報を送るね』


 長ったらしく続くのはいくつかの植物についての情報。


 一つ目。

 【マンドラゴラ】別名:マンドレイク

 地中海地域に自生するナス科の植物。根の部分の毒性が強く、摂取すると幻覚、幻聴作用を伴い、最悪の場合死に至ることもあるが、古い時代には薬としても使用されていた。


 二つ目。

 【ポドフィルム】別名:アメリカハッカクレン

 白色の可愛らしい花を付ける植物でその根は下剤の作用を持つ。北米ではmandrakeと呼ばれているが、ナス科のマンドレイクとは全くの別種。


 三つ目。

 【アウラウネ】

 マンドレイクの亜種としてドイツに古くから伝わる植物。伝説上の存在で手に入れた者を裕福にすると言われている他、その実は媚薬効果を持つという。


『どう? すごい? すごいでしょ! ねぇ、褒めても良いんだよ? 予定を全部キャンセルして図書館で調べたんだから! 希実枝ちゃん頑張ったんだから!』


「図書館でって、こんなのネットで調べれば一発じゃない……」


 メアは自分が冗談交じりに依頼したこととはいえ希実枝の無駄な努力に嘆息した。希実枝のメール文はまだ続く。


『というわけで、希実枝ちゃんは愛するメアちゃんの笑顔を胸に早速海外へ飛ぶね! 今から飛行機の予約取ってくる! そんで海外のお土産のお菓子は何が良い?』


 メアは慌てて『さっきの冗談だからやめて。本当に、お願いだから』と打ち込み、返信した。


「では次の魔術的触媒についてですが、またわたしが決めてしまってよろしければ、マンドラゴラを探しましょうか」


 ユウリがそう切り出すや否や、メアはトントンとテーブルを指で叩き皆の注目を集めるようにした。


「ねえ、そのマンドラゴラってナス科の植物らしいわよ」


 携帯のWeb検索で先程の希実枝の情報を基に該当する植物の画像の一つを適当に見つけ出し、三人に示す。海外の植物だということを伝えてしまうと、例の如く時緒が海外行きの飛行機を予約しそうだったのであえて伏せておく。


 三人は揃って身を乗り出し、メアの示す液晶画面を見つめた。そして最初に口を開いたのはユウリであった。


「メアさん、せっかくのところ申し訳ないのですが、それは魔術的触媒におけるマンドラゴラとは言えません」


「あっそ」


 元より本気で付き合う気のないメアは早々に携帯電話を仕舞った。


「じゃあ、あんたにはわかってるの? だったら早く言いなさいよ。メンドくさい」


「実は事前に時緒さんからお借りしていたぱそこんで参考になりそうなお写真がないか調べておいたのですが、例えば……これなんかが該当します」


 メアと入れ替わる形で開いたユウリのタブレットPCを覗き込み、三人は眉を顰める。


「これって……にんじん?」


 画面に表示されている歪な形の野菜らしきものは色やその他の特徴から間違いなくにんじんだとわかるものであったが、何故か不自然に枝分かれして育っており、丁度人間の手足を持ったような珍妙な外形をしている。


「ええ、ただこの場合野菜の種類は重要ではありません。このような形になった植物の根というところが重要なのです」


「ふんふん、それで?」


 時緒は待ちきれない様子でユウリの言葉の先を促す。その様子を朧げに眺めながら、メアは普段自分が勉強を教える時もそうやって前のめりになってくれたらどんなに良いかと淡い夢にも似た想像する。


「魔女の血の場合はわたしという存在がいる以上例外として、その他の魔術的触媒は本来この世界に存在し得ないモノなのですが、ただ、この世界に存在するモノの中に、ごく稀にわたしたちの世界の物質が持つ特別な魔術的意味を有するモノが、様々な形で発現する場合があると、手記にはありました。マンドラゴラの場合はこの写真のような人型をした植物の根が該当するそうです。わたしたちの世界のモノと同様の魔術的意味を有するモノ、それらを総称して『魔術的誘導同維体』、手記の中で書き手はそう呼称しています」


 時緒はユウリの主張する謎の単語をノートに書き記していた。『魔術てきゆーどーどーいたい』と何故か『魔術』の部分だけは漢字で書かれていた。


「時緒、そんなことしても学校の試験には出ないから。ったく、理科の勉強もそれくらい熱心にやりなさいよ」


「しかし、時緒さんからお借りしたこの〝ぱそこん〟という魔道具には驚きです」


 ぶれずに自身のスタンスを堅持し続ける時緒の横で、ユウリがタブレット型PCを片手に酷く感心した様子になっているのを確認してメアはさらに渋面を作る。


「まさしく全知全能。神器にも等しいあらゆる可能性を秘めています」


「確かにあんたみたいな原始人にとっては驚きかもね、魔道具じゃないけど」


「でもこうして二つ目も無事揃いそうじゃん」


 燐華があまり深く考えていない様子で呟く。


「簡単に言うけど、そんな形のにんじんなんてどうやって見つけるのよ」


「そこが課題ですね。それで実はですね、このぱそこんで〝ねっとつうはん〟というものを試してみたのです」


 表情は真顔のまま、やや謎の得意気を含んだ語気でユウリは言う。


「でも、そのような野菜を販売している〝つうはん〟のお店はありませんでした。まだ慣れていないのでわたしの調べ方が悪いのかもしれませんね……」


「そもそも仮に見つけたところで、あんたにネット通販なんてできるとは思えないけど。ま、いいわ。とりあえず駅前のスーパーへ行きましょ。そこになければ今日のところは諦めるってことで」


 メアは早々に結論を出し、鞄に手を掛ける。


「お言葉ですがメアさん。確かにわたしはこの世界については鋭意勉強中ではありますが、少しずつ進歩だってしています」


 メアの言葉が僅かに気に障ったのか、ユウリはそうメアを呼び止める。


「確かにマンドラゴラは購入できませんでしたが、昨日だってその〝ねっとつうはん〟を試して無事商品を買うことができたんです。昨日注文して今朝届いたことにはその早さに驚きましたが」


「へぇ、で? 何を買ったのよ」


「下着です」


「…………」


「下着です」


「いや、聞こえてる。聞いて心底後悔してただけ」


「一人でもちゃんと選ぶことができました。〝いんたーねっと〟というものは実に難解で、実際に購入するまでには様々な苦難がありましたが、どうにか購入に至りました。我ながら本当に、この地に辿り着いた当初からは考えられない進歩です。あの頃は学校の購買でパンを買うことすらままならなかったというのに。是非メアさんにはわたしの勇猛果敢なる雄姿と決して挫けなかった努力の賜物をその目で確認して頂きたいのですが……」


 ユウリは自身のスカートの裾をずりずりと途中まで捲りつつメアに「確認」を乞うが、メアは早々にそっぽを向いてしまった。


「嫌よ。馬鹿みたい」


「じゃあわたしが代わりに確認するー」


 時緒はまるで忍者か暗殺者のような挙動で素早くユウリの背後に回り込むと、ユウリが掴んだままの裾をいっきに捲り上げた。


「あーっっ!!」


「何よ」


 いきなりの時緒の大声にメアは鬱陶しそうな半目を向けるが、次いで今度は燐華が「どれどれ?」と覗き込み、時緒が捲ったままのスカートの中身を確認する。


「あーっっ!!」


「だから何よ、うっさいわね」


 燐華の大声に仕方なくといった様子でようやくメアも緩慢な動作でユウリの下着を確認する。


「ぎぃゃぁっっー!!!」


「あの、メアさん耳元で大声出されると、その、少しうるさいです」


 それこそ土から引っこ抜かれたマンドラゴラの悲鳴を彷彿とさせるメアの奇声に、さすがのユウリも少し迷惑がるような声色で正直な感想を漏らすが、当のメアには届いていなかった。


 現在ユウリが穿いている下着、それには本来隠すべき個所に存在しなければならない布地が著しく欠けている。元々陶器のように白い肌、それは当然の如く普段日の当たらない少女の臀部においてはより顕著に表れる特徴で、そのまるで白桃のような双臀を控えめな大きさながら十分なハリを伴って曝け出していた。


 つまり、一言に要約すると、尻が丸出しであった。


「あああああああんた! よりにもよってティーバック!? ホントにどういうつもり!? よく平気でそんなもの! この世界を何だと思っているの!?」


 その怒号と取り乱す様は、仮に目の前の少女が世界を滅ぼす〝大量破壊殺人悪魔兵器〟を召喚してしまった場面であったとしても、さして違いはなかったのかもしれない。


 行先、駅前スーパーの野菜売り場からデパート婦人服売り場の下着コーナーへ急遽変更。


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